[#表紙(表紙1.jpg)] [#裏表紙(裏表紙1.jpg)] 星と祭 上 井上 靖 目 次  僧 院  湖 心  歳 月  宝 冠  風  地 図 [#改ページ]     僧 院 「この秋、エベレストの麓《ふもと》で満月を見たいと思っています。山に登る時間のやりくりはできませんし、まあ、その程度のことで満足しようと思っています。いつかごいっしょに穂高《ほたか》で月を見たことがありましたね」  四人の客の一人が言った。客はいずれももう若いとは言えず、最年長者は四十歳には達している筈《はず》である。登山家としては一部には知られているが、一般的とは言えない。もともとアマチュアあがりの登山家で、山が好きなことは人後に落ちないが、日本の登山界のどこかに籍をおくような柄ではない。しかし、四人のうちの二人は一応山歴と言えるようなものを持っている。四、五年前のことだが、ジュガール・ヒマールのマディア・ピーク(中央峰)というのに最初の足跡を印《しる》している。 「エベレストの山麓《さんろく》って、どんなところかな」  主人の架山洪太郎は眼をちょっと光らせて訊《き》いた。物事に関心を持った時の癖で、煙草を灰皿の中にしきりに押し潰《つぶ》している。 「タンボチェという集落で、僧院のあるところです。そこで十月四日の満月を見ようというわけです」 「なかなかよさそうだね」 「たいしたことはありません。ただそこで満月を見るだけのことですからね」 「穂高の月見よりいいだろう」 「そりゃあ、まあ、エベレストの麓で月を見るわけですから、多少は違った趣があるかも知れません。しかし、月は月です。同じまんまるいやつが出て来るだけのことです。たいしたことはありません」 「変な言い方をするんだね」 「でも、本当にそうなんですから。帰って来てから話をしてあげます。月は明るいとは思うんです。が、まあ、それだけのことです。しかし、僧院のある集落というのはいいでしょう」 「気を持たせるね。一体、どのくらいの日数が要る」 「何日も要りませんよ、僕たちが行くんですから。九月二十九日の十三時三十分に羽田を発《た》ちます。香港、バンコック経由で、その日の二十三時四十五分にニューデリーに着きます。ニューデリーに一泊してネパールのカトマンズにはいります。それから十月一日にルクラというところまで飛行機で飛び、二日にルクラからナムチェバザールまで、三日にナムチェバザールから目的地のタンボチェまで、いずれもキャラバンを組んで歩きます。その翌日が十月四日で満月です。それを見たら五日にそこを発ち、カトマンズには七日にはいります。折角行ったものですから、三日ほどカトマンズで昼寝し、おそくも十三、四日には東京に戻ることができるでしょう」 「二週間だな」 「二週間足らずです」 「行ってみたいね」 「もしいらっしゃるなら、ルクラからナムチェバザールの間にキャンプ地を造ります。僕たちには一日行程ですが、あなたがいらっしゃるなら、そこに二日かけます」  客は言った。いずれにしても大分先の話である。いまはまだ五月にはいったばかりである。 「一体、僧院のある村というのは、標高はどのくらいかね」 「カトマンズが上高地《かみこうち》ぐらいで、千四、五百です。そうですね、ナムチェバザールが三千四百少しでしょうか。タンボチェ、ここが僧院のあるところですが、ここは三八六七メートルです」 「僧院で月見をするの?」 「そりゃ、無理でしょう。やはり、近くの民家にはいるか、テントをはるか」 「民家はあるんだね」 「僧院があるくらいですから、もちろん民家はあると思います」 「じゃ、僕でも行けるな」 「誰だって行けますよ。コースはエベレスト街道です。エベレストの東海道です。それに歩くと言っても、キャラバンを組んで行きます。シェルパ五、六人、ポーターも五、六人、もちろん驢馬《ろば》も連れて行きます」  客は言った。 「行ってみたいね」 「あまり期待して頂くと困ります。いずれにしても、観月旅行なんですからね。宜《よろ》しかったらごいっしょしますが、難しいんじゃないですか」 「そうでもない。行く気になれば行けないことはない」  架山は言った。実際に行く気になれば行けないことはなかった。しかし、いまは気持が傾いていても、あとになってその気持がどうなるか見当がつかなかった。客の方は客の方でまた架山のそういう気持の動き方を承知の上での応対であった。 「よし」  架山が言うと、 「よしというのはどういう意味ですか」 「考慮に値する問題だという意味だろうね」 「まだそんなところですか」  客は笑った。架山は親しい年下の登山家とのお喋《しやべ》りがけっこう楽しくなっていた。会社の仕事関係の訪問者と話していても、こういう楽しさはなかった。と言って、いっしょに長年山に登ったという間柄ではなかった。何年か前に大学の同級生で、やはり中級の会社の経営者になっている友人から、この登山家連中を紹介され、その時はなにがしかの金額をヒマラヤ遠征費用の寄付帳に書かされただけの話であったが、それ以来何となく親しくなってしまったのである。誘われて山というものにも初めて登った。山と言っても、穂高だけである。前穂、北穂といったところに二、三回ずつ登っている。  架山はこの連中のおかげで、僅《わず》か三、四年の間のことではあるが、山というものに夢中になった時期を持った。しかし、そうした時期がすんで、この三、四年は山にごぶさたしている。倦《あ》きたというわけではないが、会社の仕事も忙しくなり、年齢もそろそろ登山に向かなくなっている。考えただけで何となく億劫《おつくう》である。それが、エベレストで満月を見ると聞いた時、ふいに気持が動いたのである。 「僧院って、なんの僧院?」  主人は訊いた。僧院というものに多少気持がひっかかっている。日本流にいえば寺のある村で月を見るということになり何のへんてつもないが、エベレストの麓の僧院となると、妙にイメージの持つ色彩感覚が違ってくる。月は明るいだろうが、僧院の建物は暗い。その背景に白い雪の山が置かれている。 「ラマ教です。ラマ教の僧院」  客は答えた。 「なんだ、ラマ教か」  ふいに十字架のある尖塔《せんとう》が消え、僧服を纏《まと》った丈高い僧侶《そうりよ》の姿が消えた。 「なんだとおっしゃるが、ああいうところのラマ教の建物はいいですよ。あなたがいらっしゃるとなると、ルクラからキャラバンを組んで出発して、二日目の宿泊地になりますが、ナムチェバザールというところがあります。そこはチベットとの交易の根拠地として昔から知られています。そのくらいですから、あの辺一帯にはラマ教の寺院が多いんです。大体、タンボチェというところは」 「そこで月を見るんだったね」 「そうです。問題の僧院のある部落です。紛れやすいですが、近くにパンボチェという部落もあります。そこにも僧院があり、そこは例の雪男の頭の皮が保存されてあることで有名、——有名と言っていいかどうか知りませんが、とにかく知られています」 「雪男の頭の皮か、変なものがあるんだね。そっちは要らんね、雪男の方は」 「これも、しかし、面白いです」 「面白いと言われても、どうもねえ、折角の僧院が台なしになる」 「ついでに話しただけのことです。いま言ったように、月見をするタンボチェ部落にあるわけじゃないんです。パンボチェの方」 「月はエベレストの上に出るの?」 「さあ、どのへんに出ますかね。周囲をぐるりと凄《すご》いのが囲んでいます。エベレスト、ローツェ、この二つは八千台、正確に言えばエベレストが八八四〇、ローツェが八五〇〇です。アマ・ダブラムが六八〇〇、カンテガが六六〇〇、タムセルクが同じく六六〇〇ですか。とにかくそういう山々が囲んでいます。そこに月が出る」 「なるほど、ね」  こんどは少しイメージが変った。僧院の建物がひどく小さいものになり、そこで月を仰いでいる人間たちは点になった。 「無理にはお勧めしません。ご希望ならばごいっしょします。ヒマラヤ観月旅行というわけです」 「なるべく連れて行って貰《もら》いたいが、今からでは予定が立たない」 「ネパールでの飛行機の予約だけの問題です。いらっしゃるんでしたら、なるべく七月の中頃までに決めて下さい」  客は言った。  親しい登山家たちがヒマラヤ観月旅行の話を持ち込んで来てから、四、五日の間、架山はなんとなく楽しいものが行手に置かれてあるような気がした。まだそれを自分のものとするかしないか決まっていなかったが、自分がその気になれば確実に自分のものとすることのできるものであった。  高山の月見は一回だけ経験があった。何年か前、山というものに熱をあげた時のことである。ヒマラヤの月見の話を持ち込んで来た同じ仲間に誘われて、穂高の涸沢《からさわ》で九月の満月の夜を過ごした。北穂、前穂、奥穂の穂高連峰が屏風《びようぶ》のように取り囲んでいる盆地のヒュッテで、八時過ぎまで月の出を待った。何となく戸外で観月の宴《うたげ》を張るようなつもりで出掛けて行ったのであるが、そんなわけにはいかなかった。ヒュッテを一歩出ると凍りつくような夜気に震えあがった。  八時四十分頃、屏風岩の肩から月が顔を出した。多少赤味を帯びた月で、それが静かにのぼって行くにつれて、前穂の山影が大きく、奥穂の大斜面に投げかけられて行った。一木一草ことごとく白い月光に照し出されて行くといった下界で見る満月の夜とは大分趣を異にしていた。月も不機嫌であれば、夜の北アルプス連峰のたたずまいもまた不機嫌に見えた。  夜半にもう一度ヒュッテを出ると、こんどは奥穂と北穂の斜面が一面に雪でも置いたように月光で白々と見えていたが、前穂は依然として暗く押し黙っている。いかにも幾つかの山塊が身を寄せ合い、ある部分は月光のもとに白く輝き、ある部分は影になって、照したかったら勝手に照すがよかろう、俺たちの知ったことではないと、互いにむっつりと、息でもひそめているように見えた。いずれにしても昼間見る北アルプスの景観の大きさはなかった。月は相変らず赤味を帯びていて、上から不機嫌に幾つかの山塊を眺め渡している。光の照応というものはなく、月も、山も、それぞれに気難しく、他を黙殺して孤独であった。  その時、架山は月というものは一点の遮るもののない万頃一碧《ばんけいいつぺき》の大海原とか大|曠野《こうや》で見るものだと思った。古来月の名所として知られているところは、例外なく平原を俯瞰《ふかん》できる丘陵か、あるいは視野を遮るもののない海岸であった。架山は姨捨《おばすて》の月も知っていたし、大洗《おおあらい》の月も、銚子《ちようし》の月も、満州の荒涼たる原野の月も知っていた。そのいずれにも、穂高で見た月の暗さはなかった。  エベレストの麓《ふもと》で月見をするという話を耳にした時、架山は穂高の月見のことを思い出し、規模は穂高の場合より大きいに違いなかったが、やはり満月の夜のエベレスト山麓《さんろく》は暗いだろうと思った。  穂高の月が暗いように、エベレストの月も暗いに違いなかった。しかし、あとで考えてみて、その暗いエベレストの月に心を惹《ひ》かれたのは、観月の場所であるタンボチェという集落に僧院があったためであろうと思う。もし若い登山家の口から僧院という言葉が出なかったとしたら、架山はエベレストの麓に於《お》ける月見など、その場限りの話題として聞き流してしまったのではないかと思う。わざわざキャラバンまで組んで、暗い月など仰ぎに行く気にはならない。  しかし、そこに僧院の建物を配してみると、エベレストの満月の夜は多少異ったものに見えた。僧院の建物からは燈火の灯がこぼれている。一つか二つの僅かな窓からこぼれている灯かも知れないし、幾棟もある建物の窓という窓からこぼれている灯であるかも知れない。その灯が蛍の光のように冷たく小さいものであるか、あるいはまたクリスマス・ツリーの豆電燈のようにある華やかさを持ったものであるか、それは知らない。が、いずれにしてもその灯はそこに人間が生きていることを示している。しかも、僧院と言うからには、生きるということを、少くとも世俗の人たちよりも真面目に考えている人々が住んでいると見ていいだろう。いかなる戒律を己れに課しているか知らないが、不自然であろうと、ゆがんでいようと、自分がよしとした生き方を選び、実行している人々が住んでいることだけは確かである。  そういう人間の集団を収めている建物を配すると、架山の眼には、もはやエベレストの月は単なる暗いものとしてだけは映らなかった。周囲の山々は、その裾《すそ》に人間の生活を置くことによって急に生き生きと息づき始めて来る。悠久な時間が流れ出す。月は孤独な、意地悪い監視者ではなくなり、いま確かにお前たちはここに生きている、その証人になってやろうとでも言うように、真上から僧院の建物を照し始める。こうなるともう気難しく暗い月ではない。  戦時中のことであるが、架山は武昌で揚子江《ようすこう》の流れを見たことがある。昼間見る黄濁した流れは、凡《およ》そ川と言えるようなものではなく、さながら暗鬱《あんうつ》なエネルギーの移動そのものであった。夕暮時になると、どこからともなく女たちが岸に姿を現わした。甕《かめ》を洗ったり、布をそそいだりしている女たちを岸に配すると、揚子江の流れは全く別のものになった。その裾に小さい人間の生活を置いた悠久な何かであった。そして揚子江の流れと、女たちの心の触れ合いのようなものが、夕明りの中に漂い始める。  架山は、若い自分が揚子江の岸で感じたものを、もし自分がその気になれば、ヒマラヤ観月旅行で再び自分のものにすることができるのではないかと思った。  架山はヒマラヤ観月旅行のことを、都心の大きなビルの六階で開かれた大学の同窓会の席で口に出した。 「この秋はエベレストの麓で満月を見ようかと思っているんだ」  すると、隣の席にいた人物は、 「大丈夫かい、心臓は。麓と言っても、エベレストとなれば相当な高さだろう。酸素欠乏でひっくり返りかねないよ」  身もふたもない言い方をした。 「君とは違う。俺の方は、まだ——」  架山が言いかけると、 「そう、僕は肥《ふと》っているし、君は痩《や》せている。痩せていることで、君はまだまだ自分は大丈夫だと思っているだろう。その自信というやつが甚だ当てにならない。多少|贅肉《ぜいにく》がついているかどうかの違いではないか。まあ、無理をしないことだね」 「無理はしない。しかし、ちょっといい計画ではあるだろう」 「いい年齢《とし》をして、変なことを考え出したもんだな。僕も学生の頃は、そんなことを考えたことがある。しかし、もう今は月見に金と時間をかける気はないね」  すると、左隣に席をとっているのが言った。 「まあ、やりたいことはやることさ。時間も残り少くなっている。金もいくら費《つか》っても、知れたものだ。年齢をとると、ふいにロマンティックになることがあると言うが、こういうことなんだろうね。エベレストの麓で月見をするということは、そりゃ、贅沢だよ。その贅沢なことをしたくなるんだな。もう女もできない。仕事にも夢はない。子供も思うようには育たなかった」 「失礼なことを言うなよ」 「いや、君のことを言っているんではない。自分のことを言っているんだ。——せめて、人のあまり見ない月でも見よう。こういうことになる」  こんどは対《むか》い側に坐《すわ》っているのが、言葉をさし挟んで来た。 「月見とは古風なことを考えたものだね。大体、観月なんて言葉はなくなっているんじゃないか。月面に人間が降り立つ時代だからね。——そもそも月というものに特別な感懐を覚えるのは東洋人だけではないのか。ヨーロッパ人は、月を見ても美しくも何とも感じないらしい。もし感じるとすれば性的なものだと、俺の知っているヨーロッパ人は言った。月を見て性的|昂奮《こうふん》を覚えるのも困りものだが、人生の無常を感じるのも、あまり感心したことではない。——しかし、ヒマラヤ観月か。悪くはないね」  架山は遠慮のない昔の友だちの話を聞いていて、それぞれになるほどと思った。架山に健康上の注意をしたのは、同窓生の中では一番の成功者である。財界人として名が出ているが、いろいろなところに引張り出されて、自分の時間というものは全く持っていない人物である。  ——もう今は月見に金と時間をかける気はないね。  と言ったが、気持があろうとなかろうと、時間的にそんな余裕はない人物である。エベレストから石油でも出ない限り、エベレストという山を地図の上で探すことはないだろう。  人間、年齢をとると、女もできないし、仕事にも夢がなくなる。寿命も大部分費い果して先が見えて来る。こうなった時、人間はロマンティックになる。贅沢なことをしたくなる。こう言ったのは大学の教師である。専攻は経済学。この人物によって架山のヒマラヤ観月旅行は一つの性格を与えられたわけで、もはや何も夢がなくなった人間が最後に持つ夢であり、恋愛もできなくなった人間の最後の恋愛的行為であり、金の費いようもなくなった人間の最後の浪費であり、今や残り少くなってしまった時間の最後の無駄費いというわけである。  そう言われれば、そうかも知れないと、架山は思う。若い登山家から異国の月見の話を持ち出された時、ふとそれに心を惹かれたのは、それがひどく贅沢なものとして感じられたからであろう。そしてそれが贅沢なものとして感じられたということの中にはいろいろなものがはいっている。幾つかの要素に分析できるが、ひと口に言うと、老化現象ということになりそうである。年齢的にある地点に達した男の最後の放蕩《ほうとう》みたいなものである。  確かに悠久な時間の流れている大自然の一劃《いつかく》に、小さい人間の生きている姿を嵌《は》め込んで、さて、その上で月を観賞するということは、ちょっと較べるものがないほど贅沢なことである。芸術品を観賞するのとはわけが違う。絵を美しいと見たり、彫刻を美しいと見たりするより、大分複雑になって来る。自分を観賞者の立場に置きながら、自分自身をもまた対象の一部として観賞することになる。エベレストの僧院のある集落で月を見るということは、大自然の裾に生きている小さい人間の姿を、大自然と対比して観賞するわけであるが、しかし、それを観賞するためにはるばる出掛けて行く自分自身もまた、その小さい人間の生きている姿から例外ではないのである。月光に照し出されている僧院の中には自分もまた居るのである。  架山のヒマラヤ観月旅行が一座の話題に取りあげられて、いろいろなことが言われた時、架山はにやにやして遠慮のない連中の勝手な発言を聞いていたが、 「僕はエベレストの麓に月を見に行くが、君たちだって、僕の観月旅行に代るものを持たなければならぬだろう」  と言った。俺のことを取りあげて肴《さかな》にしているが、それならば一体、君たち自身はどうなんだと、多少意地の悪い問いかけだった。 「さあね」  一人はちょっと遠い眼をしたが、 「孫かな」  と言って、笑った。 「孫があるのか」  誰かが訊《き》くと、 「一人ある」 「情ないことを言うなよ」 「情ないとは思うが、まんざら冗談でもない。俺の孫娘は目下五歳で幼稚園に通っているが、何とかして娘夫婦の手から取りあげて、いっさい男などには見向きもしない美女に育てあげてみたいと思っている。ヨーロッパの美術館でよく高慢ちきで、鼻持ちならぬお姫さんの肖像画を見ることがあるだろう。イタリーのメディチ家の何代目かの総領娘だとか、ゴヤ描くスペインの王家のお姫さんだとか、美貌《びぼう》で、誇り高く、つんとしたやりきれないのがいるだろう。あんな風な美女にね」 「悪趣味だな。自分はさんざん勝手なことをしておいて、いよいよもう女から相手にされなくなったら、変な開き直り方をしちゃったもんだな。それでは、まるで、人生というものへの復讐《ふくしゆう》じゃないか」 「いや、違う。愛する孫娘を、汚れなく、ひときわ際立って美しく育てようということになると、さしずめこういうことになる。おそらく彼女は老いても、男に絶望することもなければ、子供に絶望することもないだろう。多少周囲から憎まれることはあるだろうが」 「いやな婆さんになるだろう」 「いやな婆さんになってもだ、まあ悲劇的女性になることだけはないだろう。これが、目下五歳の愛する孫娘に対する俺の愛情だね」  幾らか調子にのって喋《しやべ》っている人物の顔を、架山は黙って眺めていた。そしてこの人物がいかなる人生を歩いて来たか、現在ある証券会社の重役に収まっているということ以外は、何も知らなかった。学生の頃はいつも隅の方で黙っているおとなしい青年だったが、それから今日までの架山の知らぬ歳月の中に、彼は彼なりのいろいろな経験を持っているのであろう。たといその場限りの冗談にしても、どこかに体験からだけしか得られないようなむきなものが感じられぬでもない。 「それにしても、孫娘を端倪《たんげい》すべからざる美女に育てあげるには、少し君の方の年齢が足りないだろう」  さっきから黙っている痩せた人物が言うと、 「そうなんだ。いくら長生きしても、嫁にやったぐらいのところで、俺の方は終りになる」  証券会社の重役は笑った。いかにも楽しそうな明るい笑いだった。 「しかし、男などには見向きもしないと言えば、女も、ある年齢に達すると、大体そうなるんじゃないか。男に仕事の夢がなくなるように、女には男の夢がなくなる。子供の夢も、まあ、なくなる。多かれ少かれ、いかなる女もこういうところに立たざるを得ない。うちの内儀《かみ》さんなどは、目下そういうところだ。本人はヒマラヤの月でも見たいかも知れないが、そういうわけにも行かないしね」 「そうだな、僕たちがヒマラヤの月を見に行ったり、孫娘にとんでもない夢を持ったりするように、女もまた何かを持たなければならんのだろうね」  架山は言ったが、あとは言葉を続けなかった。自分の言葉に対して一座が応じて来るのを待たないでも、架山は自分の答えを持っていた。しかし、それを発表しなかったのは、まあ黙っていた方が無難ではないかという気がしたからである。自分のヒマラヤ観月旅行に匹敵するものは、女の場合宝石ではないかと、架山は言いたかったのである。だが、相手によっては鼻持ちならぬ気障《きざ》なものとして受取られかねなかった。  架山はある一人の女の言葉を思い出していた。あまり世間では評判のいい女ではない。身持ちの悪いという噂もあるし、金遣いも荒く、架山などはごめん蒙《こうむ》りたい型の女性であるが、いつか耳にしたその女の宝石観だけは、それを聞いた時から、妙に消えないで頭の中に居坐っている。  女も盛りをすぎて、男の言うことをあまり信用しなくなり、子供への期待や夢にも限界があると知った時、もし金があれば、女は宝石に惹《ひ》かれて行くのではないか。信心深い女は別にして、普通の女は改めて宝石というものを見直すようになる。日本には宝石にうつつをぬかしたり、宝石|漁《あさ》りをするような金持はないが、屑《くず》ダイヤの一つぐらいは持てるなら持ちたくなる。たとい持てなくても、その魅力だけは判る。大体宝石というものはどこへでも持ち運びができる。自分からは逃げ出して行かない。小さくて、固くて、きらきら輝いている。正確に光を屈折させ、同じ正確さで女の心をある陶酔感で吸収して行く。それでいて、必要とあればいつでも金に替えることができる。男に期待して期待外れだったすべてのものを、宝石というものは具《そな》えているということになる。  大体こういった話であった。ヒマラヤ観月旅行の方は浪費だが、宝石の方は取引である。片方には夢があるが、片方は醒《さ》めている。  ヒマラヤ観月の話があってから十日ほど経った頃のことである。架山は会社の社長室で、娘の光子からの電話を受けとった。 「お父さんですか、わたし。——夕方お友だちとそちらに伺っていいですか」  光子の屈託ない明るい声が飛び込んで来た時、 「光子だね」  架山は思わずそんな言葉を口から出した。確かに相手が光子であることを確かめずにはいられぬような、その時の気持であった。それほど光子の声は亡くなった、やはり架山にとっては娘であるみはるの声に似ていた。 「きょう、ごちそうして下さるお約束だったでしょう。お友だちは三人、わたしを入れて四人。何時に、そちらに行きましょうか」  架山はなるほど約束してあったと思った。よくは憶《おぼ》えていないが、友だちの一人の婚約が決まったとか、就職が決まったとか、何かそんなことで、娘たちの会食の席を作ってやることを引受けていたのである。もちろん架山もその中にはいることになっていた。  しかし、最初に耳にはいって来た光子の声で、みはるのことを思い出してしまった以上、架山の気持はもうどこへ持って行くこともできなくなっていた。娘たちの中にはいって、食事をいっしょに摂《と》ってやることは難しかった。 「席は作ってあげるが、いっしょには付合えない。用事ができてね」 「なんだ、つまらない」 「なんだって言ったって仕方がないよ」  それから架山は娘にTホテルの屋上のレストランの名前を伝え、レストランの方にはこちらから連絡して席をとっておくから、そこへ出向くように言った。 「何時にする? 時間だけははっきりしておかないと」 「では、六時にします」 「勘定は払わないで宜《よろ》しい」 「決まっているわ、そんなこと、ごちそうして頂くお約束ですもの」  それで電話は切れた。なんだ、つまらない、とは言ったが、別段架山がその宴席に加わらないことが不服そうでもなかった。架山が居なければ居ないで、却《かえ》ってその方が望ましいのかも知れなかった。  娘からの電話が切れると、レストランへの連絡を秘書課に頼んでから、架山は窓際に立って、薄汚れている東京の空に眼を当てていた。光子も自分の子供であれば、みはるも自分の子供であるから、声が生き写しであっても、さして異とするには当らなかったが、こうしたことが初めての経験だったので、やはり多少のショックはあった。  みはるが亡くなったのは十七歳の時である。みはるより四つ年少の光子がいま二十歳であるから、みはるも健在であるなら二十四歳になっている筈《はず》である。みはるが十七歳という身も心も成熟しない稚《おさな》さで、ボート顛覆《てんぷく》という突発事故によって琵琶《びわ》湖で一命を失ってから、いつか七年という歳月は経っている。  みはるは、終戦後の混乱期に別れた先妻の時花貞代との間にできた子供である。架山と貞代が子供まであるのにどうして離婚するに到ったかということであるが、まあ性格の違いという以外仕方ないだろう。貞代は貧しくはあったが関西では一応名の通った商家時花家の出で、勝気で、人のうしろに立つのは我慢できない性格であった。頭もよかったし、気位も高かった。夫の架山の方も今日中級の貿易会社の社長に収まるくらいだから、それだけのものは持っている筈であったが、当時貞代の眼には無能としか見えなかったようである。もともと人を押しのけて進んで行こうという性格ではなかったし、それに終戦直後の一時期が架山の一番不遇な暗い時代でもあった。架山も仕事を半分投げているようなところがあり、幾らか生活も乱れていた。夫婦にとっては最も悪い時期であった。  離婚話は二人の間に突然起り、それが現実の形をとるまでには何日もかからなかった。両方で言い出すのを待っていたようなところがあった。貞代は一度しか与えられない一生を夫と心中しないですむことでほっとし、架山は架山でこれでどうにか厄払いすることができたといった気持であった。当然問題になるのは、二歳のみはるの措置であったが、これはすっかり愛の移っている架山の母親が手放さなかった。架山の母親は孫さえ自分の手許《てもと》におけるなら、嫁の方はいつでも出て行って貰《もら》いたいといった気持であった。  貞代は自分が身を痛めた子供であるから、みはるに愛情のなかろう筈はなかったが、架山の母親が面倒を見るならさして心配するに当らなかった。仕事をするのに足手|纏《まと》いになるみはるは祖母に任せておいて、それより自分は自分の生きる道を考えなければならぬというのが、貞代の考えでもあったし、また実際に貞代はそうしなければならぬ立場に立っていた。後年貞代は自分の手許にみはるを奪《と》り返したが、すでにその頃そういう目算を立てていたかも知れない。いずれにしても、貞代は身一つで架山家を出て、実家の時花家の籍に戻ったのであった。  架山は今でも貞代との離婚問題について考えることがあるが、幾らかは若気のなせる業というところはあるにしても、二人はどうにもできぬほどものの考え方も、感じ方も違っていたと思う。別れる以外仕方なかったのである。  架山は貞代と別れてから一年後に、現在の妻冬枝を迎えた。架山が二度目の家庭を持つことになった時から、架山の母はみはるを連れて郷里の家に別居することになった。これはこれで架山の新しい妻にとっては望ましいことであったに違いなかったし、架山の母にもまた望ましいことであった。架山の母は孫娘のみはるをただ一つの生きがいであるように愛していたし、生母と別れているということで、その愛情には不憫《ふびん》がかかっていた。みはるを新しくやって来る義母の手にゆだねるなどということは考えられぬことであったのである。  架山自身はみはるを祖母任せにすることに多少の不安はないでもなかったが、曾《かつ》て貞代がそうであったように架山もまた、ほかの誰でもない祖母に任せるのであるからということで、幼い娘を手許から放すことができたのである。何と言っても、新しい妻との間で家庭の基礎を固めるためには、みはるの養育を祖母に受け持って貰う方が有難かった。  こういうわけで、みはるは幼少時代を伊豆《いず》の山村で過ごした。みはるが四歳の時、冬枝は光子を産んだ。一年に二回か三回、みはるは祖母に連れられて東京へ出て来た。そして短期間ではあるが、義母や義妹の居る家庭の空気にも触れた。架山の方もまたつとめて郷里の村に、自分の母親と自分の娘の生活を訪ねて行くようにした。自分が訪ねて行くばかりでなく、なるべく妻や光子をも伴うようにした。みはると義母の間も、みはると義妹との間も、まあ、うまく行っていると言うことができた。光子はみはるのことを�姉ちゃん、姉ちゃん�と慕っていたし、みはるの方も自分が光子の姉であるという自覚を持っていた。 「みはるちゃんは素直でいい性格だけど、何と言ってもわがままね。おばあちゃんの手で甘えほうだいに育てられているから、ああなるんでしょうが、自分の思うことが通らないと癇《かん》をたててしまうの。でも頭はいいわ」  時に、義母の冬枝は言った。確かにその通りであった。生母貞代の頭のよさも、癇の強さも、みはるはそっくり受け継いでいた。  みはるが八歳の頃、架山は郷里の親戚《しんせき》の者の口から、時折り貞代が祖母とみはるのところを訪ねているという話を聞いた。貞代が自分の産んだ娘を訪ねて行くということは、充分ありそうなことであった。そのことにふしぎはなかったが、架山は、これが現在の妻の冬枝の耳にはいることを怖れた。妻としては不愉快なことであるに違いなかった。そうした配慮から、架山は事を荒立てず、知らないことにしておいた。それとなく、架山は母親にそのことを質《ただ》すことがあったが、いつも母親は口を濁していた。  伊豆に帰省する度に、架山はみはるの着ているものが、冬枝が東京から送っているものとは違うことに気付いていた。貞代の手によって調達されたものに違いなかった。 「きれいなセーターだね。どうしたの、これ」  ある時、架山が訊《き》くと、母親は老いた皺《しわ》だらけの顔を悲しいものでゆがめて、 「貰ったんだよ、これ、どこから貰ったんだっけねえ」  そんな曖昧《あいまい》なことを言った。みはるもそこに居たが、みはるの方はすうっと立って行った。その座を外して行く幼い者の姿を見た時、架山は多少暗然たる思いに打たれた。父親である自分に秘密を持っている八歳の少女が、腹立たしくもあり、哀れでもあった。架山は老いた母親の顔を暫《しばら》く見守っていた。この方も腹立たしくもあり、哀れであった。母親は貞代が嫌いな筈《はず》であった。貞代が家から出て行くのを一番|悦《よろこ》んだのは母親に違いなかった。そのくらいであるから貞代の方もまた母親を嫌っていた。嫁姑《よめしゆうとめ》の間柄以上に、二人は性格的に相容《あいい》れないものを持っていた。その母親と貞代が、今や、みはるをまん中に挟んで何となく共同戦線を張って、自分に対抗しているように、架山には思えた。母親はあれほど嫌いであった貞代であるのに、今はみはるの生母であるということで貞代を許しているのであり、貞代の方は貞代の方で、みはるを育てていてくれるということで、母親を許しているに違いなかった。  架山は、郷里の古い家の中に於《お》ける、ふしぎな団欒《だんらん》を眼に浮かべることがあった。母親、貞代、みはるの三人が一つの食卓を囲んで、賑《にぎ》やかに笑ったり、話したりしている。確かにそこに居るのは一組の母子であり、祖母であった。そしてこの団欒の中心をなしているものは、二人の女性のみはるに対する愛情にほかならなかった。  架山は自分と別れてからの貞代がフランス刺繍《ししゆう》の仕事で、何人かの弟子をとって、一応困らないだけの生計を立てていることを、人伝《ひとづ》てに聞き知っていた。貞代は自分が望んだように、家庭の妻としての座を棄てて、自分の仕事を持ち、それに情熱を燃やしているに違いなかった。そうした自分の立場を築き始めると、貞代はみはるが欲しくなったのである。こうした考え方には、貞代特有の自分勝手なところがあった。家庭は棄てる。自活できるようになるまでは、みはるをこちらに育てさせる。しかし、生活の目処《めど》がつくようになった今は、みはるに対する愛情が彼女を動かし始めたのである。愛と言えば、架山の母親が訪ねて来る貞代を黙って迎えているのもみはるに対する愛であり、架山がそれを知らん顔しているのもまた、みはるに対する愛であった。  みはるが十一歳の時、架山の母は亡くなった。突然の死であり、架山も冬枝も間に合わなかった。彼女はこの世で一番愛した孫娘に、ほんの短い間|看取《みと》られて死んだ。  母親が亡くなると間もなく、貞代の兄が東京の架山の家を訪ねて来た。みはるを母親の籍に入れて貰えないであろうかという交渉であった。貞代の兄は社会的に地位もあり、誠実な人柄で知られていた。架山もこの人物は好きであった。 「ずいぶん勝手な申し出だとは思うが、貞代の方もどうにか仕事もうまく行っているらしく、生活の心配もなくなっている。みはるちゃんを引取っても、将来の責任はとれると思うんだ。僕も妹に、交渉の労はとるが成否のほどは受けあわないと言って来たんだがね」  曾ての義兄は言った。それに対して、架山はみなで相談した上で返事をすると答えた。  架山は、おそらくみはるも貞代を慕っていることであろうし、何と言っても生母のもとで暮す方が、みはるにとっては仕合わせであるに違いないと思った。それに今まで祖母といっしょに生活していたのが、こんど初めて義母との生活が始まることになるわけで、うまく東京の家庭の雰囲気になじめるかどうかは見当つかなかった。  しかし、妻の冬枝がこの問題にいかなる考え方をするか、これが一番厄介でもあり、難しい問題でもあった。架山は貞代の兄からの話をありのまま、冬枝に伝えた。 「みはるちゃんは、これまで度々お母さんと会っていたでしょう。わたしが知っているくらいですから、あなたがご存じないとは思いません。あなたがそれをわたしにお話しにならなかったように、わたしも知って知らん顔をしていました。こんなこと、ずいぶん悲しいことですけど仕方ありませんわね。そりゃ、わたしに言わせれば、貞代さんっていう人は、ずいぶん勝手だと思います。でも、まあ、生みの親ですから、置いてきた子供にも会いに行きたかったでしょうし、継母の手に渡すくらいなら自分が引取った方がいいとも考えるでしょう。みはるちゃんは、何と言っても、私にはまま子です。これからみはるちゃんがこちらに来て、わたしがみはるちゃんを光子と同じように取り扱えるかどうか、これは判りません。わたしの方はそう務めても、みはるちゃんの方が素直に受けとるか、どうか。——生みのお母さんとこっそり会ったりしていないんなら、わたしも一生懸命母親になろうと務めるでしょうけど、生みのお母さんの味を知っているとなると、何となく張合いがありません。すること為《な》すこと、生みのお母さんと較べられたら敵《かな》いませんものね。今になって言っても仕方ありませんけれど、わたしがこちらに来た時、みはるちゃんといっしょに住むべきだったんですね。そうすれば、こういう問題は起らなかったでしょう」  冬枝は言った。  貞代が郷里の母親のところを度々訪ねていることを、冬枝が知っていたことは、架山にとっては意外であった。しかし、意外であると思う方が、どうかしているのかも知れなかった。 「わたしは、そういう気持ですから、むきになってみはるちゃんを先方さんに渡さないとは言いません。わたしの子供ではないんですから。あなたに決めて頂いていいんです。ただ、貞代さんがみはるちゃんに会いに来たように、こんどはあなたがみはるちゃんに会いに行くようなことになったら、それだけは嫌です。そんなことをされたら、わたしの立場がなくなるでしょう。踏んだり、蹴《け》ったり」  冬枝は言った。架山はみはるの問題について、更に郷里にちらばっている何軒かの親戚の人たちの意見を訊いてみた。生みの母親が引取りたいと言うんなら、そうするのが一番いいだろうというのが、大部分の意見であった。 「そりゃ、本人にしてみたら、継母といっしょに暮すより、本当の母親といっしょに暮す方がいいに決まっている。相手に渡して、あとが心配というのならともかく、あの貞代さんって人は、今はなかなかの羽振りらしい。この間、婦人雑誌にあの人のことが載っていた」  そんなことを言う者もあった。貞代がフランス刺繍の方で次第に名前を出し始めていることは、架山も知っていた。時折り、婦人雑誌などに写真入りで紹介されていることもあり、短い原稿を執筆していることもあった。  みはるは祖母が亡くなってから、親戚の一軒から小学校に通っていたが、架山は母の百か日の法要で帰省した折りに、みはるを自分の前に呼んだ。 「一学期が終るまでは、ここに居るが、そのあとは東京の学校に転校しなければならない。判っているね。——それとも、みはるはこの際、京都のお母さんの方に引取られて、京都の学校へ通うか。どっちがいいかな」  架山は刺戟《しげき》のない言い方で、幼い者の心の内部を打診してみた。すると、みはるは急に眼をきらきらさせて、 「みはるは、京都の方がいい」  と、即座に答えた。なんの躊躇《ちゆうちよ》もない答え方だった。 「東京は嫌か」 「嫌でもないけど、京都の方がいい」 「お父さんたち、さっぱりだな」  架山が苦笑して言うと、 「東京も好きよ。光子ちゃんが居るんだから」  そう言ってから、 「でも、京都の方がいい」 「なぜ」  それには答えないで、 「おばあちゃんも、おばあちゃんが亡くなったら、京都へ行きなさいって言っていた」  みはるは言った。祖母は祖母で、自分の亡きあとの孫娘のことを心配していて、いつかそんなことをみはるに言ったものと思われた。  みはるが京都の生母のもとに引取られたいという気持を持っていることを知って、架山の考えは決まった。一学期が終ると、みはるは東京に移り、夏期休暇の間、義母や義妹たちといっしょに暮した。 「もう何日経つと、みはるちゃんは京都へ行くのよ」  みはるはそんなことを光子に言うことがあった。 「光ちゃんも連れてって」  光子が言うと、 「だめよ。わたしだけでしか行けないの。でも、わたし、時々遊びに来るわ。そして光ちゃんも連れてってあげる」  みはるは言った。幼い者の会話を聞いていて、架山は心を悲しいものが走るのを感じた。この姉妹は今は仲よく遊んでいるが、こんどみはるが京都に移るのを機会に、二人はもう親しく話すことはなくなるのではないかと思った。それぞれ異った環境で育って行かねばならない。光子は両親のもとで育って行くが、みはるの方は父親を持たない子供として育って行く。その点光子の方が仕合わせであるに違いなかったが、と言って、みはるを不幸な運命の中に追いやるといった気持はなかった。人一倍|確《しつか》りした母親貞代がついているので、生活に困ることもないであろうし、父親がなければないで、それなりに依頼心を持たぬ娘として逞《たくま》しく育って行くことであろうと思われた。  架山はみはるが家に居る間は、なるべく夜の会合を外して、早く家に帰るようにした。みはるとのいっしょの生活が限られたものであったので、その間だけでも、みはるに付合ってやりたかったのである。  冬枝も、みはるちゃん、みはるちゃんと言って、みはるを立てた。みはると光子が争うようなことがあると、冬枝は光子の方を叱った。間もなく生母のもとに返すことになっているみはるに対して、冬枝は継母として精いっぱい気を遣っていた。冬枝はみはるのために四季の衣類を調えたり、寝|蒲団《ぶとん》を新調したりした。 「まるで嫁にやるようだな」  架山が言うと、 「もうお嫁にやれなくなったから、その分、いましておきませんとね。そうでしょう?」  冬枝は言った。夫の架山になり代っての言い方であったが、冬枝は冬枝として、貞代からうしろ指をさされないだけのことをしておこうといった気持であったのである。  八月の終りに、貞代の兄がみはるを引取りにやって来た。 「どうだ、みはるちゃん、東京のお家《うち》の方がよくなったんではないか」  義兄が言うと、 「ううん、京都の方がいい」  みはるは言った。みはるの正直な言い方で、架山も、冬枝も、義兄も笑った。明るい笑いだった。  みはるが義兄に伴われて京都に向かう日、架山は光子を連れて、東京駅まで送った。八月の終りのむし暑い日の午後だった。 「京都駅にお母さんが出迎えてくれているだろう。これからは今までとは違って、都会の学校へ通うんだから、敗けないように勉強するんだね」  架山は月並みなことを言った。言いながら、これが、一組の父と子として二人が交す最後の言葉だという気持があった。そうした架山には答えないで、 「光ちゃん、お正月に遊びに来るわ。お土産持って来てあげる。ほんとよ。嘘言わないわ」  みはるは言った。姉らしい言い方だった。しかし、正月にこの幼い姉妹が東京で顔を合わすようになろうとは考えられなかった。何年も、何十年もあと、大人に生い育った時、二人は腹違いの姉妹として顔を合わせることがあるかも知れない。おそらくそうした時は来るであろうが、それまではお預けだ、そんな風に架山は思った。�お預け�という言葉が一番ぴったりしていた。二人にとっては何のためのお預けか判らないだろうが、とにかくお預けなのである。  発車時刻が来た時、みはるは顔を窓|硝子《ガラス》にくっつけた。光子が小さい手を振ったので、架山も手を振ってやった。みはるの背後に立っている義兄が最後に、笑顔で会釈した。何も心配しないでいいよ、こちらがいっさい引受けたからね。義兄の顔はそう言っているように見えた。  ホームを出て八重洲《やえす》口の自動車の乗り場に出ると、烈しい夕立だった。雷鳴まで聞えている。みはるを送り出した時はまだ雨滴が落ちていなかったので、ごく短い間に、夕立は襲って来たのである。  自動車は少し離れたところの溜《たま》り場に置いてあったが、そこまで出向いて行くわけにはいかなかった。ずぶ濡《ぬ》れになるのを覚悟して走れば走れないことはなかったが、光子をひとりで待たせておくのも心配だった。運転手もこちらを注意してくれているに違いなかったが、烈しい雨の幕に遮られて見通しは利かないものと思われた。架山は光子といっしょに雨が少し小降りになるのを待つことにした。  ——親というものは、ひとりの子供と、このようにして別れていいものかね。  そんな声が聞えた。誰の声でもなかった。架山自身の心の内部から聞えて来る声であった。  ——よくはないが仕方ないじゃないか。子供ができてしまってから、親たちは別れることになったんだ。子供はどちらかへ引取られねばならぬ。  架山は烈しい雨脚を見守っていた。みはるを乗せている列車もまた雨に叩《たた》かれているだろうと思った。  京都へ行ってから間もなく、みはるは冬枝宛てに葉書をよこした。  ——長い間、いろいろお世話さまになりました。元気で京都の学校に通っています。お友だちも、もう何人かできました。京都の言葉が初めは変に聞えましたが、いまはなれました。楽しく毎日を送っています。ごあんしん下さい。みなさんによろしく。  葉書には鉛筆でそう認《したた》められてあった。宛名が冬枝になっていること、お父さんのおの字も認められてないこと、そうしたところに貞代の眼が感じられた。  この葉書以外はもう音信はなかった。架山は正月の賀状の束の中に、あるいはみはるからの葉書がはいっていないものでもないと思ったが、そうしたものはなかった。考えてみれば、期待する方が虫がよかった。 「お正月のお休みのうちに、姉ちゃん来るかしら」  光子が言うと、 「来ませんよ」  冬枝は答えた。 「どうして来ないの」 「ご用事があるんですって」 「じゃ、光ちゃん、遊びに行こうかしら、連れてって」 「お母さんもご用事があって、京都なんかへ行っている暇はありません」  二人が話すのを聞いていて、架山はこうした会話を耳にするのも今年だけで、来年の正月にはみはるの映像は光子の頭の中から消えてしまっているのではないかと思った。  架山は会社の仕事で京都へ出向くことがあったが、初めの間は、ホテルの部屋の窓から京都の街の灯を眺める時、この灯のどこかにみはるが生きているといった思いを持った。会いたいとか、心配になるとか、そんな思いではなかった。自分の子供が、父親の自分とは無関係に、この灯のどこかで生い育っているという思いであった。感傷的な気持ではなく、強いて言えば、こうしたことが許されていいのか、どこか間違っているのではないか、という自分自身への問いかけの気持であった。貞代に関しては何の感情も動かなかった。愛情もなければ、憎しみもなかった。もともと二人は別れることを望み、それぞれが望むように別れたのである。そして確かに別れた方がよかったと思う。貞代はひとりになって初めて自分の持っているものを生かすことができたのであり、架山は架山で、貞代に代って冬枝という平凡な人生の伴侶《はんりよ》を得たことによって、初めて自分の道を切り開くことができたのである。冬枝と仕事とは無関係であるという見方もできたが、架山はそうは思っていなかった。何の取得もない、おとなしいだけの冬枝を妻とすることによって、それまでとは全く違った気持で、架山は仕事に打ち込むことができたのである。  みはるが京都の母親のもとに引取られてから二年ほど経った時、突然みはるは架山の会社に姿を現わした。秋の終りであった。  架山は自分の部屋でみはると会った。みはるは中学生になっており、学校の旅行で日光に行き、いまはその帰りだということであった。東京には二泊するらしかったが、スケジュウルはぎっしり詰まっていた。架山は久しぶりでみはると食事を摂《と》りたかったが、 「そとでお友だちと、お友だちの親戚《しんせき》の小母《おば》さんが待っています。大人の人といっしょでないと外出は許されないので、その小母さんに連れて来て貰《もら》ったんです。これからその小母さんの家に行って、ごはんをごちそうになり、八時までに旅館に帰ることになっています」  みはるは言った。 「その小母さんの家って、どこ?」 「新宿です」 「それは忙しいね」  架山は腕時計に眼を当てて言った。お茶を飲ませてやる時間もなかった。 「お母さんは元気だね」 「元気すぎるくらいです。夏にフランスに行って来たんですが、またこの暮れに行くんですって。ハリキリママです」  みはるは言って、口もとに明るい笑いを浮かべた。暫《しばら》く会わない間に、みはるはすっかり娘々して来ていた。架山には急に大人っぽくなったみはるの喋《しやべ》り方も眩《まぶ》しかったし、セーターを少し持ちあげている胸のふくらみも眩しかった。 「お母さんがここを訪ねるように言ったの?」 「いいえ」  みはるは首を横に振った。この時だけ表情を硬くした。そして、 「急に思い付いたんです」 「急にか」 「ええ」  みはるは首をすくめて見せた。どこかに父をからかっているようなところがあった。 「お小遣いはあるか」 「あります。お友だちの中で、わたしが一番たくさん持っています。要らないと言うのに、ママがむりにくれるんですもの」 「困ったママだね」  それから、架山は時計を見て、 「さあ、時間だ。帰んなさい」  と言って、自分から腰をあげた。架山がビルの入口まで送って行こうとすると、みはるは、それには及ばないと言った。断わり方に多少強いところがあった。架山はみはるの友だちの親戚の人というのに礼を言っておいた方がいいのではないかと思ったが、その考えを引込めた。自動車も自分のを使って貰ってよかったが、それも言い出さなかった。少女には少女の自分というものの出し方もあれば、守り方もあるだろうと思った。  みはるが帰ってから、架山は暫く社長室の中を歩き回った。何回も、みはると交した会話を反芻《はんすう》した。どう考えても、暗い影はなかった。みはるは明るいものしか残して行かなかったと思った。辞去して行く時、普通の子供とは違って、自分の父親を友だちにも、友だちの親戚の家の人にも見せるのを避けるようなところがあったが、みはるのような立場の少女では、この程度のことは仕方ないだろうと思った。架山自身にしても、みはるの友だちや、その友だちの親戚の人に顔を合わせた場合、どこにも差し障りないような言葉を探すとなると難しかった。父親として礼を言うのも変であったし、と言って、父親であるということを伏せて、当り障りない礼の言い方をするのも変なことであった。みはるとしてはそうした父親を友だちに紹介するのも、友だちの親戚の人に紹介するのも嫌だったに違いない。あるいは自分が嫌なのでなくて、そうした立場に父親を立たせることを、みはるはみはるなりの考え方で避けようとしたのかも知れない。  もしかしたら、みはるは自分をかばっていたのではなく、父親としての架山をかばっていたのかも知れない。こういう考えに突き当った時、架山は心の底にしんとしたものの走るのを感じた。自分と貞代は、それぞれ自分勝手な考え方で離婚しただけのことであるが、そのことのために新たに設定された常凡ならざる境遇のもとに、一人の少女は生い育って行きつつある。父親も母親も知らない自分だけの人生を持とうとしている。架山みはるならぬ時花みはるは、彼女だけしか持たぬ触角を、あちこちに動かし、自分の進んで行く道を自分なりに確かめようとしている。  みはるに関するこういう感慨はあったにしても、架山にとってはみはるの思いがけぬ訪問は、やはり明るく嬉《うれ》しいものであった。みはるを貞代に与え、貞代の籍に入れたことは、そうしないより、みはるにとってはいいことであったに違いないといった安堵《あんど》の思いがあった。  みはるが会社に訪ねて来たことを、架山は妻の冬枝に話した。話すべきか、話さないでおくべきか迷ったが、やはり話しておく方がいいと思ったのである。 「そりゃ、みはるちゃんも訪ねて来たかったでしょう、お父さんですから」  冬枝は言ってから、放心したような視線を遠くに当てた。そして、 「却《かえ》って仕合わせかも知れないわ、みはるちゃん」 「どうして」 「別れているということで、お父さんからも特別に大切にされて」  その言葉には多少の毒があった。 「変なことを言うなよ」 「でも、そんな顔をしていらっしゃる」  冬枝は言った。  次にみはるが架山を訪ねて来たのは、翌年の夏の初めであった。この時も、みはるはなんの前触れもなしに、友だちと二人で会社に姿を現わした。二日前に上京して来て、友だちの親戚の家に厄介になっており、あすからは、その家の人に連れられて、そこの軽井沢の別荘へ行くということだった。 「軽井沢には何日居るの?」 「一週間ぐらいです。もっと居たいんですが、この夏休みは勉強しなければならないんです——ねえ」  みはるは連れの相鎚《あいづち》を求めた。来年の高校受験に備えての勉強だということだった。 「帰りは東京へ出るね」  架山は言った。その日はあいにく外すことのできぬ集りがあって、二人の少女に付合ってやれなかったので、もし帰途東京に立ち寄るのであれば、その折り、食事でもいっしょにしてやろうと思ったのである。 「いいえ、お家《うち》の人が京都まで送って下さることになっています。ですから、東京へは戻らないで、軽井沢からまっすぐに京都に行きます」  みはるは言った。 「それは残念だね。それにしても、いろいろと厄介になるんだね」  架山は言った。本来なら父親の自分が受け持たなければならぬようなことを、その友だちの親戚の家に全部肩替りして貰っている恰好《かつこう》だった。親がなくても、子は育つと言うが、確かに子供は育って行くという感じだった。  架山は社長室で、二人の少女に洋菓子と、紅茶と、アイスクリームを食べさせ、帰りに二人が厄介になっている家に果物の包みを持たせてやることにした。秘書課員の手で果物の包みが運ばれて来た時、 「なんと言って持って行きましょう」  みはるは言った。 「そうだね」  架山はすぐには言葉を出さなかった。自分からだと言うと、なるほど差し障りがあるかも知れなかった。 「そのお家では、みはるがここへ来たことは知っているね」  一応そのことを確かめるつもりで、架山が言うと、 「いいえ」  みはるは首を横に振った。 「知らないの?」  架山はこんどは連れの少女の方に顔を向けた。すると、 「だって、秘密ですもの、——ねえ」  と、連れの少女は、みはるの方へ顔を向けた。少女の口から出た秘密という言葉が、架山には刺戟《しげき》的だった。いま自分の前で無心げにアイスクリームのスプーンを嘗《な》めている二人の少女を、架山は改めて見直さなければならぬような思いを持った。  みはるの連れの口から秘密という言葉が出たことで、彼女が、みはるの架山訪問を、親戚《しんせき》の家に対して秘すべきものと判断していることは明らかであった。おそらくこの二人の少女たちは、ここへやって来るまでに、いろいろのことを稚《おさな》い話し方で話し合ったことであろうと思う。  みはるはいまは姓を異にしている父親を訪ねて来るということに於《おい》て、一つのドラマの主人公であり、みはるの連れは、おそらくその同情者であり、理解者であり、そして現在の立場は父子対面のドラマの立会人であるに違いなかった。 「お家の人に、ここに来ることを言って来ないんだったら、——そうだね、だれかに貰《もら》ったことにして持って行ったら?」  つとめて無頓着《むとんちやく》な言い方で、架山は言った。やはり果物包みは持って行かせる方がいいと思った。それでは持って行くのはやめなさいという言い方もあったが、秘密だと言われて、それではと引込めたことになりそうで、それが少女たちの心にどう反応するかも考慮しなければならなかった。 「でも、よします。こんな大きなもの、持って行くのがたいへんだわ」  みはるは言った。子供としての甘えの感じられる言い方が、架山には快くもあったし、いまの場合は何よりも救いの言葉であった。 「なるほど、ね。——じゃ、やめなさい」  架山は言った。それから、 「遅くならないように帰らないと」  と注意すると、 「彰子ちゃんと、彰子ちゃんのお兄さんが、ここへ迎えに来てくれることになっています。もう来ているかも知れません。くるまでお家まで送って貰います」  彰子ちゃんなるものも、そのお兄さんなるものも、いかなる関係にあるか知らないが、少女たちは少女たちで、自分たちの社会を持っていて、世話をしたり、世話になったりしているように見えた。  みはるはこの二度目の訪問では、一言も母親の貞代のことについては口から出さなかった。友だちを連れて来ていたので、父親の前で母親のことを言うのを避けたのであろうと、架山には思われた。  三度目に架山がみはるに会ったのは、その翌々年の秋である。友だちと二人で会社に姿を見せた時から二年と二か月ほど経過している。  その日、架山は会社で、みはるからの電話を受けとった。 「わたくしです。——みはる」  架山は、瞬間、自分の周辺にぱあっと明るい光線が射して来たような思いを持った。 「いま、どこ」  架山は訊《き》いた。 「SYホテルです。ママの講習会があるので、それについて来たんです」 「学校は?」 「お休みです。連休が続いているでしょう。——でも、東京に来ないで、お友だちと九州へ旅行した方がよかった!」 「どうして」 「ママったら、朝八時にホテルを出ると、夜遅くまで帰って来ないんです。きのうも、おとついも、ひとりぼっちです。今夜も、そうにきまっています」 「京都には、いつ、帰るの?」 「あすです」 「じゃ、会社へ来ないか」 「でも、ママにひとりでホテルから出ることを禁じられています」 「そりゃ、気の毒だね」 「でも、行きましょうか、お父さんの会社に。タクシーに言ったら、行けると思うんです」 「まあ、お母さんから出てはいけないと言われているんなら、出ない方がいい。——よし、付合ってあげよう、一時間ほど。くるまでそちらに行ってあげるから、ロビイで待っていなさい」  架山は言った。電話を切って、時計を見ると、五時少し回っている。架山はすぐ秘書課にくるまの用意を命じた。六時から会合がひとつあったが、その方は休むことにした。架山は、自分の気持が、愛人から呼び出しの電話でもかかってきた男のように、無抵抗にその方に惹《ひ》きつけられているのを感じていた。  SYホテルでくるまを降り、回転ドアを押そうとすると、横からみはるが飛び出して来た。 「一時間か二時間ぐらいなら、ホテルをはなれても大丈夫です。ママは帰って来っこありません」  みはるは言った。 「じゃ、ホテルの屋上へでも行って食事をしよう」  架山が言うと、 「でも、ホテルでない方がいいんじゃありません?」  みはるはそんな言い方をした。ホテルでは、母親と顔を合わせることがないでもないから、なるべくなら他の場所の方が安全であろうという意味らしかった。架山はそんな娘に、多少たじたじになるものを感じていた。 「では、どこか近くでごはんを食べよう」  架山は言った。姿態は同年配の少女よりむしろ稚く見えたが、口から出る言葉も、話す時の表情も、この前の時に較べると、みはるはすっかり大人っぽくなっていた。  みはるは何か取って来る物でもあるのか、部屋に引返して行ったが、彼女が戻って来るまでの間、架山は煙草をくわえて、ホテル前の広場の雑踏に眼を当てていた。そしていま一体、自分はいかなることをしようとしているのであるか、といった複雑な思いに揺られていた。二人の女の眼からかくれて、みはるを連れ出そうとしている。自分から計画したことではないが、結果から見れば、明らかに貞代と冬枝という二人の女性の眼の届かないところで、自分はみはると、一組の父と娘としての短い時間を持とうとしているのである。そして、みはるの方はみはるの方で、これまたそのことに幼い頭を働かせている。これでは、まるで共同謀議じゃないか、架山はそんなにがさも甘さもある奇妙な思いにひたっていた。  みはるが戻って来た。架山は、くるまを呼び出して貰っている間、自分の傍に立っているみはるの横顔に眼を当てていた。そして、いまここに立っている自分とこの少女は、紛れもない一組の父と娘であるといったそんな思いに打たれていた。確かに父であり、娘であった。そして二人は共同の立場に立って、二人の女性の眼を逃れて、二人だけの短い会食の時間を持とうとしている。その二人の女性というのは、みはるにとっては一人は生母であり、一人は曾《かつ》て母と呼んだ女性である。架山にとっては一人は先妻であり、一人は現在の妻であった。 「どうしたんでしょう。くるま、なかなか来ませんわね」 「いまに来るよ。どこか駐車場にはいっているので、少し時間がかかる」 「ホテルってところは、ずいぶんたくさんのくるまが、一日中出たり、はいったりしているんですね。一体、どのくらいの数なんでしょう」 「さあね」 「初めはホテルに泊っている人ばかりかと思っていたんですが、そうじゃないのね」 「そりゃ、そう。何組も結婚式が挙げられているし、いろいろな宴会も開かれている。泊り客はごく一部だと思うね」 「お父さんも、ここにいらっしゃることありますか」 「月に一回か二回はある。ほかのホテルにも行く。多勢集る会となると、結局はホテルを使うことになるからね」  そんな会話を交しながら、もう一度架山は、ああ、いま父と娘は、父と娘として話をしていると思った。そう思った瞬間、言い知れぬ悲哀感が、架山の心に立ち籠《こ》めて来た。  架山はなぜか、自分は、いまこうしてみはると自動車を待っている短い時間のことを、一生忘れることはないのではないかという思いに捉《とら》われていた。二人が眼を向けているホテルの前の広場に漂っている秋の暮方の白い光も、次から次に絶えることのない自動車の出入りも、そしてホテルの回転扉から休みなく吐き出されては、いずこともなく散って行く白人旅行者たちの群れも、それからそうしたものいっさいの背景をなして、漸《ようや》くともり始めた無数の街の燈火の淡い光も、そしてまたいま自分とみはるが取り交しているとりとめない会話の一語一語も、自分は一生忘れることはできないのではないか。自分が忘れることができないように、みはるの方もまた忘れることはできないのではないか、と思った。  いつの日か、後年、二人はそれぞれにこの秋の暮方の、ホテルの玄関口の雑踏の中に立っていた時のことを、特別なものとして思い出すことがあるのではないか。架山は言い知れぬ悲哀感に包まれていたが、その悲哀感を生み出しているものの正体は、謂《い》ってみれば一人の父親のこのような思いであったようである。  くるまが二人の前に滑って来た時、 「さあ、乗りなさい」  架山は扉を開いてやった。 「大きなくるま!」  みはるはそんなことを言って乗った。  架山は近くの、よく知っているレストランの名を運転手に伝えた。くるまは父と娘を乗せて、漸く秋の気の流れ始めた東京の街を走った。 「大学はどこへ行く?」 「まだ決めてありません。本当は芸大へ行きたいんですが」 「ほう、絵を描くの?」 「いいえ、やるんなら彫刻です」 「彫刻、たいへんなものをやるんだね。だが、そういうものをやるには特殊な才能が要るんだろう」 「才能なんてありませんけれど、わたし、好きでしょう? ですから——」  好きでしょうと言われても、好きか、好きでないか、架山は知らなかった。それに、彫刻をやりたいと言っても、それを真に受ける必要もないであろうと思われた。単なる十六歳の少女の夢であるに過ぎなかった。小学校の一年生に将来何になりたいかと訊いたら、看護婦さんと答えたのが一番多かったという話を何かで読んだことがあるが、いまのみはるの場合も、それと同じようなものであるに違いなかった。  架山はみはると二人で、小さいレストランの片隅で、フランス料理を食べた。卓上には小さい赤いランプが置かれてあり、席は全部ふさがっていたが、その割には静かであった。客も一応選ばれており、給仕人たちもきちんとしていた。店内の雰囲気もよかった。 「そとで食事することがある?」 「時々あります。でも、ママと二人のことはありません。ママって、お客さんが好きでしょう。ですから、いつも誰かほかの人といっしょです」  貞代が客好きで、客といっしょにレストランで食事をすることが多いと言われても、架山はそうした貞代を想像することはできなかった。派手な性格であるから、客をもてなすことも好きであるに違いなかったが、架山と生活している時は、そうしたことをする余裕はなかった。貞代はおそらく現在、架山の知らなかったいろいろな面を出して、自分の生活を組み立てていることであろう。それにいまは、服装雑誌や流行雑誌の記者たちに取り巻かれているに違いないし、そうした記者たちにちやほやされて、彼女が本来持って生れて来たものを、彼女らしくさぞ効果的に費《つか》っていることであろうと思われた。  架山には、そうした母親のもとで育って行くみはるが、どのように成人して行くか見当はつかなかったが、しかし、まあ貞代に任しておいて、間違いはないであろうと思われた。生活の苦しみも味わうこともないであろうし、暗い影を持つこともないであろう。貞代自身が一度結婚に失敗した女としての暗さを持たないように、そうした母親のもとで育って行くみはるもまた、特殊な環境から来る暗さを身に着けることはないであろうと思われる。 「本を読むのは好き?」 「好きです。でも、ママが取りあげてしまうんです。眼が悪くなるからと言って」 「そんなに読むの?」 「ママ遅く帰って来るでしょう。家へ帰って来ると、すぐわたしの部屋を覗《のぞ》いて、また本を読んでいるって叱るんです。そんな時、わたしも言ってやるんです。ママ、またお酒飲んでるって」 「ほう」  と言ったまま、架山はその会話をそこから先は続けなかった。しかし、みはるの方はおかまいなしだった。 「ママって、現実的でしょう、ロマンティックでなくて」  こんなことを言うところは本を読む影響であるかも知れなかった。  一時間ほどで食事が終ると、架山はホテルまでみはるを送った。 「もっといっしょに居てあげてもいいが」 「でも、もういいんです。大丈夫とは思いますけど、——いいわ、もう」  可憐《かれん》な密会の片割れは言った。  みはると別れて、くるまで家に向かう架山の心をいろいろな思いが去来した。ホテルでくるまを降りると、ちょっと会釈してすぐ背を向けたみはるの姿が、いつまでも架山の眼から消えなかった。父と別れる普通の少女の別れ方ではなかった。その思いきりよい背の向け方には、やはりたまたま会った父と別れる瞬間の少女の心がはいっているに違いなかった。  それはそれとして、父にとっても、娘にとっても、今日の会食はいいことであったと、架山は思った。自分も楽しかったし、みはるも楽しかった筈《はず》である。僅《わず》か一時間ほどの短い逢瀬《おうせ》であるが、充分楽しかった逢瀬であったと思う。逢瀬という言葉はもうこの世から消えかかっているが、今夜の自分たちの場合にはぴったりした言葉だと思う。逢瀬というような言葉を必要とする男女の関係はもう現代には残っていない。ひと眼をしのぶ愛もないし、その仲をさかれるような愛もない。悲しい恋愛があった時代はもう遠く去ってしまった。愛は性の衝動か、性の取引か、そんなものと置き替えられようとしている。親と子の間の愛には性がなく、しかも本能的なものに支えられているから、前時代の悲劇の要因がなお生きられる余裕があるのかも知れない。  しかし、今宵《こよい》の逢瀬がみはるには果して楽しかったろうか。それは自分に対しても言えることである。果してお前はみはると会って楽しかったか。  この新たにやってきた思いが、暫《しばら》く架山を落着かせなかった。みはるも自分も、父と娘という関係がどのようなものであるか、それを確かめるために会ったようなものである。父と娘のたまさかの逢瀬がどのようなものであるか、父は父で、娘は娘で手さぐりし、何か確《しつか》りした手ごたえのあるものを掴《つか》もうとして、結局は何も得なかったではないか。手に触れるものは、ひんやりした感触のものばかりである。つめたく、悲しく、幾らか暗いところのある思いで、二人はお互いに相手を労《いたわ》り、そしてさりげなく別れてしまったのではないか。  架山は今頃みはるは悲しい気持になって、ホテルの部屋の椅子にぼんやりと腰かけているのではないかと思った。そう思うと、架山は自分の心を、なんの憚《はばか》るところなく、おおっぴらに悲しい気持がわきあがって来るのを感じた。  娘に対して縁薄く生れついた男が、父親に対して縁薄く生れついた少女のことをいま考えている。久しぶりで会って、いっしょに食事をし、そして別れて、救えない悲哀の気持に襲われている。架山は明るい灯の街の中を、停まったり、走ったりして、運ばれて行った、光子というもう一人の娘の居る家庭に。  次にみはるが訪ねてきたのは、翌年の春であった。上野の桜が満開であるという記事が新聞にのった日で、ビルの窓から見る街も、何となくざわざわした行楽の気分に占められ、強い風にあおられた紙片が、鳥でも飛んでいるように点々と、空の高所に舞いあがっていた。  架山はK会館に貿易関係の会合があって、それに出席するために、階下に降りて行ったのであるが、その時、くるまの手配をしていた秘書課員がやって来て、 「いま、ご面会の方が見えておりますが」  と言った。架山は受付の方へ眼を投げて、すぐみはるだと思った。  架山がその方へ歩いて行くと、みはるも近寄って来た。 「これから用事でよそへ出かけなければならない。夕方からは暇になるから、もう一度出直して来て貰《もら》いたい」  架山は言った。ほっそりした体を包んでいる白のカーデガンが、架山の眼には清潔に見えた。すると、 「よかったわ、会えて、——危いところ」  みはるは言って、 「これからおくにに行きます。行ってもいいでしょう」 「おくにって、伊豆へ行くの? そりゃ、構わないが、どこに泊る?」 「旅館です。もうお部屋もとってあります」 「どの親戚《しんせき》に泊ってもいいのに。長く行かないからみんな悦《よろこ》ぶだろう」 「でも、お友だちといっしょです。わたしひとり親戚に泊るのは悪いでしょう。ですから——」  何が悪いか判らなかったが、みはるはそんなことを言った。分別ありげな言い方ではあったが、やはり稚《おさな》さがあった。 「じゃ、伊豆からの帰りに寄りなさい」 「ええ、はっきり判りませんが、できたら、そうします」  みはるは言った。 「これから、どこへ行く?」 「東京駅です」 「では、そこまでいっしょに行こう。送ってあげる」 「でも、お友だちとここで待ち合わせることにしてありますから」 「そりゃ、残念だね」  架山は本当に残念だと思った。K会館は東京駅の近くだったので、友だちと待ち合わせてさえいなければ、たとい短い時間でも、そこまでみはると話すことができる筈だった。  みはるはくるまのところまで架山を送って来た。 「では、なるべく、帰りに寄りなさい」 「はい」  みはるは素直にうなずいて、くるまの座席に腰を降ろした架山の方に手を振った。胸のところで手先きだけ動かす小さい手の振り方だった。  くるまが走り出してから、胸のところで小さく手を振っていたみはるの姿が眼にちらついていた。折角訪ねてきたのにろくに話もせず、逆に自分の方がみはるに送られて出て来たことが、心ない仕打ちのような気がして、架山はなんとなく気になった。 「すまないが、ちょっと戻ってくれないか」  架山は運転手の方に声をかけた。 「会社へでございますか」 「そう」 「承知いたしました」  運転手は言った。しかし、何程も経たないうちに、 「いや、よろしい。このまま行って貰おう」  と、架山は自分の言葉を訂正した。もう一度会社へ戻ってみたところで、せいぜい数分の時間を、みはるのためにさくだけのことであった。くるまはそのまま埃《ほこり》っぽい春の街を走って行った。  架山はそれから何日か、みはるが会社を訪ねて来ることを心待ちにしていた。しかし、みはるは姿を見せなかった。伊豆からそのまま京都へ向かったものと思われた。  架山は、時折り、伊豆の風物の中にみはるを置いてみた。眼に触れるすべてのものが、みはるにとっては、幼時の思い出と関係を持っているものであった。祖母の思い出もあれば、小学校時代の思い出もあるだろう。それから郷里にはたくさんの幼友だちが居る筈である。そうした友だちと、みはるはどのようにして会い、どのようにして語ったことであろうか。架山は、久しぶりで自分が生い育った伊豆を訪ねて行ったみはるのことを、あれこれ思い描いた。  架山は伊豆の親戚の一軒に電話をかけて、みはるが訪ねて行ったかどうかを訊《き》いてみた。しかし、みはるはその親戚を訪ねてはいなかった。 「みはるちゃんが、どこかへ顔を出せば、すぐ判るが、どこからも、そんな話は聞かんからのう」  親戚の老人は言った。この老人の言葉で、架山は多少暗い気持になった。みはるは少女らしい気の遣い方をして、郷里の人たちの視野の中に自分を置くことを避けたのであろうか。大人の考え方では何でもなく通ることが、少女の繊細な神経にかかると、それはいろいろの意味を持って、思いがけない反応の仕方を示すのであろう。みはるはそうした神経を持って、こっそりと己《おの》が生い育った郷里の風物を見に行ったのであろうか。そうしたみはるを思うと、架山にはたまらなく哀れに、いじらしく思われた。  みはるを架山の籍からぬき、貞代の手許《てもと》に渡してから、架山がみはると会ったのは四回である。架山は時花みはるという他家の娘となったみはると四回会ったのである。二回は短い時間会社の社長室で、一回はそれでも一時間ほど小綺麗《こぎれい》なフランス料理店で食事をしている。そして最後の一回は、会社のビルの玄関口で、郷里の伊豆を訪ねるというみはると、ほんの五分ほど立ち話をして、慌しく別れてしまったのである。  架山とみはるが、たとい短い時間でも、父と娘として相対したことのあるのを知っているのは、会社の秘書課員の何人かだけである。それもどこまで知っているかは、架山にも判らなかった。架山家に何か複雑な事情があるらしいぐらいのことは気付いているだろうが、詳しいことは何も知ってはいない筈《はず》であった。  ただ四回の父と娘の対面のうち、最初の一回だけは、そのことを架山が話したので、冬枝は知っていた。しかし、そのあとの三回については、架山は冬枝に知らせてなかった。知らせるより、知らせない方がいいと思ったからである。もし知らせれば、冬枝は無心ではいられず、最初の時がそうであったように、遠回しの当てこすりのひとつぐらいは言うであろうし、それを聞けば聞いたで、架山の方も腹を立てることになる。そういうことになるなら、初めから知らせないでおくに越したことはないという架山の考え方であったのである。  それでも、一、二度、冬枝はみはるのことを口に出したことがある。 「どうしているでしょうね、みはるちゃんは」 「さあ、ねえ」 「その後、来ません?」 「うむ」 「逢《あ》いたいでしょうにねえ」 「うん」 「あなたの方もお逢いになりたいでしょう」 「そりゃあ、ねえ」 「——でしょうね。こだわらないで、来ればいいのに、みはるちゃんも」  しかし、そうした場合、最もこだわるのは冬枝自身であるに違いなかった。光子の方はどう思っているのか、みはるのみの字も口にしなかった。小さい時、あれほど姉のみはるを慕っていたので、みはるのことを、時には思い出さない筈はなかったが、この方はみごとにみはるのことに関しては口を緘《かん》していた。そうした光子に、架山は少女だけの持つ、大人の遠く及ばない細心さと、繊細な配慮とを感じた。みはるが持っていると同じものを、光子もまた持っているに違いなかった。  みはるが琵琶湖でボート顛覆《てんぷく》という思いがけない事件で短い一生を終えることになったのは、会社のビルの玄関口で、架山が郷里の伊豆を訪ねるというみはると、慌しく別れてから一か月半ほど経った時である。五月の終りで、そろそろ梅雨期にはいろうとする頃であった。  架山は毎年雨期にはいると、胸がうずき、全身がしびれるような暗い思いに打たれる。救いというものが、どこにもない暗澹《あんたん》たる気持である。架山はこのところ毎年のように五月から六月にかけて外国旅行をすることが多いが、これはひとえに、この時季の日本から逃れ出したいためにほかならない。雨雲に覆われた重い空も、湿った雑木の縁に包まれた山や丘も、そしてこの季節独特の夜の闇の濃さまでが、架山は嫌いである。しとどといった感じで降る五月雨《さみだれ》の音も、夏への移行を思わせるような烈しい風の吹き方も、また突然思い出したように陽光の射してくる気まぐれな晴れ方も、それからこの季節だけに見られる暮方の白っぽい光線の漂い方までが、なべて架山は嫌いである。その一つ一つが、身も心も腐蝕《ふしよく》させるような暗い思いに裏打ちされている。  すべては時が解決するという。その�時�というものに頼って、架山はここ何年かを過ごして来ていた。そしてこの一、二年、架山は漸《ようや》くにしてみはるの事件から、僅《わず》かながら立ち直ることができている。架山が祈るような気持で時の経つのを願ったその�時�というものの力も大きく作用していたし、それからまた、みはるの事件を、みはるの持った運命であるとする考え方に徹したということも、架山の立ち直りに与《あずか》って力があるようである。  架山はみはるの事件が起るまで、運命という言葉を、凡《およ》そ自分とは無縁、無関係なものとばかり思い込んでいた。運命という言葉も、運命論者という言葉も嫌いであった。人間の持っているあらゆる精神の力、意志の力を頭から否定してかかっているこの言葉の不遜《ふそん》さも腹立たしかったし、人間に無条件に諦《あきら》めを強要するこの言葉の欺瞞《ぎまん》性にも耐えられなかった。  しかし、架山は結局のところ、自分が否定し、押しのけていたそうしたものに救われる以外仕方なかったのである。  架山はみはるの顔を瞼《まぶた》に浮かべる。それはみはるという運命の顔であった。架山はみはるの言葉を思い出す。それはみはるという運命が口に出した言葉であった。架山はこの一、二年、みはるという運命と顔を合わし、みはるという運命と話している。みはるの短い生涯を動かし、決定したものを、みはるの持った運命と考えることができてから、架山は、しんとした思いの中で、曲りなりにも、自分を支えることができるようになったのである。みはるを運命と考えるということは、自分という人間をもまた一つの運命と考えることにほかならなかった。  架山という人間が、みはるという人間を考えている時は、架山は救われなかった。父親として娘のことを考えている間は、架山はどこへも逃れて行き場のない無間地獄に落ちていた。どこを見回しても、青い火や赤い火の業火が燃えていた。  架山という一個の運命が、みはるという一個の運命を考えるようになってから、たとい足許の業火は消えなくても、架山は、その中に身を支えて立つことができるようになったのである。二個の運命はどこかで繋《つな》がっていた。その繋がっているという思いが、架山を何ものかに向かって、面《おもて》をあげて立たせたのである。  しかし、大きくは運命であるにしても、運命とは無関係な思い出もあった。架山は、みはると会った時のことを心に浮かべると、いつも逢瀬《おうせ》という言葉が思い出されて来た。この言葉は、二人がフランス料理店で食事をし、ホテルの前で別れ、そしてひとりでくるまに揺られていた架山の心に初めて顔をのぞかせたものであったが、それがその後|執拗《しつよう》なほど度々、架山の心に立ち現われて来た。  この逢瀬という言葉が持っている思いは、その度に架山を苦しめた。二人の逢瀬はいつも娘のみはるによって作られたものであったからである。考えてみれば、四回の逢瀬が一回残らず、みはるによって提供されたものであった。いつも、みはるの方が架山を会社に訪ねて来ていたのであり、架山の方からみはると会う機会を作ったことは一回もないのである。みはるという幼い運命がいつも、意識して、架山という父親の運命に寄り添って来ていたのである。  しかし、そうしたことはあったにしても、架山は事件以来初めて今年、五月から六月へかけての、架山にとっては暗い雨期を、日本に於《おい》て過ごしていた。実際に仕事も忙しく外国旅行のスケジュウルを立てることは難しくもあったが、とにかく架山自身がそうした気持になるだけの立ち直りを見せていたのである。  そのような状態にある時、娘の光子から電話があって、その光子の声の中に、みはるが立ち現われて来たのであった。みはるに較べると、光子は仕合わせに生れついていた。何不自由なく明るく、両親の膝下《ひざもと》で生い育っていた。その仕合わせな娘の声と、不仕合わせな娘の声とが、まるでどちらがどちらとも区別ができないほど似ていることに、架山は初めて気付いたのである。  光子と電話で話したあと、これから当分苦しむなと、架山は思った。家に帰っても、当分の間、光子の声を聞く度に、みはるのことを思い出すのではないかと思った。と言って、実際に光子の声がみはるの声に似ているかどうかは判らなかった。たまたま架山にそう聞えたのであって、架山が毎年のように避けていた特殊なこの季節に関係があることかも知れなかった。 [#改ページ]     湖 心  架山は電話で聞いた光子の声がみはるの声に似ていることで、当分自分は苦しむのではないかと思ったが、このことは杞憂《きゆう》に終った。家に居ると、光子の声の聞えるところに身を置いていることが多いが、その後一度も光子の声からみはるの声を連想したことはなかった。会社で光子からの電話を受けとった時、その時だけたまたま、それがみはるの声に似て聞えたのであろう。  五月の下旬にはいった時、架山は二泊の予定で北陸に旅行することになった。高校時代の友だちで、金沢で開業している医者の杉本から息子の結婚式の披露宴に招かれ、それに応ずるための北陸行きであった。杉本とは長く会っていなかったが、学生時代には一番親しく付合った間柄である。気心もよく判っていた。  架山はみはるの事件以来、交際範囲をかなり大幅に縮小していた。仕事関係の交際は切りつめるわけにはいかなかったが、仕事とは無関係な友だち付合いの方は、思いきって切れるだけ切っていた。みはるの不慮の死は誰からともなく、そうした仲間の間にも伝わっていたので、同情的な眼で見られるのも嫌であったし、同情的な言葉をかけられるのも避けたかった。  しかし、杉本から結婚式の招待状を貰《もら》った時、架山はこれだけは応じないわけにはいかないといった気持だった。日頃手紙のやりとりをしているわけでもなく、時折り顔を合わせるというわけでもなかった。自分の息子の結婚式の時、杉本は親しい友だちとして架山のことを思い出したに違いなかった。平生は親しく付合ってはいないが、こういう場合は、誰をさし置いても架山にだけは来て貰わないとといった相手の気持が、架山には手にとるように判った。そうした杉本の気持を酌むと、架山の方は架山の方で、これだけは何を置いても行ってやらなければなるまいといった気持になった。  友情というものはおかしなものである。学生時代から今日までずっと交際しているからと言って、一番親しいというわけでもない。架山は、自分と杉本の関係などは、なかなかいいと思っている。毎日のようにいっしょだったくせに、その時代が終って、それぞれ自分の道を歩き出すと、あとはお互いに音信不通である。お前はお前、俺は俺といったところがある。と言って、若い日の友情が断ち切れたというわけではない。それを示す時がなければ一生無縁に過ごしてしまうだろうが、何かの拍子に、相手が手をあげれば、こちらもそれに応じて手をあげるのに吝《やぶさ》かではないのである。まあ、謂《い》ってみれば、二人は今は遠く過ぎ去ってしまった若い日の友情を、それに手を触れないという形で温存していたようなものである。そしてごく短い友情の確かめ合いが終ると、あとはもう死ぬまで、おそらく二人は疎遠でいることになるに違いないのである。  北陸行きに二泊の予定をとったのは、たまに会うのであるから、少しのんびりと杉本といっしょに過ごしたかったからである。結婚式の日は、杉本の方は何かと忙しいに違いなく、ろくに話す時間もないであろうから、その翌日を旧友交歓の日に当てようというわけである。このことは杉本が手紙で言ってよこし、それに架山が応じたのである。  架山はモーニングは勘弁させて貰って、黒のダブルの洋服を着て、列車に乗った。米原《まいばら》回りの方が時間的には節約ができ便利であったが、軽井沢、長野を経由して行く列車を選んだ。米原駅で乗り替える北陸線はなるべくは避けたかった。みはるの事件に於《お》ける暗い思い出があった。尤《もつと》もはっきりと意識して北陸線を避けているのではないが、みはる事件以後自然にそういうことになっている。  金沢駅に着いたのは披露宴の始まる一時間前であった。駅には杉本が出ていてくれた。すぐくるまで郊外のホテルに向かった。 「若いな、君は。——苦労ないんだな」  杉本は言った。そう言うだけあって、杉本の方は老けていた。頭髪はすっかり白くなっていて、何となく老人臭かった。 「苦労はあるよ」 「どうかな。——大きな会社の社長だそうだな」 「大きい会社と言ってもピンからキリまである。やりくりがたいへんだ」 「まあ、いいや、どっちでも。それにしても、よく来てくれたな」 「来ないわけにはいかないじゃないか」 「嬉《うれ》しいことを言ってくれるね。有難う、有難う」  それから杉本は息子に貰う嫁の実家の自慢をし、披露宴で祝辞を述べる人たちについても一人一人説明した。いずれも地方の有力者らしかったが、架山にはあまり関心のないことだった。 「披露宴が終ったら、くるまでR温泉に送る。そこに宿をとってある。披露宴をやる同じホテルに泊って貰うのも芸がないからね」 「R温泉には、くるまでどのくらいかかる?」 「一時間足らずだ」  架山は多少うんざりした。披露宴が何時に終るか知らないが、そのあとまたくるまに一時間揺られるのは有難くなかった。 「そんなに気を遣って貰わなくてよかったのに」 「僕も追いかけて行くよ。僕の方は少し遅くなるが」 「でも、今夜はたいへんだろう。無理をしないでくれ」 「いや構わん。酒はいいのを用意してある」  そう言うところから推すと、どうやらR温泉の宿で酒宴を張る魂胆らしく思われた。  ホテルに行くと、架山は花|聟《むこ》、花嫁に紹介された。花聟の方は若い日の杉本と生きうつしだった。親子であるからいくら似てもふしぎはなかったが、それにしてもこれほど似る親子はそうたくさんはあるまいと思われた。花嫁も、小柄で弱そうに見える欠点をのぞけば、素直そうないい女性であった。  それに架山が気持よかったのは、若い二人が父親の一番親しい友だちとして架山を遇したことであった。 「父からお噂は何十回聞いたか判りませんが、結局はお目にかかれないのではないかと思っておりました。それが、父の言う通り本当にお目にかかれました」  青年はそういう言い方をし、いかにも嬉しそうな表情を見せた。 「いらっしゃるか、いらっしゃらないか、二人で賭《か》けをしておりましたの」  花嫁も言って、花聟の方に相鎚《あいづち》を求める視線を投げた。  架山は自分が、父親の杉本ばかりでなく、その息子からも、その息子の嫁になる女性からも好意を持たれていることを知った。もうこの世の中からすっかり姿を消してしまったと思い込んでいたものに、思いがけずぶつかった気持だった。意外でもあり、気持いいことでもあった。  披露宴が始まると、仲人《なこうど》の挨拶《あいさつ》があり、地方の有力者らしい人たちが二、三人、祝辞を述べたあとで、架山も立ちあがった。自己紹介をし、型通りの祝いの言葉を述べたあとで、  ——お若い二人の人生の門出に当って、何かひとことご参考になるようなことを申しあげてみたいと思います。実を申しますと、私はこのような席で若いお二人に、人生とは、結婚とは、このようなものであると申しあげる資格のない者であります。  ——私は結婚に於《おい》ても、人生に於ても、失敗した苦い経験を持っております。仕事の方は、どうにか曲りなりにも初志を貫いて来たのではないかと思いますが、結婚となるとどうもうまくいかなかった。子供を一人つくって別れております。現在妻も持ち、子供も持っておりますが、はっきり申しますと、後妻であり、後妻の子供であります。最初の結婚にはみごと失敗し、二度目の結婚に於て落着いたということになります。それから先妻の子供の方は、ボート顛覆《てんぷく》という不慮の事件で失っております。このような娘の失い方をしております以上、人生に於ても失敗者であると言わなければならぬと思います。このお祝いの席に縁起でもないことを申しあげましたが、あまり花聟、花嫁、および両方のご家族がすばらしいので、本当のことを申しあげてみたい気持になったのであります。  架山はここで言葉を切った。架山は実際にそういう気持になっていた。  ——私はさっきから花聟、花嫁の若いお二人が並んでいらっしゃる姿を見ておりまして、しきりに�縁�というものを感じております。花聟は地球上にかぞえきれないほどたくさんある女性の中から一人をお選びになった。花嫁の方もまた同じであります。何もこの花聟を選ばなければならぬということはありません。それなのに、どういうものか、お選びになってしまった。�縁�と言うしか仕方ないと思います。�縁�という言葉をほかの言葉で申しますと、運命の出会いであります。二つの運命が、いかなる理由によってか、出会ってしまったのであります。出会ってしまった以上、これはもうどうすることもできません。いい出会いであれ、悪い出会いであれ、出会ってしまったものは仕方がない。この運命の出会いに於て、人間ができることは、ただ一つしかない。その出会いを大切にすることであります。私と別れた妻の場合は、二人とも、いっこうに大切にしなかった。もし大切にしたら、お互いにもっと別の人生を歩んでいたかと思います。いくら大切にしても、別れる場合は別れるでありましょう。しかし、大切にして、その結果別れるのと、大切にしないで別れるのでは、そこにたいへんな違いがあります。私と別れた妻の場合は、自分たちが持った運命の出会いというものを、少しも大切にしなかった。その結果、私たち二人は、当然のことながら神の裁きを受けなければなりませんでした。娘の死が、それであります。もし二人が�縁�というものをまじめに考え、大切にしていたら、たとい別れたにしても、娘の死というような事件は起らなかったかも知れない。そういう気持がしきりであります。ここ数年間、折りに触れては、そういう気持に苛《さいな》まれて参りました。  ——どうか、若いお二人は、私のような愚を犯さないで頂きたい。�縁�というものは、なかなかどうしてたいへんなものだと思います。�縁�というと、抹香《まつこう》臭くお感じになるかも知れないが、そういうものではないと思います。哲学の方に、機縁という言葉があるようでありますが、どうも�縁�という言葉と同じものではないかと思います。数学の方にも偶然性という言葉があるらしく、それを研究しているという人に会いました。どうも、それも�縁�の研究ではないかと思います。これは門外漢の私の考えることで、全く違うことかも知れませんが、私にはそんな風に考えられてなりません。自分が�縁�を粗末にしたので、�縁�というものが気になってならないのであります。  ——自分の結婚を大切にしなかったということは、つまり二人が結ばれた�縁�というものを大切にしなかったということは、結局のところその間にできた子供を大切にしなかったということであります。子供の死は、ボートの顛覆によるものでありますから、不慮の事件であります。しかし、不慮の事件であるからと言って、自分の責任ではないという考え方はできません。二人が別れた時、子供はそれまでの運命の路線から、新しい運命の路線に乗り替えたのであります。不慮の事件は、その時、新しい路線の上にすでに設定されていたと思うのであります。私は子供の死を、子供の持った運命だという考え方をしております。ただ、その子供の運命に、親としての自分たちが全く無関係だったという考え方はできないのではないかと思います。  ——私はなべて人間というものは、それぞれの運命を持っていると考えております。その運命の路線の方向をねじ曲げることは、人間の力ではできないかも知れません。しかし、その運命の持つ意味というものは、変えることができるのではないかと思う。その力を持つものは人間の誠意であります。私と、別れた妻がお互いに誠意を持って努力していたら、二人の離婚の意味も変っていたに違いありませんし、それによって子供が持った運命も、また変っていたに違いないのであります。子供は不慮の事件で死なないですんだかも知れません。  ——このお祝いの席で、私自身に関するお恥ずかしいことをくどくどとご披露申しあげましたが、どうかお二人は、私のような愚かなことをなさらず、今日ここにお二人が結ばれるに到った�縁�というものを大切にお考えになって頂きたい。運命の出会いを大切にして頂きたい。そしてお二人の人生行路をすばらしく美しいものにして頂きたい。  架山は結婚式の披露宴の祝辞としては長すぎるスピーチを終った。椅子に腰を降ろしてからも、まだ昂奮《こうふん》が残っていた。本当に若い二人に知って貰《もら》いたいと思ったことが、うまく言えなかったような気がする。 「いや、全くおっしゃる通りですな。世の中のことは、何事も出会いですな、結婚も出会い、仕事も出会い」  隣席のでっぷりした男が言った。架山のあとも、二、三人の者によって祝辞が述べられたが、その間架山は自分だけの思いにはいっていた。人間が運命というものの形成に参画できることは、その運命の意味を変えることだけだ、——自分の喋《しやべ》った言葉が、架山の心を重くしていた。祝辞を述べるために立ちあがるまでは、友の息子の結婚を祝うためにやって来た明るい気持の客の一人であるに過ぎなかったが、祝辞を終って席についてからは、自分のこれまでの生涯を否定する自己批判者になっていた。通りいっぺんの祝辞を述べれば、それでよかったが、つい自分が好感を持った若い二人のために、何か本当に自分が考えていることを言ってやろうという気になったのがいけなかった。  披露宴が終ると、架山は杉本が用意してくれたくるまに乗って、R温泉に向かった。くるまの中でも、架山の心は晴れなかった。くるまはこの季節独特の暗く重い闇の中を走っている。五月闇《さつきやみ》である。その闇の中を、次から次へとヘッドライトが突進して来ては、すれ違って行く。  一時間余りも走った頃であろうか。架山はくるまが湖畔を走っていることに気付いた。 「湖?」 「そうです」 「宿はまだ遠いの?」 「もうすぐです」 「じゃ、湖の傍なんだね」 「そうです」  えらいところに連れて来られたと、架山は思った。銅板でも置いたように、湖面のにぶい光が左手前方に拡がっている。大きい湖か、小さい湖か判らないが、闇の中に湖の面《おもて》が拡がっていることだけは確かである。やがて行手遠くに赤や青の燈火の光が幾つか見えて来た。湖畔に立ち並んでいる旅館の広告燈なのであろう。  架山は眼を瞑《つむ》っていた。闇にも、闇の中の湖面のにぶい光にも、遠い広告燈にも、架山は嫌な思い出を持っていた。これではまるで、遠く過ぎ去ったある夜のことを復習しにやって来たようなものではないかという気持だった。  旅館に着くと、おそらく最も上等な部屋であろうと思われるところへ招じ入れられた。女中が湖面側の廊下のカーテンを大きく開けようとすると、 「閉めておいて貰いたい。その方が落着く」  架山は言った。風呂《ふろ》にはいって、浴衣《ゆかた》に着替えたところへ、杉本がやって来た。 「やあ、待たせてしまって」  杉本が言っているところに、もう一人はいって来た。今日の結婚の仲人《なこうど》をやった五十年配の人物であった。樋口と言う大学の教授である。架山は披露宴が始まる前に紹介されていたが、何を専攻している学者か憶《おぼ》えていなかった。 「きょうはご苦労さまでした」  架山が挨拶《あいさつ》すると、 「いや、あなたこそ、お疲れでしたでしょう。また、若い二人にたいへん心のこもったお祝辞を頂きまして」  と相手は言った。  杉本も、大学教授の樋口も、それぞれの部屋に引取ったが、間もなく浴衣姿になって、再び架山の部屋に現われた。三人だけの遅い時刻の酒宴が始まった。 「たいへんだね、嫁を貰うということは」  架山は言った。 「いや、君の言うように、全くこれは縁だからね。親の眼にはこれ以上のはないと思うようなのがあっても、それがなかなか纏《まと》まらん。うまくいかんものだよ」 「いいじゃないか。いいお嫁さんじゃないか」 「まあ、ね。——あのへんでいいとしなければならん」  杉本は言って、 「きょう初めて知ったが、君もいろいろ苦労しているんだな」 「身から出た銹《さび》だよ」  そんな話が一応出つくした頃、 「架山さんは運命ということをしきりにおっしゃいましたが、まあ、人間の一生などというものは、そうしたものかも知れませんね」  樋口は言って、 「いくらじたばたしても、どうなるものでもない。人間のやれることなど知れたものだという気に、私なども最近なっておりますね」 「いや、苦しい時は、人間はそういう考え方になりますね。しかし、本当はそういう考え方をしてはいけないかも知れない。披露宴で、つい運命ということを口走ってしまって、これは難しいことになったなと思いましたが、言いかけてしまったのであとに引けませんでした。どうも、うまく言えなかったようです」 「いや、そんなことはありませんよ。実にいいお話でした。人間の誠意と努力で、運命というものの持つ意味を変える。ちゃんと運命というものに対する人間の働きかけ方をお話しになっていらっしゃる。いいお話でした。——ところが、私の友だちに面白いのがいましてね、この方は徹底しています」 「運命論者ですか」 「いや、本人は運命論者どころか、努力、努力の、張りきり屋なんです。しかし、口では運命論者的なことを言うんです。心にもないことを言っているんですが、聞いていると面白いんです。どこで読んだのか、誰から聞いたのか知りませんが、この地球上の人間は、虚像だと言うんです」 「————」 「宇宙のどこかの遊星群の星の一つに、自分と同じ人間が、いまこの瞬間も、同じことを考え、同じことをして生きていると言うんです。そして、どちらかが実像で、どちらかがその影、つまり虚像だと言うんです」 「ほう」  杉本が顔をあげると、 「もちろん、これは天文学者か、数学者がたてた仮説です。そいつは、酒を飲むと、しきりにこの話をする」  そう言えば、どこかでそんな話を読んだことがあると、架山も思った。 「ほかの星にもう一人の俺がいる。そして、この俺はそいつの影!」  杉本は弾んだ声を出して、 「そりゃ、面白いな。俺は影か。俺ばかりでなく、今日祝って貰った息子も影なら、嫁さんも影か」 「そう、結婚式自体が影なんだな」  大学教授は言った。 「影か、みんな影か。君も影、俺も影、架山君も影。ほう、いいじゃないか、こうして酒を飲んでいるのも影」  杉本は銚子を取りあげた。影が影の銚子を取りあげて、影の盃《さかずき》を満たしている。 「なるほど、なかなか気宇壮大な大仮説ですね。仮説でなくなると、たいへんなことになる」  架山が言うと、 「大人のお伽噺《とぎばなし》です。僕の友だちはこの話を酒宴の席に持ち出して、人を煙《けむ》に巻いているんです。ただ彼の場合はそれをうまく、自分の都合のいいように使っていると思います。ひどく単純、素朴な楽天家で、金儲《かねもう》けはうまいんですが、金儲けのうまいところなどは、どうもこのお伽噺と無関係でもなさそうです。失敗しても影、成功しても影、そういう考え方をすれば、人間大胆になれますからね」  樋口は笑った。 「私の今日の祝辞など、その人に聞かれたら形なしですね」 「そういうことになります」  すると、杉本が、 「しかし、なあ、架山君、俺は思うんだが、君の場合など、みんな影だよ。影だという考え方をすればいいじゃないか。俺はきょう初めて、君がなかなかたいへんな過去を持っているということを知ったんだが、若い頃の君を考えると、ちょっと信じられぬ気持だな。君など一番のんきに明るく世渡りして行く型の男だった。あの頃は毎日毎日、屈託なく遊び回っていたものな。苦労などというものとは無関係な男の筈《はず》だった。その君が、いろいろなことを経験している。——影だよ。影だとしか考えられぬ。影だと思えばいいじゃないか」  と言った。杉本は地球上に生きている人間が、もう一つの別の星に生きている人間の影であるという話がよほど気にいったらしく、浮き浮きした口調で話していたが、しかし、その中に架山に対する労《いたわ》りの気持もはいっていた。それが、架山にも感じられた。 「そう、影なんだろうね。俺もそう思うよ」  架山は言った。 「影さ、影なんだよ。そういう考え方をすれば気持はらくになる。君の場合も、すべてはなるようにしかならなかったんだよ」 「そう、そういう考え方をしよう。責任を、もう一つの星のもう一人の俺に背負って貰《もら》おう」  架山は口では言ったが、心の中では全く別のことを考えていた。いまここで杉本と自分が会話を取り交しているように、もう一つの星では、やはりもう一人の杉本と自分が同じ会話を取り交しているのである。そういうことになると、一体、どちらが実像で、どちらが虚像であるか。いまここで自分たちが影だ、影だと言っているように、向うでは向うでやはり影だ、影だと言っているのである。こちらで影だと考えているように、向うでも影だと考えている。こちらでは向うを実像だと思っているが、向うではこちらを実像だと思っている。  虚像であるか、実像であるかは、誰にも判らない。こちらが虚像であるとするなら、すべてを他の星に押しつけることができるが、反対にこちらが実像ということになると、相手の星のことまでこちらで責任を負わなければならないことになる。  その夜、酒宴が終ったのは十二時近かった。大学教授は確《しつか》りしていたが、架山も杉本も大分酒が回っていた。杉本と大学教授がそれぞれの部屋に引きあげてから、架山は縁側の籐《とう》椅子に腰を降ろしていた。女中たちが酒宴のあとを片付け、隣室に寝床をとる間、架山は再び遠い星のもう一人の自分に思いを馳《は》せていた。こんどは酒が回っているためか、このとてつもなく大きいお伽噺の世界は、架山にはさっきとはまるで異った生き生きしたものに思えた。  この地球からどれだけ遠くに隔たった星であるかも知れない。とにかくその遠いところにある星の一つで、もう一人の自分が湖畔の旅館の縁側に出て、籐椅子に腰を降ろし、酔眼を見張っているのである。架山はその遠い星の男に話しかけたくなっている。  ——おい、すまなかったな。俺の方が実像で、お前の方が影らしい。いろいろ苦労かけたな。実像の俺が思慮足りなかったため、影の君の方にも、辛《つら》い思いや、悲しい思いをさせた。すまなかった、すまなかった。  架山はカーテンを開けた。自分がカーテンを開けなければ、遠い星のもう一人の自分もカーテンを開けなかったからである。  カーテンを開けると、すぐ眼の下から湖面は拡がっていた。旅館の燈火の光で、岸近くの水面はにぶく光って見えていたが、少し遠くなると、闇の中に飲み込まれてしまっている。その闇の中に小さく赤い燈火が三つほどばら撒《ま》かれている。ボートでも出ているのかも知れない。  架山は夜の湖に視線を当てたのは何年かぶりである。みはるの事件以来、初めてであるかも知れない。架山は遠い星のもう一人の自分に話しかける。  ——いつまでも湖を恐れていても始まらぬ。さあ、湖を見よう。夜の湖を見よう。俺が湖を見ないと、お前も湖を見ないから、俺はお前のために湖を見てやっているのだ。夜の湖を恐れるな。湖の持っている思い出に耐えよ。面《おもて》をあげることだ。お前には責任はない。お前は影なのだ。虚像だ。お前が妻と別れたことも、娘を不慮の事件で失ったことも、みんなお前には責任はない。何もかもがお前の運命というものだ。そうなるしか仕方なかったのだ。お前は俺の影なんだからな。  架山は自分の影に言った。遠い星の自分の影が、もう一人の自分が、堪《た》まらなく不憫《ふびん》で、いとおしかった。さんざん苦労をかけ、辛い思いをさせたことを、心の底から詫《わ》びてやりたい気持だった。  ——遠い星のもう一人の俺よ。俺の影よ。お前はもう何年も、毎日毎日、あのみはるの眠っている湖を訪ねたかったのではないか。俺が訪ねなかったので、いくら訪ねたくても、お前の方はどうすることもできなかったのだ。よし、近く琵琶湖へ出掛けて行ってやる、お前のためにな。  ——あの湖の岸に立とう。岸を埋めていた夜の闇の中に身を置こう。本当はそうすべきなのだ。俺の影よ。遠い星のもう一人の俺よ。お前はさぞそうしたかっただろう。しかし、俺がそうしなかったから、お前はそうすることができなかったのだ。だが、こんどはみはるの眠っているところへ行く。必ず出掛けて行く。お前のために行ってやる。  架山はふいに椅子から立ちあがった。遠い星の一つに於《おい》て短い生涯を終えたみはるの影のことを思い出したからである。この地球上に於てではなく、遠い星の一つで、もう一人のみはるは笑ったり、泣いたり、旅行したり、通学したりしていたのだ。  架山はあたりを見回した。いつ出て行ったのか、部屋はきちんと片付けられ、女中たちの姿は見えなかった。  ——みはるよ、遠い星のもう一人のみはるよ。みはるの影よ。事件は丁度このような静かな晩に起きたんだったな。  架山は椅子に再び腰を降ろした。遠い星の影の物語であると思うことによって、架山はそれを振り返ることができたのである。  このように静かな夜更けの時間であったと、架山は思った。あの夜から七年という歳月が流れている。オリンピックの開かれる年の、今と同じ五月のことであるから、あの夜と今夜との間に、満七年の歳月が置かれている。新幹線はあの年の十月から開通しているので、それより四か月ほど前に、あの事件は起ったのだ。  架山は硝子《ガラス》戸越しに湖面に視線を投げた。深々と五月の闇が垂れ籠《こ》めているだけで何も見えなかった。さっきまでは湖面がにぶい光を放っていたが、今はそれも消えている。遠くに赤い小さい燈火がばら撒かれていたが、それもなくなっている。全くの真の闇である。丁度このような五月闇に包まれた夜、このような静かな夜更けの時間に、突如なんの前触れなしに、あの事件は起ったのである。  ——俺は廊下の端にある電話のベルの音を聞いた。俺は椅子から立ちあがった。俺が立ちあがったばかりでなく、限りなく遠いところにある星の一つに於ても、もう一人の俺が立ちあがったのだ。俺は歩いて行く。受話器を自分の手で取るために歩いて行く。遠い星に於ても、もう一人の俺よ、お前もまた歩いて行く。受話器を自分の手で取るために歩いて行く。やがて、俺は受話器を取りあげる。もう一人の俺よ、お前もまた受話器を取りあげる。俺は、受話器の奥から聞えて来る声を聞く。お前も聞く。  架山が事件を回想するという行為に身を任せたのは、事件以来初めてのことであった。この地球上にある自分と、もう一つの見知らぬ星に於けるもう一人の自分と、謂《い》ってみれば、それが二人の人間の持った共同の事件であったためかも知れない。悲劇は二つの星に於て、同時に進行していたのである。どちらが実像で、どちらが虚像であるか判らなかったが、二つの星に於て、同じように一人の少女は亡くなり、同じように悲劇は起ったのだ。そしてすべては同時に進行して行ったのである。  ——面をあげよ。  架山は自分に言ったが、それはもう一つの星に於ける自分に言った言葉でもあった。  ——さあ、お互いに面をあげよう。眼を反《そ》らすな。本当はまだあの事件は何も解決してはいないかも知れないのだ。  その夜、——七年前の五月末のある夜のことであるが、その夜、架山は十二時近い時刻に帰宅した。新規に始める事業の打ち合わせが何夜か続いていたが、どうにか結論らしいものが出て、久しぶりでほっとした夜であった。家の者たちはすでに就寝していた。  架山は洗面所で手と顔を洗うと、すぐには寝室にはいらないで、ウイスキーの壜《びん》とグラスを持って、自分の書斎に行った。睡眠薬代りにウイスキーを水で割ったものを飲みながら、まだ眼を通していない夕刊を読むつもりだった。  架山は廊下の端で電話のベルが鳴るのを耳にした。昼間なら居間の方から誰かが出るが、深夜のことなので、架山は自分で立ちあがって行った。一時間ほど前に別れた会社の重役のうちの一人から、何かきょうの会議について申し入れて来たのであろうと思った。  架山は廊下の突き当りに行って、受話器を取りあげた。 「もし、もし」  女の声であった。 「架山さんのお宅でしょうか」 「そうです。私、架山です」 「ご主人さまでしょうか」 「そうです」 「こちらは京都の時花手芸学院の者でございます。一時間ほど前に、滋賀県の警察署から電話がありまして、お嬢さんのみはるさんの乗ったボートが顛覆《てんぷく》したという事故があったことを報《しら》せて参りました。そのショックで先生は気絶なさいまして、すぐ近くの病院に入院いたしましたが、ただいま絶対安静でございます」  先生というのは貞代のことであるに違いなかった。その貞代の容態でも悪くて、それを貞代の弟子の一人が、曾《かつ》て夫であった自分に報せて来たものであろうと、架山は思った。 「ひどく悪いんですか」 「先生の方ですか」 「そう」 「先生の方はいまは絶対安静中でございますが、暫《しばら》くしたら気持も落着くと思います。ただお医者さまから絶対安静を申し渡されておりますので、お嬢さんの事故の現場へ行くことはできません。それで、代って行って頂けないかと、お電話差しあげた次第でございます」 「ボートの顛覆事件と言いましたね。本人はどうなっています」 「行方不明らしゅうございます」  ふいに、架山は全身の血が下がって行くのを感じた。 「行方不明って、一体、それはいつのことです」  架山は自分でも声の震えているのが判った。 「昼間のことだと思います。警察から連絡がありましたのが一時間ほど前のことです。それからすぐ先生がお倒れになりまして」 「警察から報せてきたのが一時間前なんですね」 「もう少し前かも知れません。一時間半ぐらい前。——ちょっとお待ち下さいまし」  何か二、三人で話している声が聞えていたが、やがて、 「もう二時間ぐらい経っているそうでございます」 「どこの警察ですか、連絡してきたのは」 「滋賀県でございますが」 「滋賀県のどこの警察署です」 「さあ——」 「どういう連絡でした。もう一度言って下さい」 「ボートが顛覆して、行方不明だという連絡らしゅうございます。何分、電話口に出たのが先生で、その先生が気を失ってしまいましたので」 「いや、結構です。こちらで調べて現場に行くことにします。何か判ったら、こちらに連絡して下さい。夜中でも構いません。電話を下さい」  いつまで話していても埒《らち》があきそうもなかったので、そう言うなり、架山は受話器を置いた。いったん書斎に戻った。さて、何をなすべきかと思った。不吉な想念に包まれたまま、架山は書斎の入口に突立っていたが、また電話口に引返した。  大津の警察署の電話番号を調べて貰《もら》っている間、架山は受話器を持ったままで、煙草に火をつけた。マッチの火を煙草の先に持って行くのが容易でなかった。手が大きく震えていた。  大津の警察署の電話番号が判ると、すぐダイヤルを回した。電話口に出た署員が三人替った。三人目の署員が、 「竹生《ちくぶ》島付近で遭難事故がありました。まだ詳しいことは判っておりません。長浜付近の湖岸に空《から》のボートが流れついたらしいです。そちらへの連絡は長浜警察署からだと思います。すぐ調べて詳しいことをお報せいたします」 「じゃ、こちらで直接長浜警察署に電話してみましょう」  長浜警察署の電話番号を聞いて、架山は受話器を置くと、すぐまたダイヤルを回した。その時、架山は傍に妻の冬枝が寝衣姿で立っていることに気付いた。  長浜警察署でも、電話口に二人の署員が出た。二人目の署員が、 「夕方、彦根《ひこね》の湖岸に空のボートが漂着しました。その中に時花みはるという名と住所を認《したた》めた手帳のはいっているハンドバッグが遺《のこ》されてありました。そのボートは長浜の貸ボート屋のものですが、何人で乗ったか詳しいことはまだ判っておりません。あす朝までには判明すると思います。夕刻から今津、長浜、彦根各警察署から警備艇が出ております」  と、言った。 「ボートは顛覆したんですか」 「そうだと思います。漂着した時はちゃんと浮いて流れ着きましたが、水がはいっており、一度顛覆した形跡が認められます」 「時花みはるが乗っていたということは確かでしょうか」 「乗っていたと見るほかないと思います。とにかく遺留品のハンドバッグに、時花みはるという名前と住所を認めたノートがはいっており、今のところそれが唯一の手がかりです」  それから、 「あなたは時花みはるさんとどういうご関係ですか」 「親戚《しんせき》の者です。本人の家から連絡があり、現場へ行ってくれということですが、かいもく事情が判りませんので」 「あすの朝までには一応詳しいことは判ると思います。とにかくあす、なるべく早く来て頂きましょう」 「承知しました。警察署に伺えばよろしいですね」 「そう、そうして下さい」 「顛覆したとしても、助かっている可能性はあるでしょうか」 「何とも言えません。どこかの島にあがっている場合も考えられますし、——過去にそういう事件もありました」 「有難うございました」  有難うと言ったのは、過去に於《おい》て助かっていた例があるということを報せてくれたことに対する感謝の気持だった。 「とにかく、あす午前中に、そちらに出向きます。何分|宜《よろ》しくお願いします。夜分、お騒がせいたしまして」  鄭重《ていちよう》に礼を言って、架山は電話を切った。今までそこに居た冬枝の姿は見えなくなっていた。架山はまた書斎に戻った。  架山は縁側の籐《とう》椅子に腰を降ろした。卓の上にウイスキーの壜のあることに気付くと、それをコップに注いだ。寝衣を着物に着替えた冬枝がやって来た。 「みはるちゃんが遭難したんですか」  立ったままで、冬枝は訊《き》いた。冬枝もまた血の気を失った顔をしていた。架山は妻の冬枝に事件の概要を伝え、 「とにかくあす一番早い列車で長浜へ行くことにする。それ以外仕方がない」  と言った。すると、 「一人でいらっしゃる? 室戸さんにでもいっしょに行って貰った方がよくはありませんか」  冬枝は言った。室戸というのは秘書課の若い青年の名であった。 「そうしようか。そうした方がいいなら、そうする」  架山は言った。自分ではそうした気の配り方はできなかった。 「夜中ですが、ほかの場合と違いますから、電話していいでしょうね」 「うん」 「あす朝、くるまを持って、こちらへ来て貰います」 「うん」  それから架山は眼を瞑《つむ》った。何も考えられなかった。眼をあけると、冬枝の姿はなかった。暫くすると、 「五時頃、室戸さんが来てくれるそうです」  書斎の入口に姿を現わして冬枝は言った。 「鞄《かばん》の支度をしてくれ」 「下着類と、ワイシャツの予備と、洗面道具、それだけは詰めました。お金はどのくらいお持ちになります?」 「どれだけでもいい」 「万一の場合を考えて、少し余分にお持ちになった方がいいでしょう」 「万一とは何だ」  架山は激しい言い方をしたが、 「そう。余分に持って行こう。どんなことで要るかも知れない。助かっていれば、世話になった人にも礼をしなければならない——」  そう穏やかに言い直した。助かっていなければという言葉は危いところで飲み込んでしまった。口から出すべき言葉ではなかった。 「とにかく少しでもお休みになりませんと」 「眠れまい」 「眠れなくても、横になっていらしったら?」 「いや、ここにこうしている。こうしている方がらくだ。一人にしておいて貰おう」  架山はまた眼を瞑った。手で卓の上のウイスキーのグラスを探った。グラスが顛倒《てんとう》して床の上に落ちた。グラスの顛倒したのは不吉だったが、床の上におっこちても割れなかったのはいい前兆だと思った。卓の上に水がこぼれていたので、それを拭《ふ》きたかったが、冬枝の姿はなかった。  架山は雨戸を繰って、夜気を入れた。戸外の闇は深く、夜気は肌寒かった。  ——助かっていてくれ。  架山は一度声に出して言った。どうしても助かっていてくれなくては困ると思った。助かっていない筈《はず》はないと思った。しかし、架山を次々に襲っているものは、言い知れぬ不吉な想念であった。  架山は自分では眠っていないと思っていたが、やはり時折り、短い時間ずつ眠りに落ち込んでいたかも知れない。いろいろな場合のみはるの顔が断続的に現われては消え、それと関係を持つ想念もまた断続的に現われては消えた。前後の脈絡はなかった。  郷里の伊豆を訪ねるというみはるに会ったのは一か月半ほど前のことである。そこにはなんの不吉な予感もなかったと思う。会社の玄関先で、架山が乗ったくるまの方に、胸のところで手先きだけを動かすような手の振り方をした少女の姿はまだはっきりと瞼《まぶた》に焼きついている。明るく、あどけなく、可憐《かれん》であった。不運などが寄りつきそうな暗い影はなかった。  僅《わず》かに、今になって不吉に思われて来るのは、みはると別れた自分が、もう一度みはるのところにくるまを引返させようかと思ったことである。結局思っただけで引返しはしなかったが、今になってみると、あの時の気持はただ事ではなかったような気がする。うしろ髪を曳《ひ》かれるというのは、あのような気持であるかも知れない。そうした思いに落ち込むと、架山はあわててその想念を振り払った。縁起でもないと思った。  架山は庭の方に視線を投げた。いつか夜はしらんでいた。闇の中にほの白く暁方の光線が漂っている。暁闇というのは、この時刻の、明るいとも暗いともつかぬ独特の白い光線の漂い方を言うのであろうか。が、この白さには浜に打ちあげられた魚の腹の白さに似たものがあると思う。どことなく生臭いものが流れている。架山はここでまた縁起でもないと思った。  架山は眼を瞑り、また眼を開いた。庭の隅のあじさいの花が眼にはいっている。この間までは白い花であったが、それがいつか薄青い色を帯びて来ている。やがて藍《あい》とも、紫とも、青ともつかぬあじさい独特の色になるのであるが、いまはその途中である。二、三十の花が一つの株に付いているが、それがまた架山には明るくは感じられなかった。不幸とか、不運とかいったものを象徴している花のように見えた。清純ではあるが、どことなく弱々しく、少し暗い。  架山は庭に降りた。暁闇の中に身を置き、あじさいの花の方に近寄って行こうと思った。そうすることによって、何となく自分を襲って来る不吉なものに抵抗しようという気持だった。あじさいの株の前を通り、バラの花壇の前に出た時、すっかり夜は明けていた。朝の光の中に、赤や白のバラの花が寝みだれた姿で花弁をひろげている。架山は明るい気持になった。みはるは、いまどこかで、このバラの花のように明るく生きているに違いないと思った。  若い秘書課員の室戸が玄関にはいって来た時、 「ご苦労さん。朝早くて気の毒だね」  架山は言った。 「いいえ、少しも」  それから、 「ご心配なことでございます」  相手は架山の顔は見ないで言った。事件がいかなるものか、どこまで知っているか判らなかったが、そんな言い方をするところから判断すると、冬枝が何か口走っているのかも知れなかった。しかし、それはそれでよかった。どうせ現場へ行けば、事件の全貌《ぜんぼう》はすぐ相手に判ってしまう筈であった。  くるまはすぐ駅に向かった。列車に乗って、暫《しばら》くすると、少し離れた席から室戸は立ちあがって来て、 「サンドウィッチでも召しあがりませんか」  と言って、冬枝が用意したらしい紙の小箱を持って来た。 「飲むものはある?」 「コーヒーがございます」 「その方を貰《もら》おう。サンドウィッチの方は、僕の分も君に進呈する」  架山は言った。若者が持って来てくれたコーヒーを口に入れたが、味というものは全くなかった。窓外に眼をやると、朝か夕方か判らないようなどんよりした灰色の空が拡がっている。梅雨はまだあけていず、いつ降り出してもいいような空模様である。小田原《おだわら》あたりから、丘陵や田野にしっとりと湿気を帯びた重い青葉が眼についた。 「架山さん」  その声で振り向くと、仕事の方で関係を持っている園田という人物が立っていた。 「どちらへ」 「米原にちょっと用事ができて」 「そうですか、私の方は娘の結婚で京都へ行きます」 「ほう、それはおめでとう。ちっとも知らなかった」  架山は相手の顔を見ながら、いま不幸な男が幸福な男を見ていると思った。この列車の中で自分が一番不幸で、この男が一番幸福かも知れない。  男はそれから何か仕事に関する話をしたが、架山はそれに対する受け答えが辛《つら》くなっていた。すると、そうした架山に気付いたのか、室戸がやって来て、 「ご気分がお悪かったようでしたが、いまはいかがでしょう」  と、架山の方に言った。それを聞いて、園田は、 「気分がお悪い! それはいかん。失礼しました」  と、半ば恐縮して、その場から離れて行った。架山は眼を瞑っていた。睡気《ねむけ》が襲っているが、到底眠れそうにはなかった。  米原駅に着いたのは十一時少し前だった。駅前に二、三台タクシーが停まっていた。その一台の扉を開けながら、 「長浜警察署へ行って貰いたい」  架山は言った。くるまは小さい町並を抜けると、すぐ田圃《たんぼ》の中の道を走った。北陸方面へ通じている街道らしく、くるまの往来が烈しい。 「田植えが終ったばかりらしいね」  架山は運転手にとも、秘書の室戸にともなく言った。稲田が何となくきちんと整頓《せいとん》されている感じで、汚れのない水が張ってある。運転手はそれには答えないで、 「警察署でしたね。何かあったんですか」 「いや」 「警察の方ですか」 「いや」  運転手の質問が、架山には執拗《しつよう》に感じられた。室戸は、運転手の横に坐《すわ》ったまま、前方に向けた顔を動かさないでいたが、 「これ、どこへ行く道?」  運転手の方に言った。話題を反らせるつもりらしい。 「敦賀《つるが》です」 「国道だね」 「そうです」 「凄《すご》いくるまだね」  湖畔の小平野の中を十五分ほど走って、くるまは長浜の町にはいった。架山は学生時代に一度この町に来たことがある。白壁の家の多い静かな城下町の印象が残っているが、いまはまるで異った町になっている。新しい店舗が立ち並んで、人の往来の烈しいざわざわした感じの町である。  くるまはメインストリートらしいところを右手に折れ、暫く行って、また左手に折れた。裏通りにはいると、僅かながら昔の古い町の匂いが残っている。くるまは二階建ての明るいビルの前で停まった。その明るいビルが長浜警察署であった。 「待っていて貰いたい。一日借りるようになるかも知れない」  運転手に言っている室戸の声を背に、架山は警察署の建物の中にはいって行った。そして一番近いところに居た警官の一人に、出向いて来た用件を伝えた。やがて別の私服の人物がやって来て、 「どの部屋もふさがっているな。じゃ、こっちへ来て下さい」  すぐ横手の畳敷の部屋に招じ入れられた。宿直室といった感じの部屋である。架山は靴を脱いで畳敷の部屋にはいり、そこに坐ると同時に、 「どうだったでしょう」  と、そういう言い方で訊《き》いた。 「いまのところ、まだ新しい情報ははいっていません」 「と言いますと、まだ見付からないんですね」 「そうです」 「絶望というわけではないでしょうね」  それには相手は返事をしなかった。警察署に於《おい》ていかなる地位にあるか知らなかったが、三十代半ばぐらいの年配の、律儀な感じの人物である。 「ボートがひっくり返ってから、もうまる一日経過しているんじゃないですか」 「そうなります」 「それでも、まだ絶望というわけではないですね」 「過去に於て助かった例はあります。三日目に救助された者もありますからね。しかし——」  架山は相手の顔を見た。 「しかし、そういうのは特殊な例です。普通の場合、助かるのはもう助かっている筈《はず》です」 「どこかの島にあがっているようなことはないですか」 「そりゃ、あります。一応そういうところはみな当ってみました」 「いまも探して頂いているんですね」 「ゆうべから今までに、二回警備艇は出ています」 「いまも出ているんですね」 「いや、いまは出ていません。いま、帰って来たばかりのところです」 「じゃ、いまは探していないんですか」 「そんなことはありませんよ。きのうの事件ですからね。湖畔の警察署はみんな動いています」 「一体、ボートはどこで顛覆《てんぷく》したんですか」 「ちょっと、お待ち下さい。まだ何もご存じないですから、いま、それを係の者が来てお話しします。ご心配なことは判っていますが、こちらも全力をあげていますから、こちらを信用して任せておいて下さい。私もゆうべは殆《ほとん》ど眠っていません。警備艇に乗っていましたから」 「それは、それは」  架山は恐縮して言った。相手の言う通り、事件については、まだ何も知っていなかった。判っていることは、みはるの乗ったボートが顛覆して、みはるの消息が今に到るも判っていないということだけだった。  烈しい絶望が架山を襲っていた。私服の人物は一度部屋を出て行ったが、やがて二人の警官といっしょにやって来た。一人は入口まで来ただけで、何か用事ができたらしく、すぐまた出て行った。  架山は部屋にはいって来た制服の警官の方へ名刺を出して、 「たいへんお世話様になっております」  と、頭を下げた。相手は名刺に眼を当ててから、 「どういうご関係の方ですか」  と訊いた。 「父親です。しかし、事情がありまして籍がかわっております。幼い時は私の方の架山の籍にはいっておりましたが、四、五年前に別れた妻の方の籍へ入れました」 「ほう」  相手は顔をあげたが、そのことには余り関心は持たないらしく、 「事件はゆうべお知りになりましたか」 「そうです。夜中に、京都の、母親の方から連絡がありまして、私が参ることになりました」 「そうですか。ご心配なことですね」  警官は自分の名刺を出した。�警務課長兼交通課長�という肩書が刷られてあった。 「一応、事件が発生してから、これまでの経過を申しあげておきましょう。人の乗っていないボートが見付かったのは、きのうの午後の四時頃のことです。彦根付近の湖岸に漂っているところを土地の漁師が見付けました」  そこへさっきの私服の警官がはいって来て、 「どうぞ、らくにしていて下さい」  と、架山の方に言って、自分は話している人物の隣に胡坐《あぐら》をかいて坐った。言われるままに、架山もまた同じようにした。 「ボートには水がはいっていました。いったんひっくり返りかけて、すぐまたもとに戻ったものと思われます。合成樹脂の軽いボートですから充分そういうことは考えられます。水に半浸しになってハンドバッグが一個ありました。それにハンカチとか化粧道具とかこまごましたものといっしょに手帳がはいっていまして、時花みはるという名前と、京都の住所が認《したた》めてありました。それで京都の方へ連絡いたしました。連絡が夜になったのは、手帳のインキの文字が水で散っていて、なかなか判読できなかったためです」  すると、私服の警官が、 「いま、ここに居ませんが、係の者がずいぶんたくさんむだな電話をかけました。時花の�花�という字が読めなかったためです」  と、横から言葉を挟んだ。 「まあ、そういうわけで、連絡が遅くなりましたが、お家《うち》の人と話して、娘さんが琵琶湖に友だちと二人で遊びに行ったまま帰って来ないということを知りました」 「友だちと二人ですか」 「お家の人の話では、そうらしいです。ひとりでボートに乗ることはありませんから、友だちといっしょなんでしょうね」  制服の警官は言った。 「遭難者のひとりはお宅の娘さん、——時花みはるさんと断定していいと思います。高校生だそうですね」 「そうです」 「今頃の梅雨時は急に天候が変るので危険です。きのうは必ずしも悪天候というのではないが、注意は出しておきました。——ボートを乗り出したのは、この町から余り遠くない南浜というところからです。ボートに、そこの貸ボート屋のマークがありましたので、すぐその方へ連絡すると、確かに若い男女がボートに乗ったまま帰っていないんです。ボートに乗ったのは一時頃で、四時になっても帰って来ないので心配はしていたようですが、この頃は三時間も、四時間も平気で乗り回しているのがあるんで、届け出は見合わせていたようです」  架山は、それより捜査の結果の方を知りたかったが、黙って相手の言うことを聞いていた。 「事件の発生を知ると、同時に湖畔の各警察署に連絡し、捜査を開始しました。三隻の警備艇が出ました。本署のが出たのは——」  と、制服警官が言いかけると、 「四時二十分です」  と、私服警官が受けとって、 「三時間ほど捜査に当りましたが、残念ながら——」 「どこかの島にあがっているといったことは」  架山が訊《き》くと、 「もちろん、竹生島はじめ湖中の三つの島に全部当りました。このことはあとで詳しくお話しするとしまして、——私が戻って来たのは、七時頃でしょうか。日が長くなっていますので、暗くはなってはいませんでしたが、もう暮れかけていました。そしたら、新しい情報がはいっていました」  替って、制服警官が説明した。 「時刻ははっきりしませんが、三時近い頃、竹生島から二十キロほど南の湖面で遭難ボートらしいものを見たという届け出がありました。これも土地の漁師ですが、その時はもちろん遭難してはいないで、若い男女が元気で手をあげて合図していたそうです。まさか南浜から出たボートとは知らないので、大胆な奴らが居るとは思ったが、別に気にもとめなかったそうです」  架山は黙って聞いていた。自分を襲っている絶望感が、次第にはっきりした形に固められて行くのを聞いているような思いであった。 「漁師が竹生島の南方湖上で見たボートというのは、恐らく遭難事故を起したボートだろうと思います。それから程なく突風が起っていますので、事故はそのためのものと見られます。普通なら、いまの季節ではボートは今津方面に流れて行く場合が多いんですが、問題のボートはこっちへ流れて来ています。珍しいケースですが、間々こういうこともあります」  制服警官に替って、警備艇係らしい私服が、 「警備艇が二回目に出たのは、十一時でした。と言っても、一回目の捜査から帰って、二回目に出るまで、その間湖上の捜査が打ち切られていたというわけではありません。彦根署と今津署の二隻の警備艇が出ています。昼間の時はもちろんですが、二回目の夜の捜査でも、竹生島、多景《たけ》島、沖島《おきのしま》、三つの島の周辺には全部サーチライトを当てました。しかし、何も発見できませんでした」 「と言うと、もう絶望ということでしょうか」 「さきほど申しましたように、何日目かに発見されて助かった例もあります。しかし、そうした例は過去に於《おい》て一つか二つしかありません。助かるなら、もう助かっていませんとね」 「いまは、捜査は休んでいるんでしょうか?」 「漁船が何十|艘《そう》か湖上に散っています。それに捜査の協力を依頼してありますから、何か発見すれば、すぐこちらに連絡がありますが、今までのところでは、まだ——。それに、いまも、——」  私服警官は言って、ちょっと時計に目を当て、 「今津署の警備艇が出ています。私の方も午後になると出ます。まあ、今日一日待って下さい。しかし、湖岸あるいは島に漂着しているということに望みを託するのは、かなり難しくなって来ています」 「そうなると、湖上に漂っている——」 「それは、もう時間的にむりな想定ですね」 「湖岸にも、島にも、湖上にも居ないとなると——」  架山はうしろに手をついた。体を支えているのが苦しかった。 「湖中に沈んだことになります。それが浮きあがって来るのは、個々で違います。体の中のガスによって浮きあがって来るんですからね」  いま語られているのは、生きたみはるのことではなかった。みはるの死体のことにほかならなかった。  秘書の青年が顔を出した。架山のことを案じて、様子を見に来たらしく、すぐ帰りかけたが、 「君もここに入れておいて貰《もら》いなさい」  架山が言うと、 「宜《よろ》しゅうございましょうか」  青年は言って、部屋にあがって片方の隅に席をとった。 「しますと、いまの捜査の目的は人命救助という段階は終って、死体の発見ということでしょうか」  架山は訊いた。質問するのは怖かったが、そこをはっきりしておく方がいいと思った。 「その両方です。もし溺死《できし》していないのなら助けなければなりませんし、溺死しているのなら死体を収容しなければなりません。但し、明日になりますと、捜査の性質はかなりはっきりして来ます。死体収容ということになりましょう」  制服警官は言った。架山はその言葉にすがるような気持で、まだ今日一日は望みを棄てないでもいいと思った。 「警備艇には乗せて頂けないでしょうか」  架山は訊いてみた。もちろん断わられるに違いないと思ったが、 「どうぞ、お乗りになりたいのなら、乗って頂いて結構です」  私服の警官は言った。その言葉が何とも言えず暖く架山の心にしみた。 「こんどは何時に出ますか」 「三時です」 「では、それまでにここに参りましょうか」 「そうですね、長浜港の船着場の方に、三時に来て下さい。港へ来て下さったら、警備艇はすぐ判ります。ほかにあんな恰好《かつこう》の船はありませんから」 「では、それまでに少し時間がありますから、南浜のボート屋さんのところへ行ってみましょう」  架山は一刻もじっとしていられぬ気持だった。 「いっしょにボートに乗った若い男というのは、どういう青年でしょう」  架山は訊いた。ここで初めて若い男のことに思いを馳《は》せる余裕ができた恰好だった。 「身許《みもと》も、氏名も、何も判っていません。遭難事故の記事が今朝の新聞の地方版に載っていますから、いまに照会があるかと思います。あなたの方に心当りはありませんか」 「全然。あるいは京都の家の方で知っているかも知れません」 「いや、京都のお家《うち》でも心当りはないようです。平生男の友だちは持っていないということでした」  私服警官は言った。  警察署を出ると、架山は足もとが頼りない感じだった。 「いずれにしても、お休みになるのに必要と思いまして、近くに宿をとっておきました」  と、若い秘書は言った。 「どうなさいます。少しでも横におなりになりますか」 「そう、それなら、そこに荷物を置いて、南浜というところに行ってみたいんだが」 「承知しました。この町の隣にびわ町という町がありますが、南浜というのはそこの水浴場らしゅうございます。くるまで二十分そこそこでございます」 「そんなに近いのか」 「はあ。そこの佐和山という貸ボート屋のボートでお出になったようでございます。先程電話で連絡してみましたら、主人はずっと夜まで家に居るそうでございます」  室戸は言った。ひどく気の付く青年である。事件について必要な知識は、早くも全部仕入れていることであろうと思われる。  くるまは町中に出たが、すぐ路地にはいり、間もなく路地の突き当りにある旅館の前で停まった。  架山は奥の部屋に通されると、すぐ京都の時花学院に電話を入れた。出て来た女に、 「こちらは東京の架山です」  と言うと、 「ちょっとお待ち下さい」  暫《しばら》くすると、きのう事件を報《しら》せてきた女が替った。架山は簡単にいままでの捜査の経過を伝え、 「まだ望みはないというわけではありませんが、しかし、決して明るい見通しではありません」  と言った。 「そうでございますか。そのこと、お伝えしたものでしょうか、それともお伝えしないでおきましょうか」 「病人はどういう状態です」 「まだ絶対安静で、面会は禁じられております」  そう言われても、架山には判断がつかなかった。 「そのことはそちらにお任せします。医者と相談して、取り計らって下さったらいいではないですか」 「そういたしましょう。恐れ入りました。お忙しい中を」  電話を切ると、簡単な食事が運ばれて来た。ひどく手際がよかったので、これも秘書がさきに手配してあったものと思われた。  食べものは喉《のど》にはいりそうもなかったが、秘書に食事を摂《と》らせるために、架山は自分も箸《はし》をとった。  食事をすますと、架山は宿を出て、くるまでびわ町の南浜に向かった。長浜の町を出て敦賀に通じている国道を十分ほど走ってから湖岸の方に折れる。くるまは湖畔の平野を湖の方に突切って行く。  こうした事件の場合でなかったら、さぞ気持のいいドライブであろうと思われるが、いまの架山はそれどころではなかった。道の両側にどこまでも拡がっている田圃《たんぼ》にぼんやりと眼を当てながら、 「ずいぶん遠いんだね」  と、運転手にとも秘書課員にともなく言った。 「もうすぐです」  運転手は言ったが、くるまはそれから田圃の中の道を幾つか折れ曲って、湖に注ぎこんでいる大きな川の縁に出た。 「鮎《あゆ》の時期は、この川がたいへんですよ。何しろ、あなた、——」  運転手は何か喋《しやべ》っていたが、架山は聞いていなかった。くるまは川の堤の上を暫く走り、やがて堤から降りた。いつか舗装道路でなくなっているので、車体の動揺は烈しい。  前方に湖の面が見えて来たと思ったら、くるまは間もなく停まった。 「ここが南浜です」  運転手の言葉で、架山はくるまから降りた。さして広くはないが、なるほど砂浜が続いていて、あたりは何となく水浴場らしい一|区劃《くかく》を形成している。 「夏はたいへんですが、今は閑散としたものです」  運転手は煙草に火をつけた。店舗らしい建物は何軒かあるが、どこも戸を閉めている。夏場だけ店を開くのであろう。  架山は浜へ出た。向うに青い色のボートが十|艘《そう》ほど固まって置かれてある。架山はその方へ歩いて行った。どこにも人影はなかった。架山はくるまを降りた時からものを考える力を失っていた。南浜へは来てみたが、何をしていいか判らなかった。  どれだけ時間が経ったか、砂浜の一隅に突立っている架山のところに、秘書の青年がやって来た。 「遅くなって相すみません。いまここに貸ボート屋の主人がやって来ます」  この方は忙しく方々を駆け回って来たものと見えて、しきりにハンカチで顔の汗を拭《ふ》いている。青年が口から出した�貸ボート屋の主人�という言葉で、架山はわれに返った思いだった。みはるのことを訊《き》かなければならぬと思った。 「ご苦労だったね。どこまで行ったの?」 「いや、すぐそこです。一、二丁のところに五、六軒人家があって、その一軒が貸ボート屋なんですが、あいにく用足しに行って留守だったんです。遅くなって申し訳ありません。すぐ参ります」  青年が言っているところに、漁師らしい四十歳ぐらいの男がこちらに近づいて来るのが見えた。  相手はやって来ると、挨拶《あいさつ》ぬきに、 「この度はとんだことでした。まことに至らないことで、何ともお詫《わ》びの仕様もありません。強引に留めれば、こんなことにはならなかったでしょうが、警察から出ている警報もごく簡単なものでしたし、曇ってはおりましたが、別に波が立っているというわけでもありません。それで、つい、注意しなされやということぐらいで、ボートを出してやりました。いや、どうも、まことにすまんことです」  と言った。腕組みして、憮然《ぶぜん》とした面持ちで突立っているところは、素朴な正直そうな感じの人物であった。肌は陽にやけて黒く、めくりあげているシャツから出ている腕は逞《たくま》しかったが、顔はひどく憔悴《しようすい》して見えた。 「どういうものでしょう。もういけませんか」  架山は訊いた。警察署で何回も口から出した言葉であったが、警官とは異る人物の口から、この事件についての今の段階に於《お》ける推定を聞きたかった。 「なにせ、時間が経っていますでなあ。——わしも、できるだけのことはさせて貰《もら》いました。ゆうべはこの町の組合からも何艘か船を出して貰い、わしも親戚《しんせき》の若いのに二人乗って貰って、朝方まで、湖北一帯の岸を探しました。島にあがっていなければ、岸にあがっているわけでしょう。と言っても、空《から》のボートだけが漂っていたことから考えると、まあ、島とか岸にあがっているという見方は、どうも、ねえ。やっぱり、——いや、どうも、いかんことでした」  主人は言った。 「突風でひっくり返ったんでしょうか」 「そうですなあ」 「その場合は、いまも生きているということは——」 「まあ、難しいことになります。深いですからなあ、あそこらは」 「あそこらと言いますと?」 「漁船がボートを見たというところが竹生島の南の方だと言いますが、あそこらは竹生島の周囲より深いです。琵琶湖で一番深いところです。あそこで顛覆《てんぷく》したとなると——」 「————」 「それにしても、どうしてあんなところまで行ったもんですかな。めったにこの浜からあんなところへ漕《こ》いで行く者はありませんわ。風に流されて行くということはあるでしょうが、突風が起るまでは、風らしい風はありませんでした。流されたとも考えられんし、やっぱり自分で漕いで行ったもんですかなあ。二時間の約束で、六百円さきに置いて行きました。おとなしそうな青年で、無鉄砲なことを為出《しで》かしそうには見えませんでしたが、——まあ、とんだことでしたなあ、お宅さんの娘さんということですが、ほんとに何とお詫びしていいか。わしの方にも越度《おちど》がありますわ」  主人は言った。こういう言い方をされると、架山としては主人を責める気にはなれなかった。  架山はこの浜に於《おい》て、貸ボート屋の主人の眼に映ったみはるが、いかなるものであったか、相手に訊いてみる勇気はなかった。まだ連れの青年のことを訊く方が、気持がらくだった。 「いくつぐらいの青年です」 「わしもはっきりしたことは憶《おぼ》えていません。ほんの二、三分言葉を交しただけのことですからね。二十一、二といったところでしょうか。髪はいまはやりのぼさぼさ髪で、白の開襟シャツの上に、赤い色のセーターを羽織っていたと思います。言葉は関西の言葉でした。京都か大阪の学校へ行っている学生ではないかと思います。娘さんを先に乗せ、ボートを押し出して行って、飛び乗ったところなどから見て、ボートには慣れていた様子でした。わしは岸のところに暫《しばら》く立っていましたが、少し漕ぎ出して行ってから、二人でわしの方に手を振りました。そんなところは屈託ありませんでした。突風の起る少し前に、竹生島の南の方で漁船がすれ違った時も、二人は漁船の方に手を振っていたということですが、やっぱりわしの方に手を振った時と同じように、二人とも、片方の手を思いきり高く突きあげて、ぐるぐる円を描くように回していたのだろうと思いますね。いま考えると、まるで二人はわしに別れの合図をしたみたいなものですわ。わしに別れの合図をし、それから二時間ほどして、また行き会った漁船に別れの合図をし、それから間もなく突風に襲われたということになります。突風というものは、恐しいものですわ。このへんにも波がぶさぶさ押し寄せて来るくらいですから、それをまともに受けたら敵《かな》いません。ボートぐらい舞いあがってしまいますわ」 「きのう、この浜からボートに乗ったのは二人だけですか」 「そうです。土曜、日曜には七組や八組はありますが、そうでない日は、今のところ一組あったり、二組あったりがせいぜいです。だから、わしも浜には出ていません。きのうも、誰かに聞いて、青年の方がわしを家に訪ねて来ました。それで青年といっしょに浜へ出て来たんですが、その時娘さんの方は、あの辺りに立っていました」  ボート屋の主人は、夏だけに使うらしい貸ボート屋の小屋掛けのある辺りを指し示して言った。架山は胸を鋭い痛みが走るのを感じた。葭簀《よしず》がめくれあがった季節はずれの小屋掛けの前に、みはるの姿を置いてみることは辛《つら》かった。 「青年の方は今朝まではまだ身許《みもと》が判らないということでしたが、——」 「いまも判っていないようです」  架山は言った。 「辛いことですわ。お宅さんにはこうしてお詫びしていますが、もう一人の親御さんの方にもお詫びせんならん」  主人は言った。  架山は時計を見た。二時を回っている。そろそろ長浜港の波止場の方に出向いて行かねばならぬ時刻である。貸ボート屋の主人に会ってから、架山の気持は一層暗くなっていた。恐らく主人は遭難者が生存していることを、これっぽちも信じていないに違いないと思われた。 「また、あすでも出向いて来ます」  架山は言った。みはるたちは、この浜から漕ぎ出して行ったのであるから、帰って来るなら、やはりこの浜へ帰って来るのではないか、そんな気持が架山を支配していた。  と言って、架山は浜のどこも見ていなかった。架山の立っているところから程遠からぬところに貸ボートが何|艘《そう》か固まって置かれてあったが、その方に近寄って行く気持にもなれなかった。みはるが乗ったボートがどのようなボートであるか、それを確かめるのも、今は何となく避けたい気持だった。 「室戸君、そろそろ——」  架山が言うと、秘書の青年はくるまの方へ半ば駆けるように去って行った。架山は貸ボート屋の主人に挨拶して、そこを離れた。  くるまの中で、架山は眼を瞑《つむ》っていた。気持はひどく参っていたが、気を落さないで、今日一日頑張らなければならぬと思った。三日目に助かった例もあるのである。事件はきのうの丁度いま頃の時刻に起ったのであり、それからまだ一昼夜しか経過していない。湖岸のどこかにあがっていても、餓死するだけの時間は経っていないのである。 「お疲れになりませんか」 「大丈夫だよ」  秘書の青年と架山が短い言葉を交すと、 「たいへんですな」  運転手が口を挟んで来た。客がいかなることで動き回っているか、漸《ようや》くそれに気付いたらしく、 「あすまでは判りませんよ。事件はきのうのことでしょう。まだまだ棄てたもんじゃありません。今はもう寒くはないし、水に一晩や二晩つかっていても凍《こご》えはしません」 「有難う」  架山は礼を言った。 「それに湖岸を捜索したと言っても、あなた、全部をしらみ潰《つぶ》しに捜索できるもんじゃありません。あしたになっても判らなかったら、漁船を頼んでみることです」 「そんなことができる?」 「そりゃ、できます。日当を払って十艘でも、二十艘でも、船を出すことですね」 「そりゃ、いいことを聞いた」  架山が言うと、 「あとで、よく調べて、手配するようにしましょう」  室戸は言った。運転手の言葉で急に架山の気持は明るくなった。まだ打つ手は残されているという気持だった。  長浜港の波止場で、架山と室戸はくるまを降りた。 「あれが警備艇です」  運転手は船の所在を二人に教えてから、 「大体三時間はかかりましょうから、三時間経ったら、ここに迎えに来ています」  そう言って、帰って行った。架山と室戸は警備艇が繋《つな》がれている傍で、乗組員が現われるまで十分ほどの時間を過ごした。  やがて二人の制服の警官が現われた。一人は長身で、かっぷくがよく、一人は小柄であった。小柄の方は、午前中警察署で会った時私服を着ていた警官であった。 「お待たせしました」  そう言うと、二人ともすぐ艇に乗った。続いて、架山と室戸も乗った。長身の方が運転室にはいると、間もなく艇は動き出した。  架山と室戸は、吹きさらしの甲板上に立っていた。小柄の警官が二人のために椅子を運んで来て、 「今までのところでは、新しい情報は何もはいっていません」  と言った。 「諦《あきら》めています」  架山が言うと、 「気を落さないでいて下さい。ふらふらすると、船の上ですから危険です」 「大丈夫」 「では、これから竹生島に向かいます」  小さい港を取り囲むようにして、両側から突き出している防波堤の口を出ると、警備艇は物凄《ものすご》い勢いで湖上を滑り出した。モーターボートでも走っている感じで、前半身を高く持ちあげ、後半身を低く水面すれすれに置いている。艇尾には水の渦がV字型に盛りあがり、大きいうねりを作って、長い航跡を引いている。  警備艇が湖上に乗り出してから何程も経たないうちに、架山は湖での遭難者が助かるということは、まず望めないという思いに捉《とら》われた。海に於《おい》ての遭難と同じだった。どこを見回しても、不気味な水の大きい拡がりであり、ここで水の中に投げ出されたら、近くに船でも居ない限り助かる筈《はず》はなかった。架山は船影を探したが、一艘の船も見られなかった。 「ここでひっくり返ったとしたら、もう望みはありませんね」  架山が言うと、 「そういうことになります。それに、事故の現場はもっと湖心に近い場所ですからね」  小柄な警官は言った。 「遭難者の家の者も、私どものように、この警備艇に乗ることがありますか」 「希望すれば、大抵乗って貰《もら》うことにしています」 「なるほど、ね」  警察が乗せる筈だと架山は思った。遺族の者を諦めさせるには、これ以上の方法はないに違いなかった。  湖上を滑り出して三十分ほど経った頃、前方に竹生島が見えて来た。 「事故の現場はこのへんではないかと推定しています。どこかこの付近で漁船とすれ違い、ここからさして遠く隔たっていないところで、突風に見舞われたと見るほかありません」  小柄な警官は言った。そして、 「もちろん、これは単なる推定にすぎません。突風による遭難が最も自然なので、そう考えただけのことですが」 「突風による遭難でないとしますと、——」 「いろいろな場合が考えられます。たとえばオールを流して、それを拾おうとして顛覆《てんぷく》することもありますし、——なにしろこの頃のボートはプラスチック製の軽いものですから。しかし、まあ、突風による事故でしょうね」 「突風が起った時、湖上にはどのくらいのボートが出ていたんでしょうか」 「そりゃ、相当いたでしょうね。このへんにまで来ているボートはほかになかったんでしょうが、湖岸近いところには相当な数のボートが浮いていたと思います」 「ほかに、ボートの事故は?」 「さいわいありませんでした。従って一件だけです」 「じゃ、それほど強い突風ではなかったんですね」 「いや、相当強い風だったと思います。なにしろ大きい湖ですから、突風の起った場所によって、それから受ける被害の度合も違います。——運が悪かったんですね」  架山は湖面に眼を当てていた。湖岸近い水域とはまるで異った黒ずんだ色をしている。 「このへんは深いんですか」 「一番深いところです。百二十メートルぐらいの深さがあります。沈んだらなかなか浮かんで来ません」  架山は椅子から降りて、床に坐《すわ》った。微《かす》かにめまいを感じたので、坐っている方が安全に思われた。 「あす、もう一度、この船に乗せて頂けませんか」 「結構です」 「花を投げてやりましょう」  架山は言った。風による事故か、ほかの原因によるものか知らないが、ボートがここで顛覆したことが事実であるとするなら、みはるはすでに亡くなっていると思わねばならなかった。そう考える以外、いかなる考え方もなかった。 「そうですね。そうなさるがいいでしょう。なお捜索は続けますが、それはそれとして、そういうお気持になれたのなら、花を捧《ささ》げることがいいでしょう」 「いろいろ有難うございました。お手数をかけました」  架山は改めて警官の方へ頭を下げた。この時初めて、架山はみはるを死者として考えることができた。  艇が竹生島に近づいて行くに従って、水の色は濃い青さに変って行った。艇が竹生島の船着場に着くまで、架山は湖面以外どこも見ていなかった。艇の動きが停まった時、初めて顔をあげた架山の眼に、幾つかの石段と、幾つかの社殿と、幾つかの鳥居がはいってきた。警官の一人が船からコンクリートの突堤の上に飛び移った。 「ちょっと降りてごらんになりますか。十分ほど停まっているそうです」  秘書の室戸が言った。 「いや、このままここに居させて貰おう。ここからお詣《まい》りする」  架山は言った。そしてその言葉の通りにした。艇の甲板の上に坐り直して、島の方へ向かって頭を下げた。どこに本殿があるか判らなかったので、急な石段がのびている高処の方へ頭を下げたのである。  ——どうぞみはるをお護《まも》り下さい。  架山は心の中で言った。お護り下さいということは、みはるの生命《いのち》を護って下さいということであった。つい今しがた、みはるの死を自分自身に納得させたばかりであったが、神に祈るとなると、そういうわけにはいかなかった。架山は自分の心がまだみはるのことを諦めてはいないことを知った。 「やはり何の新しい発見もありませんでした」  艇に戻って来た小柄な警官は言った。再び艇は動き出した。竹生島の周囲を一周して多景島方面へ向かうということであった。  竹生島は全くの岩石の島であった。どこも岩壁が殆《ほと》んど垂直に湖中に突きささっている感じで、遭難者がすがりつけるような場所は一か所もなかった。神を祀《まつ》ってある島ではあったが、そういう島が、架山には冷たく、意地悪く見えた。 「鷺《さぎ》がたくさん居ますよ」  警官は言った。なるほど岩壁の一か所に鷺は群れていた。島はどこも雑木の緑に覆われているが、その鷺の棲息《せいそく》地になっている場所だけ、雑木は緑を失い、岩石が肌を露出していた。  架山はいったんそこに眼を当てたが、すぐ眼をはなした。この世ならぬ風景に見えた。鷺も美しくは見えなかったし、鷺の群がっている様も決して快適な見ものではなかった。ああ、嫌だ、と架山は思った。鷺の棲息場所は、架山には幽界の一情景のように見えた。  艇は竹生島を回ると、物凄いスピードで湖面を滑り出した。いまの架山にとっては、艇がいかに速く突走ろうと、速すぎるということはなかった。大きい波のうねりが長い直線をひいて行くのを見守りながら、初めて架山は拳《こぶし》を眼に当てた。涙が溢《あふ》れて来たのである。  警備艇が長浜港の船着場に戻ったのは七時だった。夕闇が迫りつつあったが、湖面はまだ明るかった。架山は二人の乗組員に礼を言って、近くに待っていたくるまに乗った。新しい情報でもはいっているかも知れなかったので警察署に行ってみることにした。 「たいへんですね、お疲れでしょう」  運転手が言った。 「気が張っているから」  架山は答えたが、警備艇から降りた時から、烈しい疲労が全身を襲っているのを感じていた。  警察署の建物にはいって行くと、午前中に顔を合わせた警官の一人が、 「いっしょに乗っていた青年の身許《みもと》が判りました。京都のA大学の学生らしいです。父親が来ていますから会って下さい」  と言った。 「ほかに本人たちについて、何か新しい情報は」  架山が言うと、 「残念ですが、まだ遺体はあがりません」  警官の言葉では、すでにみはると連れの青年は死者として取り扱われていた。  架山と室戸は午前中に通された畳敷の部屋にはいって行った。部屋には二人の警官と、背広服の五十年配の人物が対《むか》い合って坐っていた。  架山の姿を見ると、警官の一人が座をあけてくれた。 「こちらが時花みはるさんのお父さんです」  警官が言うと、背広服の人物はすぐ坐り直して、 「この度はどうもたいへんなことになりまして、私が父親でございます」  と頭を下げると、上着の内ポケットをさぐって名刺入れを取り出した。架山は渡された名刺を受け取ったが、自分の名刺は出さなかった。名刺交換どころの場合ではないという気持があった。  すると、警官が卓の上に置いてあった一枚の小さいカラー写真を、架山に示して、 「お宅の娘さんというのは、この方ですか」  と訊《き》いた。どこか知らないが公園らしいところに、若者と娘が立っている。娘の方に眼を当てた時、架山はすぐそれがみはるであることを知った。 「そうです」  架山が答えると、 「やはりそうでございましたか。では、私の息子に違いありません。きのうの朝、女の友だちと琵琶湖へボートに乗りに行くと申して、家を出ましたまま帰っておりません。今朝のラジオのニュースでボートの遭難事故があったことを知り、それから大騒ぎになりました。はい、この写真は息子の友だちが持っていたものでございます。このお嬢さんは家《うち》にも一度いらしったことがありまして、お名前は存じませんでしたが、お顔は存じておりました。——いや、息子でございます」  それから相手はハンカチを眼に持って行った。 「お互いに困ったことになりましたね」  架山は初めて口を開いた。自分でも自分の言い方の冷たいことが判った。こんどのボートの遭難事件に於《おい》ては、青年に専ら責任があると思う。警報が出ているのに、それを無視して、ボートに乗ることを主張したのも青年の方であろうし、無鉄砲に竹生島の南方まで漕《こ》ぎ出して行ったのも青年であろう。みはるの方は何と言っても少女の域を脱していない年齢である。相手の青年を信頼し、青年の言う通りに行動したに違いないのである。 「本当に、どういうご縁でございましょうか。こうしたことでお目にかかるようになりますとは」  相手は言って、またハンカチで頬のあたりを押えている。涙を出しているのであろうとは思うが、泣いているか、泣いていないか判らない。色は黒く小皺《こじわ》の多い顔をしている。老いているというのではなく、漁師などによくある苦渋にみちた顔なのである。 「とにかくですね」  警官は架山たち二人の顔を見較べるようにして、 「たいへんお気の毒ですが、時間の経過からみて、まず遭難者の生存を期待することはできないとしなければなりません」 「それは、もう」  青年の父親は頭を下げた。 「できるだけのことをして頂きましたので、諦《あきら》める以外仕方ございません」 「しかし、諦める以外仕方ありませんが、私の方はなかなか諦めきれない」  架山が言うと、 「それは、もう」  相手は、こんどは架山の方に頭を下げた。 「それで、あすからのことですが」  警官が話を自分の方に引寄せた。 「警察としましては、これから遺体の捜索に全力をあげます。が、いつあがるか判りません。今夜にもあがるか、五日も六日もあとのことになるか」 「それは、もう」  息子の父親はまた頭を下げ、やたらにハンカチで眼を押したり、頬を押したりしている。よく頭を下げる奴だと、架山は思った。 「あすはこちらに居て下さいますね」 「それは、もう」 「あなたの方は」  警官が架山の方に顔を向けたので、 「私も事件が解決するまで、留《とど》まっております」  架山は答えた。室戸が宿の所番地と電話番号を、警官の差し出した紙片に記している間、架山は青年の父親なる人物に眼を当てていた。架山はどうしても相手に好感が持てなかった。お前が悪い、お前の息子が悪い、こういう言葉を口から出したら、少しは胸が晴れるだろうと思ったが、まさかそういうこともできなかった。  架山は室戸を促して腰をあげた。 「いろいろ有難うございました。またあすご連絡いたします」 「すぐお寝《やす》みになることですね。体をこわしてはいけません」  警官は言った。その労《いたわ》りの言葉が、架山には心にしみて感じられた。 「宿へ帰ったら、すぐ寝みましょう。ゆうべから寝んでおりませんから」  架山は素直に言った。 「私の方は今朝知りまして、まことに相すまんことでございます」  青年の父親は坐《すわ》り直して頭を下げた。実直な感じであったが、架山には愚鈍に見えた。みはるが死んだのは仕方ないとしても、こんな人物の息子といっしょに死んだと思うと救われない気持だった。  架山が警察署の建物を出て、くるまに乗ろうとしていると、青年の父親なる人物が追いかけてきた。 「お打ち合わせいたしたいこともございますが、あすにいたしましょう。あすの朝、お宿の方に伺わせて頂きます」 「どうぞ」  架山はそれだけ言った。一体何を打ち合わせようというのであろうか。しかし、考えてみれば、打ち合わせなければならぬことはたくさんあるに違いなかった。二人は今や一つの湖心で起った事件に対して共同の立場に立っていた。架山は遭難した娘の父親であり、相手は遭難した青年の父親であった。親という立場からすれば、こんどの事件から受けた打撃も同じであり、悲しみも同じであるに違いなかった。 「家内もお目にかからねばならないんですが、ラジオを聞いている時、ひっくり返ってしまいまして」  相手は言った。 「そうでしょう、母親ですからね。私の方の母親もひっくり返っております」 「左様でございますか。どんなにかお力落しだったでございましょう」 「力を落してひっくり返ったわけではないんです。ショックで失神したんです」  架山は相手の言葉を訂正した。訂正しなければ気がすまなかった。事件を知って、いきなり死んだと思って力を落す者はないのである。 「はあ、まことに」  相手は恐縮した。 「私だって、まだ力は落していません」 「いかにも」 「あす一日は希望は棄てません。大切な娘ですから、死なれては困ります」 「それは、まことに、その通りで」 「ひとり娘ですからね」 「左様でございますか。それは、それは、大切なお嬢さまで」 「いずれにしましても、あすのことにしましょう」 「相すまぬことでございました。お引き留めしまして」 「では」  架山はくるまに乗った。  宿に着くと、夕食の用意を頼んでおいて、洗面所で顔と手を洗った。女中から入浴をすすめられたが、入浴は見合わせることにした。  すぐ京都の時花学院に電話を入れ、前に電話口に出て来た若い女性に、生存の希望は棄てなければならぬ状態にあることを伝えた。 「あす、こちらから誰か伺います。先生は動けませんが、誰か参ります」  相手は言った。京都との電話のあとで、東京の自宅へも電話を入れた。電話口に出た冬枝に事件のあらましを説明してから、 「望みはもうない。諦めている。だが、遺体があがるまでここに居なければならぬ」  架山が言うと、 「京都から誰か来ていますか」  冬枝は訊いた。 「あす来る。母親は入院していて動けないので、学校の方から誰か来るらしい」 「では、こちらからわたしも参りましょうか」 「それには及ばない」 「わたしもお母さんと呼ばれたことがあります」 「判っている。君がショックを受けていることも、悲しんでいることもよく判っている。しかし、京都から母親も来ないのだから、君も来ない方がいい」 「では、そうします。どうしていいか、わたしには判りませんから、あなたのおっしゃるようにします」 「会社の方には、事件のあらましを伝えておいてくれ。どうせ判ることなんだからね。——そうだな、誰に伝えたらいいかな。——吉田君に報《しら》せておいて貰《もら》おうか」  架山は言った。吉田というのは会社の重役の一人である。 「但し、こちらに来るには及ばないと言ってくれ。遺体が見付かるまでは、ひとりで居たいんだ。室戸君がついていてくれるから心配はない」  架山は言った。夕食は室戸と対《むか》い合って卓に就いた。食べものが喉《のど》を通りそうもなかったので、ウイスキーの水割の助けを借りた。室戸は酒は強い筈《はず》であったが、どんなに勧めても、ウイスキーの壜《びん》には手を出さなかった。 「いっしょにボートに乗っていた青年の父親なんだがね。一体、どういう人かな」  架山が言うと、 「大三浦さんですか」  秘書は言った。架山は初めてこの時青年の父親が大三浦という姓であることを知った。名刺は貰ってあったが、上着のポケットに突込んであった。 「大三浦製作所という会社の社長さんらしいです。何か小さい部品工場みたいなものを大阪でご自分で経営しているらしいです」 「ほう」 「そこのひとり息子さんのようです」 「ひとり息子か。向うもひとり息子か。さっき、そんなことは言わなかったな」  架山は言った。  夕食を終ると、寝床をとって貰って、架山は横になった。疲れきっているので、すぐ眠れるかと思ったが、なかなか眠りにはいれなかった。うとうとすると、長い藻のようなものが纏《まと》い付いて来て、首にからまったり、手足にからまったりし、その度に眠りの沼から弾《はじ》き出された。  ——ああ、苦しい。  架山は声に出して言った。本当に苦しいと思った。架山はそんなことを何回か繰り返した果てに、寝床の上に起きあがった。坐ったまま眠る方がまだらくだと思った。  架山は寝床の上に端坐《たんざ》して、眼を瞑《つむ》ったまま腕組みした。するとみはるの顔が浮かんできた。会社の玄関の前で別れた時のみはるの顔であった。  架山は思いを他に転じたかったが、それができないことを知ると、そうだ今夜ひと晩みはると付合ってやろうと思った。それが父親としての幸薄かった娘への務めであるに違いないという気持だった。  ——みはる、君は度々、会社にこの父親を訪ねて来てくれたな。  架山は頬を濡《ぬ》れるに任せていた。  ——君の生涯は短かった。しかも決して幸福ではなかった。ずいぶん小さい心を、いろいろな悲しみで埋《うず》めたな。淋《さび》しいこともあったな。辛《つら》いこともあったな。  架山は嗚咽《おえつ》に身を任せていた。  ——人間生れて幸福になる者もあれば、不幸になる者もある。お前は不幸の方に縁があったな。心優しく生れ付いていたのに、突風までがお前に禍《わざわい》したな。  架山はずたずたに自分の心を引裂いていた。どの裂け目からも血が流れている。どれだけそのような時間が続いたろう。架山は嗚咽したまま床に俯《うつぶ》し、そしてそのまま失神したように眠りの世界に落ち込んで行った。安らかな眠りではなかった。相変らず藻は首に巻き付き、手足に纏い付き、鬼火のようなものがあちこちに燃え、そうした中を架山はつまずきながら歩いていた。もう永遠にこうした世界から脱出することはできないのだと、そんなことを自分に言いきかせながら、よろめき、よろめき、歩いていた。  宿の女中に起されたのは九時だった。縁側の雨戸は開けられ、明るい陽光がはいっていた。ああ、それでも眠ったと、架山は思った。  洗顔して部屋に戻ると、室戸が顔を出して、 「さっき大三浦さんがお見えになりました。特にお話があるようにはお見受けしませんでした。夕方お目にかかると言って帰られました」  室戸は言った。あまり会いたい相手ではなかったので、帰って貰った方が有難かった。  からりと気持よく晴れた日だった。ゆうべのような苦しい夜に続いて、このような明るい朝が来ていることが、架山には信じられぬ気持だった。ひとりで朝食の卓に向かっていると、電話で警察署の方に連絡をとった室戸が、その報告にやって来た。 「大三浦さんの方は漁船に十|艘《そう》出て貰っているようです」 「どこの漁船?」 「長浜の組合に頼んだらしゅうございます。さっき来たのは、その打ち合わせではなかったかと思います。こちらはどういたしましょう」 「こちらはこちらで出そう。別でいい。きのう行ったボート屋に頼んで、びわ町の漁船を出して貰おう。僕も乗る」  架山が言うと、 「お乗りにならない方がいいと思います。なるべくならご遺体は見ない方が宜《よろ》しいと思います」  室戸は言った。架山は室戸の言うようにしようと思った。漁船に乗らない方がいいと言うなら乗らないでおこうと思う。みはるの遺体を見た時、自分がどうなるか自信はなかった。 「きょう一日、この宿に居て頂きましょう。漁船の交渉も、警察署との連絡も、みな私がいたします。あるいは今晩あたりお寝《やす》みになれなくなるかも判りませんので、なるべくお体を休めておいて頂きたいと思います」  室戸は言った。そしてくるまを頼んで宿を出て行った。しかし、架山は架山で体を休めてはいられなかった。訪問者があった。最初に警官に案内されてやって来たのは、時花学院の若い事務課員であった。いつも電話口に出て来る女性であった。事件のあった日、みはるは平常と少しも変りなく明るい顔で家を出て行ったこと、男友だちはあったかも知れないが、家に連れて来たことはなかったことなどを、口数少く話した。 「ご遺体が出るまで、この町に留《とど》まっております」 「そうして下さい。宿は?」 「学院の生徒さんの家がありますので、そこに泊めて貰うことになっています」  そして、その宿所の所番地を書いた紙片を置いて、若い事務課員は帰って行った。みはるの学校の友だちも二人来ているということだったが、二人とも事務課員と同じ宿所に厄介になっているらしかった。  女の客と入れ替りに、遭難した青年の友だちだというのが三人やって来た。警察署に顔を出したらしかったが、大三浦が船に乗って湖上に出ていたので、架山の方を訪ねて来たのであった。架山は仇敵《きゆうてき》の片割れにでも会うような気持で、三人の若者を部屋に招じ入れた。  三人の青年は部屋の隅にかしこまって坐《すわ》った。 「僕たち大三浦君の高等学校時代からの友だちです。大三浦君の家から事件を報されて、驚いて駆け付けて来ました」  一人が言った。 「それはご苦労さんです。みんな同じ大学ですか」 「二人は同じ大学で、一人は違います」  すると、真中に居るのが、 「僕だけまだ浪人です」  と言って、頭をかいた。三人とも頭髪は伸びほうだいに伸ばしており、申し合わせたように、まる首のシャツに薄いセーターを羽織っている。 「あなた方、幾つですか」 「みんな二十一歳です」 「大三浦君も」 「そうです」  二十一歳にしては子供子供していると、架山は思った。大学生には見えない。すると、浪人中だというのが、 「僕はこの前の日曜に大三浦君と会っています。その時、琵琶湖にボートに乗りに行くというので、僕も連れて行けと言ったんですが、可愛い子ちゃんといっしょだからといって断わられました。今考えると、僕も強引に押しかければよかったと思います。遠慮したのがいけませんでした」  と言った。 「あなたが来ても、突風は起ったでしょう。二人の犠牲が三人になっただけだ」  架山は言った。そして余り頭のよくなさそうなのが揃っていると思った。 「でも、僕は一応慎重ですから遠いところへは行かなかったと思います」 「大三浦君は慎重ではないの?」 「慎重とは言えないと思います。——なあ?」  他の二人の相鎚《あいづち》を求めた。 「時にびっくりするような大胆なことをすることがありました」  一人が言うと、 「でも、反面|臆病《おくびよう》なところもありました。大胆なところと、臆病なところとちゃんぽんでした」 「そういう言い方をすれば、人間みな二つの面を持っている」  架山は言った。大三浦という青年の大胆なところと、臆病なところと、そのいずれかのために、みはるは災難を蒙《こうむ》るに到ったのである。あるいはその双方による災難であったかも知れない。 「成績は?」 「成績はいかんです」  浪人が言った。 「だって、あなたとは違って浪人しないではいっているでしょう」  架山が言うと、 「A大学ですから」  すると、他の一人が、 「ひどいことを言うなよ。いくらA大学だって、大三浦はともかく、僕たちは堂々とはいっている」 「大三浦君は?」 「裏口入学です」  浪人が言った。 「補欠でしたが、親父さんが誰かに頼みに行って入れて貰《もら》ったと思うんです。これ、大三浦君の口から聞いたことです」  浪人は言った。いずれにしても、大三浦という青年もまた学業に於《おい》ては、余り優秀とは言えないようであった。 「性格は?」 「とてもいいです」  三人が殆《ほとん》ど同時に言った。 「友だちみんなに好かれていました。真面目すぎるくらいでしたし、淋《さび》しがりやなところもありました。金を友だちに貸しても、それを請求できないようなところもありました」  一人が言った。甚だ粗雑な性格の分析である。が、今ここに居るこの三人も同じような性格でもあり、ほぼ同等の頭脳の所有者であろうと思われる。この三人中のどの一人をとっても、いま彼等自身が口にした幾つかの条件で説明できそうである。大胆でもあり、臆病でもある。真面目でもあり、淋しがりやでもある。そのくらいだから友だちには好かれるが、貸した金も取り返せない性格の弱さがあり、当然のこととして、学業の成績は余りかんばしくないのである。採点を総計すると、義理にも優秀な大学生とは言えなさそうである。  こういう連中の一人のために、みはるは犠牲になってしまったのである。どうしてみはるがこういう若者たちの一人と知り合いになったか知らないが、その誘いにのって琵琶湖まで遊びに来たのが、みはるの年齢の少女の持つ稚《おさな》さでもあり、他愛《たわい》なさでもあるに違いなかった。 「大三浦君のお父さんは何時に帰って来るでしょう」  一人が訊《き》いた。 「知らんね。警察署で訊いたら判るでしょう」 「僕たちも船に乗りたいんです。どうしても友だちとして、遺体の収容の仕事に当りたいんです」 「それはご苦労さん。ただ自分たちだけでボートを出したりしてはいけない」 「はい」 「捜索に漁船が出ているから、その漁船に乗せて貰うんですね」  架山は注意してやった。黙っていると何をするか判らないと思った。  学生たちが帰って行くと、室戸から電話があった。びわ町から漁船十|艘《そう》に出て貰ったが、きのうとは違って湖が少し荒れているので、捜索はなかなか難渋を極める模様であるということであった。  午後、架山はきのうと同じように警備艇に乗せて貰うことにした。室戸は遺体が発見された時のことを案じて、架山が警備艇に乗ることに反対したが、架山はボートが遭難したと思われる水域に花束を投じて来ないと気がすまなかった。もはや生存の希望は全くなくなっており、しかも事件が起きてから二昼夜を経過しようとしていたが、亡き霊を慰めるいかなることもしていなかった。  警備艇はこの日も三時に長浜港を出た。架山と室戸は、それぞれに花束を抱えて乗った。白い梔子《くちなし》の花である。空は気持よく晴れて一点の雲もなかったが、湖面は波立っていた。  竹生島南方の水域で、警備艇は停まってくれた。架山は乗組員二人にも花束を分けた。架山、室戸、それから二人の警官の順で、花束を投じた。最初に架山が艇から身を乗り出すようにして、そっと花束を水の上に置いたので、他の三人もそれに倣った。四つの花束が波の間に漂っているのを見ながら、 「有難うございました」  架山は二人の警官と室戸に礼を述べた。  警備艇はすぐ動き出した。その辺りから竹生島へかけて、何艘かの漁船が浮かんでいるのが見えた。どの漁船も波のために高く低く揺れ動いていた。遺体捜索の漁船であるかも知れなかった。  きのうと同じように、七時に長浜港に戻った。警察署に立ち寄ってみたが、遺体発見の報はどこからもまだはいっていないということだった。  宿で夕食をすましたところに、青年の父親が訪ねて来た。朝も訪ねて来て貰ってあったので、会わないわけにはいかなかった。  大三浦は部屋に案内されて来ると、 「お疲れのところ、お邪魔しまして」  と、鄭重《ていちよう》に挨拶《あいさつ》し、 「警察で伺いましたが、お花を捧《ささ》げて下さいましたそうで、まことに有難うございました。私もお供すれば宜《よろ》しゅうございましたが、漁船の方に乗っておりましたので、いかんことでございました」  と言った。一日漁船に乗っていたためであろうか、大三浦の顔は赤く陽にやけていた。 「いや、捜索の方をやって頂いたのですから」  架山は言ったが、そのことをそれほど感謝する気持はなかった。 「一度しかお目にかかりませんでしたが、このようなことがありますせいか、何とも言えず明るくて、お優しいお嬢さまでございました」  大三浦は言った。この時もまたハンカチを眼に当てた。こんどは対《むか》い合って坐《すわ》っているので、架山には相手が泣いていることが判った。  架山は、相手がみはるの明るさや優しさを褒めてくれるのはいいとして、このようなことがあるためかという言い方が気にくわなかった。このようなことと言うが、それはみはるが関係したことではない。すべては、お前さんの息子が招いたことなのである。お前さんの息子がもっと慎重で、思慮分別に欠けるところがなかったら、よもやこのようなことは起りはしなかったのである。みはるはお前さんの息子のおかげであたら生命《いのち》を失ってしまったのである。架山はこう言いたかった。  大三浦は何回もハンカチを眼に当てたり、鼻をかんだりしてから、 「どうもいけません。やたらに顔がちらちらいたしまして。——こういうことになりますなら、何でも望むことをしてやったらよかったと思います。が、今となりましては、何もかもあとの祭りでございます。あとの祭りとはよく申したもので、まことにあとの祭りでございます。ヨーロッパをくるまで、無銭旅行をしたいと申しましたが、叱らないで、させてやれば宜しゅうございました」  架山は黙っていた。子供も、親も、余り利口ではないと思う。むしろこの父親というのが一切の責任を負うべきであるかも知れない。暫《しばら》くして、架山は言った。 「ヨーロッパをくるまで無銭旅行などおさせになったら、琵琶湖でなくて向うで亡くなっていたでしょう」 「はあ、まことに」 「まだ近いだけ、琵琶湖の方が始末がいいですよ」  突きはなした言い方だった。すると、相手は、 「でも、ヨーロッパの方で事件を起しましたのなら、お嬢さんの方は何事もございませんでした」 「そりゃあ、そう」 「まだヨーロッパの方が宜しゅうございました。悲しむのは、私一人ですみました」  大三浦は言った。こう言われると、架山としても返すべき言葉はなかった。まさに、その通りであった。 「しかし、ヨーロッパでなくて、琵琶湖で起ったので、娘もお付合いすることになりました」 「はあ」 「いずれにしましても、今になってはもう、あなたがおっしゃるようにあとの祭りです。何を言っても始まりません。あなたもお辛《つら》いでしょうが、私も辛い」  同じように辛いと言っても、私の方がもっと辛いと、架山は言いたかった。 「ほんとにすまんことでした。かけ替えのないおひとりだけのお嬢さんをお誘いなどいたしまして」  大三浦は言った。初めて相手が、責任は自分の息子の方にあるという言い方をしたと、架山は思った。実際はどちらが誘ったか判らないわけであったが、男の方の親としてはこういう言い方をすべきであり、それを架山は今まで待っていたのである。 「こちらもひとり娘ですが、お宅の方もひとり息子さんだそうじゃないですか。たいへんですね」  架山は言った。架山の方も初めて労《いたわ》りの言葉を口から出してやった。 「左様でございます」 「辛いことですね」 「はい。——辛いのはお互いさまでございます。ゆうべはお寝《やす》みになれましたか」 「なかなか眠れませんでしたが、暁方になって少しまどろみました」 「左様でございましょうとも。どんなにかお苦しかったことでございましょう。よくお察しできます」 「あなたは?」 「私でございますか。私も——」 「お寝みになれなかったんですか」 「はい。浜を歩いておりました。米原と彦根の間の海っぺたに宿をとっておりますが、その宿の裏手の浜を歩いておりました。こっちに歩いて参りますと、向うで声がいたします。それで向うへ参りますと、またこっちで声がいたします。みんなそら耳でございます。一晩中、浜でうろうろしておりました。暁方になって、辺りが白み始めました頃、犬が一匹やって参りまして、胡散《うさん》臭く思ったのか、やたらに吠《ほ》え立てます。それで宿に戻りました」 「ほう、それはたいへんでしたね」 「親というものは愚かなものでございまして。——と申しましても、もちろん私の場合のことでございますが、どうもいけません。悪いところは思い出しませんで、いいところばかり思い出します。中学校の頃はよく家を飛び出しまして、それでさんざん苦労させられましたが、そんな時のことはいっこうに思い出さないで、家へ帰って来て、しゅんとして、素直になっている時の顔の方ばかり眼に浮かんで参ります」 「どうして家を飛び出したんですか」 「死ぬ気だったようでございます」  相手は聞き棄てならぬことを言った。 「死ぬ気?」 「はい。母親が違いまして、僻《ひが》んでいたのでございます。決して邪険にするような母親ではございませんが、中学へ通う年頃というものは難しいものでございます。私も手を焼きました。苦労いたしました」 「生みのお母さんは?」 「息子が五歳の時他界いたしました」 「ほう、お母さんが違いますか」  憮然《ぶぜん》たる面持ちで架山は言った。みはるだけが普通とは異った環境に育っているかと思っていたが、相手の青年もまた似たような環境に育っているのである。 「それにしても、自殺しようと思って家を飛び出すとは!」 「はい。利口な子供なら、そのようなことはいたしませんが、どうもかっとする性質でございまして、——それに学校の成績も余りよくはございませんでした。それやこれやで、子供心に世をはかなんだのでございましょう」 「お母さんとは、今でもよく行っていなかったんですか」 「いいえ、今はもう、——何を申しましても、今は母親の方が敗けております。高校へはいりましてからは、家庭内に波風は立っておりません。何分、心根は優しいところのある息子でして、物の道理が判るようになりましてからは母親を労っておりましたし、そのくらいですから、母親の方もまた息子によくしてやっておりました。子供の頃はいろいろ苦労させられましたが、どうにか大学にも入れて貰《もら》い、漸《ようや》く母親との仲もうまく行くようになったとほっとしておりましたら、こんどの事件でございます」 「大学の成績は?」 「どうでございましょう。余りよくなかったんではないでしょうか。人なみに大学教育を受けさせようと思ったのが、今思うと不憫《ふびん》に思われてなりません。幼い時から手仕事がすきで、熱中いたしますと、何日もぶっかかっておりましたので、いっそ職人にでもさせましたら、こんどのようなことにはならなかったんではないかと思います。大学なぞにやりましたので、ボートなどに乗ることを覚え、——まことにいかんことでございました」  特殊な環境に育ってはいるが、それにしても、話を聞いてみると、もともと余り優秀な若者とは言えそうもない。架山はそうした若者といっしょに亡くなったみはるが哀れであった。 「どうでございましょう?」  ふいに改まった口調で、大三浦は言った。 「今日はだめでございましたが、あすは遺体があがるのではないかと思います」 「そうでしょうか」 「いや、あすは大丈夫でございます。必ずあがりましょう。これは、ご相談でございますが、遺体があがりましたら、いっしょに祀《まつ》って頂けないものでございましょうか」 「いっしょに祀ると言いますと——?」 「お宅の宗旨も伺わないで、こう申しましてはなんでございますが、いっしょに供養できるものなら、そうしてやったらいかがかと思いまして」 「そのことは、ちょっと待って下さい」  架山は言った。遺体が発見されないうちに供養の相談も変なものであったし、それにそうすることを、みはるの霊が悦《よろこ》ぶかどうか、そのことが第一の問題であった。 「その件は、遺体が発見された上でのことにいたしましょう。同時に発見されるということはめったにないと思いますし」  架山が言うと、 「左様でございましょうか。私はどうもいっしょに発見されるのではないかと思います。同じ時刻に、同じ場所での事件でございますので。——そういう場合は、いっしょに供養してやった方が自然のように思われます。供養ばかりでなく、できれば二人を祀った碑のようなものでも」  架山は自分の心が急に気難しくなって行くのを感じていた。折角相手に対してほぐれつつあった気持がふいにもとに戻った恰好《かつこう》であった。勝手なことを考えていると思った。そちらは加害者であり、こちらは被害者なのだ。いくら息子が可愛いと言っても、余り虫のいいことは考えて貰いたくない。 「供養をごいっしょにやるのは、結構です。同じ事件でいっしょに生命《いのち》を落したのですから。——しかし、二人をいっしょに祀る、いや祀らないにしても、いっしょに祀った形をとる碑のようなものを造るということは、どうも、ねえ」 「いけませんか」 「いける、いけないでなくて、変じゃないですか」 「はあ」 「おかしいですよ」 「左様でございますか。これは、失礼いたしました。気が動顛《どうてん》いたしまして、つい失礼なことを申しあげてしまいました」 「いや、失礼なことではありません。確かに、あなたのそういうお気持も判ります。でも、——」 「では、供養だけにとめましょう。供養だけでも宜《よろ》しゅうございます。息子はどんなに悦ぶか知れません」  大三浦は言って、こんどは顔をしかめて、左の眼のところに左の手指を持って行った。暫《しばら》く泣くのを中止していたが、また双の眼から涙を流している。  相手の青年にしても、悦ぶかどうかは判らないと、架山は思う。いっしょに死にたくて死んだのではない。突風が二人に共通の運命を与えたのである。いっしょに供養することが自然であるにしても、それを二人が悦ぶとか、悦ばないの問題に結びつけることは生きている者の勝手な当て推量というものである。死者の心は誰にも判りはしないのである。みはるは事故の起った瞬間、相手の青年を恨んでいたかも知れないのである。 「まあ、いずれにしても、今は遺体収容の段階にあります。あなたもゆうべは一睡もなさらず浜を歩いていらっしゃる」  架山が言うと、 「まことに。つい、うっかり長居をいたしました。あすまたお目にかかることにいたしましょう」  大三浦はあたふたと腰をあげた。架山は玄関まで送って行った。  湖畔に於《お》ける第二夜を、架山は死んだように正体なく眠った。翌日もまた快晴であった。架山はびわ町の南浜に行って、今日もまた遺体捜索に出てくれることになっている漁師たちに挨拶《あいさつ》した。  架山は漁船の一|艘《そう》に乗り込みたかったが、漁師も室戸も反対した。 「悪いことは言わない。わしらに任せておきなされ。親御さんが乗ったからと言って、死んだ者が出てくるわけではないし」  漁師の一人が言うと、 「そうとも、そうとも、遺体があがるのはいいものじゃない。釣針の大きなようなものにひっかけて——」  もう一人が言った。みなまで言わないうちに、 「判りました、判りました」  室戸が相手を制した。  しかし、架山は宿にじっとしているわけにはいかなかった。みはるの姿がどんなに変っていようと、自分の腕で抱きとってやりたい気持があった。そうした思いはきのうより強くなっていた。きのうまでは、万が一にもという生存を期待する気持がどこかにないでもなかったが、今はそうした思いを持ちようはなかった。そうした思いがなくなると、みはるという一個の遺体への執着が新たに生れた。遺体を己《おの》が二本の腕で抱きとりたかった。  架山は、また警備艇に乗せて貰《もら》った。宿に居るより湖面に浮かんでいる方が気持が落着いた。警備艇は今や平常の任務についていた。みはるたちの事件のための出動ではなかった。新しく生れるかも知れない遭難事故を未然に防ぐための出動でもあり、密漁を警戒するための出動でもあった。  しかし、この日も警備艇は竹生島南方で速度を落してくれた。架山の気持を慮《おもんぱか》ってくれての措置であった。 「たくさん船が出ていますね。これだけ大がかりに探して、どうして出ないんでしょうね」  小柄な警官は言った。この警官の言葉で、架山は初めてそこらに浮かんでいるたくさんの漁船が、みはると青年の遺体を捜索している船であることを知った。南浜から出ている漁船もあれば、大三浦が手配した漁船もあるだろうと思われた。  警備艇がゆっくりとその水域を横切っている時、架山はおやと思った。一番近いところに浮かんでいる一艘の漁船の船縁《ふなべり》に体を二つに折っている麦藁《むぎわら》帽子の人物が大三浦ではないかと思ったからである。すると、その人物が顔をあげた。間違いなく大三浦であった。大三浦は警備艇の方には眼もくれないで、すぐまた体を二つに折った。上半身が今にも湖中に落ち込みはしないかと危ぶまれるほど、船縁から身を乗り出して、顔を水面に近づけている。何をしているか判らなかったが、架山のところからは、大三浦がただ湖中を睨《にら》んでは、涙をぽたぽたと水面に落してでもいるように見えた。実際にそうしているのかも知れなかった。  一日は慌しく暮れた。事件が起きてから四日目、つまり長浜における第三夜を、架山はまた悲しい気持で眠らねばならなかった。�悲しい眠り�という言葉を、誰かの随筆で読んだことがあり、その時はそんな眠りが本当にあるのだろうかという思いを持ったものであったが、今や架山は、そうした眠りが実際にあることを、われとわが身に於《おい》て思い知らされねばならなかった。  早く寝《しん》に就いたが、何回も眼覚めた。眼覚める度に、心は悲しみで冷たくなっていた。悲しい夢を見たあと、夢の中の悲しみが眼覚めたあとの心に残っていることがあるが、丁度それに似ていた。ただ夢の場合は、その悲しみが、ああ夢であったかと思った瞬間から次第に薄らいで行くが、今の架山の場合は違っていた。悲しみは一層烈しいものになって行った。  眠っている時だけ忘れており、眼覚めると悲しみが待っていた。そしてその現実の悲しみにすっぽりとつかり、そしてその悲しみを懐《いだ》いて、また眠るのである。眠っている時だけが救いであった。しかし、その眠りは浅かった。  翌朝、架山は一晩中悲しみの現像液に浸ってすっかり冷たくなった心を持って、床の上に身を起した。そして、今日は事件が起きてから五日目であると思った。  食事をすますと、ゆうべ長浜へ出向いて来たという会社の幹部が二人顔を見せた。いつまでも知らぬ顔で押し通すわけにもいかず、取りあえず会社を代表してやって来たという恰好であった。 「ご心配なことです」  悔みを述べることもできないので、訪問者はそんな言葉を口から出した。 「私たちもせめて船に乗せて頂きましょう。ほかに何もできませんから」 「そうですか、それは有難う。遭難場所に行って、花を捧《ささ》げて下さい」  架山は素直に言った。 「花を捧げて頂いたら、それで引取って頂きましょう。遺体がいつあがるか判らないので、それ以上|留《とど》まって頂くには及ばない」 「はい」  訪問者は短い時間で引揚げて行った。室戸の言うところでは、今日は大々的に遺体捜索が行われるということだった。みはるの友だちも、青年の方の友だちも多勢詰めかけて来ていて、みんなが何艘かの漁船に分乗するということであった。  架山は体が熱っぽかったので、宿の体温計を借りて計ってみると、八度近く発熱していた。室戸はしきりに床に就いているように勧めたが、架山としてはそういうわけにもいかなかった。  架山は午前中、長浜港と南浜の二か所に出向いて行った。青年の友だちは長浜港から漁船に乗り、みはるの友だちは南浜から漁船に乗るということだったので、その両方に挨拶に行ったのである。  架山の眼には、青年たちも、少女たちも、眩《まぶ》しいくらい生き生きと溌剌《はつらつ》として見えた。どちらにも二十名ほどの若者たちが居た。暗い不幸な事件に関係している青年たちにも、少女たちにも見えなかった。何か興味ある冒険が若い者たちを待っており、それが青年たちをも、少女たちをも、平生より生き生きとさせているかのように見えた。  架山は、長浜港でも南浜でも、彼らや彼女らが漁船に乗り込むところは見なかった。頭痛が烈しくて、漁船がやって来るまで待っていられなかった。弁当やら飲みものを若い遺体捜索協力者たちに配る手配を室戸に頼んで、架山は自分だけ先に宿所に引揚げた。  宿へ帰ると、すぐ床に就いた。午後医者を招《よ》んで注射を一本打って貰って、あとはうつらうつらしていた。架山の眼には絶えず初夏の陽に輝いている湖面が浮かんでいた。そこに二、三十艘の小船が散らばっている。そしてそのどれにも、青年たちや少女たちが乗り込んでいる。それはどうしても、遺体捜索といった暗い事件に関係している情景には見えなかった。宝探しの冒険にでも従事しているといった方がぴったりする。しかし、そうした船の浮かんでいる水面の下には、みはると青年の二つの遺体が沈んでいることは事実であった。初夏の陽光に輝いている水面の上は明るく、水面の下は暗かった。ひどく明るく輝かしいものと、ひどく暗い不幸なものが、湖面の上と、下で隣り合わせているのである。  架山は何回も寝返りを打っては、いま琵琶湖の一水域で展開されている遺体捜索の作業の情景を、自分の瞼《まぶた》から振り落そうとしたが、それは執拗《しつよう》に架山の瞼から離れなかった。  夕方、大三浦が訪ねて来た。架山は床の上に坐《すわ》って、訪問者と相対した。大三浦は学生たちに弁当を配ってくれたことに対して、鄭重《ていちよう》な言葉で礼を言い、 「二人はもう水の上に出て来るのを望んでいないようでございます。これだけ捜索しても、遺体が発見されないということは、二人が誰の眼にもつかないところに身を匿《かく》しているとしか思われません。出て来るのを嫌がっているに違いありません。今日船の中で、私はふとそういうことに気付いたのでございます。二人は匿れているのでございます。二人だけで、ここに居ようと、身を匿しているに違いないと思います」  大三浦は言った。大三浦はこの前宿に訪ねて来た時とは、別人のように憔悴《しようすい》して見えた。連日漁船に乗っているためか、顔は額の部分を除いて、あとは陽にやけて真黒くなっている。それでなくても苦渋な顔が、いまは形容しようのない顔になっている。無数の皺《しわ》が黒い皮膚を刻んでいる。 「ええ、もう、それに違いありません。二人は湖の中に居たいのでございます。湖の中があんまりきれいなので、そこから出ることを嫌がっているのでございます」  大三浦は言った。架山は相手の顔に眼を当てていた。悲歎《ひたん》の余り気が狂《ふ》れたのではないかと思ったが、 「まあ、こうとでも考える以外仕方がないかと思います。そうじゃございませんでしょうか」  そう言って、顔をあげて、手指を眼頭に持って行くところなどは、やはり正気であった。 「余り思いつめて考えない方がいいでしょう」  架山が言うと、 「いいえ、思いつめたりはいたしません。できたことは致し方ないと思っております。ただ人なみに葬ってやりたいと思うだけでございます。それには肝心の遺体に出て貰《もら》いませんと——。多勢の者が、これだけ探して出ないということは、出るのが嫌だということでございましょう。私はあと二日ほど漁船に出て貰いまして、それでも収容できません場合は、それで捜索を打ち切ろうかという気持になっております。その方が若い者たちの気持に添うことになるのではないかと思いますが、いかがなものでございましょう」  大三浦は言った。 「そうですね。私もあなたと同じようにいたしましょう。もう二日漁船に出て貰い、それでもだめの場合は、ひとまず捜索を打ち切ることにしましょう」 「そうして頂けますか。有難うございます。若い二人も、きっと悦《よろこ》んでくれると思います」  大三浦は言った。そういう言い方には、やはりどこかに異常なものが感じられた。 「二人が悦ぶかどうかは判りませんが、遺体が出て来ない以上は仕方ありませんからね」 「いいえ、二人は悦ぶに違いありません。これだけ手を尽して探して、なお収容できないということはただではございません。出て来るのが嫌なのでございます。私はそう思います。そう信じます。二人は二人だけで、いつまでも居たいのでございます」 「でも、そういう考え方はおかしいでしょう」  架山は言った。相手の言ったことを聞き流すわけにはいかなかった。まるで心中でもしたかのような相手の言い方である。冗談ではないと、架山は思った。 「そうでございましょうか」 「そうであるもないも、ないと思いますね。心中ではあるまいし」 「はあ」 「事故による遭難でしょう」 「はあ」 「遺体が収容できるできないは、二人の意志とは無関係でしょう」 「はあ、まことに」  相手がすっかりしょげてしまったので、 「いや、私も疲労が重なっているので言葉が強くなっていけません。失礼があったら、許して下さい」  架山は言った。 「めっそうな」  大三浦は恐縮して、あとずさりでもしかねない様子を示した。  翌日、架山は警察署からの呼び出しを受けた。すぐ警察署に出向いて行くと、やはり呼び出しを受けたという大三浦も姿を見せていた。  二人は、この前の畳敷の部屋とは違って、小さい応接室に通された。卓を挟んで、二人の制服警官と対《むか》い合って腰かけた。 「どうも、いけませんですねえ」  警官の一人が言った。架山が初めてこの警察署に現われた時、事件の概要を説明してくれた警官であった。 「たいへんお手数をおかけしました。いろいろと手を尽して頂きましたが——」  架山が言うと、 「この度のことにつきましては、もう——」  と大三浦も恐縮して言った。 「いや、いけませんでした。遺体が今日まであがらないところを見ますと、いつあがるか見当がつきません。これまでにも遺体のあがらなかった例はあります。竹生島付近は水温が低く、水深も百メートル以上もあります。底に沈んでしまいますと、なかなかあがりにくいようですね。先年のことですが、数年前の水死者の遺体が、白蝋《はくろう》死体となってあがったことがあります。全然肉体には変化なく——」 「ほう」  と、大三浦は身を乗り出して、 「そうでございますか。そうしますと、こんどあがりませんでも、いつかあがるということでございましょうか」 「すべてがそうだとは言えないでしょうが、そういう例もありました」 「ほう、全然肉体に変化がなくてあがったのでございますか。そうでございますか。そうなりますと、もう一度息子に会えるということになります。私の方は年齢《とし》をとりますが、息子の方は年齢をとりません。今の年齢の若い息子に会えるなら、私は何年でも生きておりましょう。そうでございますか。それならば——」  大三浦は明らかに昂奮《こうふん》していた。架山はその昂奮をしずめるために、 「毎年、水死者はどのくらいあるものですか」  と、話題を転じて言った。 「去年はそうたくさんはありませんでした。それでも二十何名か、うち十名は自殺でした。もちろん遺体は全部あがりました。一昨年は確か四十何名、例年このくらいの死者が出ています。一昨年も遺体はみんなあがっております」  警官は言って、 「こんどの場合、今日で六日目です。あがるものなら、もうあがっていなければならぬと思います」  すると、 「待ちますとも、あがるまで、何年でも待ちます」  大三浦は椅子から立ちあがり、すぐまた腰を降ろした。まるで落着きというものをなくしていた。 「さて、今日ご足労願いましたが」  警官は言葉の調子を改めて言った。 「私は思うんですが、今日まであれだけの漁船に出て貰って、それで遺体が収容できないということは、いまの白蝋死体の例ではありませんが、あるいは何年先のことにならんでもない。——遺族の方としては、いつまでも捜索を続けたい気持はよく判りますが、どうですか、このへんで、あとは私の方にお任せ願えませんか。ご存じのように今津、彦根、そしてこちらと、毎日三つの警察署の警備艇が出ております。遺体があがれば、必ず発見いたします。警察の方に任せて頂いて、決して手落ちにはならないと思います。そりゃ、漁師の方は仕事ですから、出てくれと言えば何日でも出ましょう。しかし、お金にご不自由はないとはいえ、たいへんなお金を費《つか》うことになる。——それにですねえ、漁師にしても、本業は漁であって、その方が忙しくなれば、本業の方に回るのは当然なことです。私は思うんですが、漁船を頼むのは、もうこのへんで——」 「判りました」  架山は言った。 「私も、大三浦さんも、大体同じような考えになっております。今日と明日、今まで通り漁船に出て貰って、それでだめなら、一応捜索を打ち切った方が——。いつまで続けておりましても、切りのないことですし」 「そうですか。私も、それが宜《よろ》しいと思います。ご両人のお考えが判らなかったもので、私からそのことを申しあげてみようと思って、お呼びたてした次第です」  警官は言った。しかし、大三浦の方は、警官と架山との会話を聞いているのか、いないのか、 「宜しゅうございます。何年でも待ちましょう。待ちますとも。——大体ですね。嫌なのでございます、出て来るのが。——いつか、もう出て来てもいいという時が来れば、必ず出て参ると思うのでございます。同じ年齢で、同じ顔をして出て参ります。そうでございましょうが。——」  そんなことを言って、警官の方に相鎚《あいづち》を求めた。 「そうでございましょう」 「ええ、まあ、ねえ」  警官は不得要領な返事をして、 「いずれにしても、今日明日で、漁船の方は打ち切るのが宜しいでしょう。あとは警察の方に任せて頂きます」  と言った。それから、架山はみはるの遺留品であるハンドバッグの引渡し相手を誰にするかの相談を受けた。 「いずれ、母親の代理の者を差し出しましょう」  架山は言った。みはるを取り巻く不幸な事件が、今や一つの終末に来たといった思いであった。  大三浦が暫《しばら》く黙っていると思ったら、彼は両手に額をのせて、頭《こうべ》を垂れていた。泣いているかいないか、架山には判らなかった。泣いているとすれば、この何日か泣きづめに泣いているのに、大三浦の涙腺《るいせん》はまだ涸《か》れていないようであった。  事件が起ってから六日目に当る日も空しく終った。夕方、二日間捜索に協力してくれた学生たちも、少女たちも、みな引揚げて行った。架山は室戸と二人で、若い者たちを米原駅に送った。学生の一部は彦根駅からも発《た》ったが、その方の見送りは大三浦が受持った。  その夜、架山は宿で、京都の時花貞代からの電話を受け取った。貞代と言葉を交すのは、別れて以来初めてのことであった。架山は事件発生以来今日までの経過を話し、漁船による捜索もあす一日で打ち切るようになっていることを告げた。貞代は、時折り�はい��はい�という言葉だけを入れて、長い架山の報告を聞いていたが、話が一応終ると、 「よく判りました」  と、はっきりした言い方で言って、そのあと暫く黙っていた。架山は貞代が泣いていることを知った。泣きたければ、泣きたいだけ泣くがいいといった気持で、架山は何の声も聞えて来ない受話器を握っていた。すると、やがて、 「失礼いたしました」  という、貞代の声が聞えて来た。 「こんどのことでは、たいへんお世話さまになりました。みはるは可哀そうなことをしましたが、これもあの子が持って生れた運命だと思います。それにしましても、あなたにできるだけのことをして頂きましたので、みはるの霊も満足だろうと思います」  貞代は言った。 「君もずいぶん力を落したことと思う。立ち直るのには、かなりの時間が要るだろうが、まあ、徐々に気持を変えて行くんだね。人間、長い一生には辛《つら》いこともある」  架山が言うと、 「有難うございます。幸い仕事を持っておりますから、それに打ち込んで行きましたら、——」 「そうだね。当分仕事、仕事で行くんだね」 「それにしても、あなたの方はずいぶんお疲れになりましたでしょう」 「まあ、ね。父親として何もしてやらなかったから、こんどのことぐらいは。——それに現地に居るんで、ショックが一度にやって来ないで、来方が小刻みなんだ。そのためか、はたで考えるほど疲れていない」 「いまはお疲れになっていなくても、きっとあとになって出て来ると思います」  貞代は言った。 「僕の方は心配要らないが、君の方はどうなんだ」  架山が訊《き》くと、 「今日夕方、退院いたしました。もともと病気ではありませんし、もう何の心配もありません。まるで、何もかもあなたに押し付けるような恰好《かつこう》になってしまいまして」  貞代は言った。 「こういう場合は、現地に来るのは男の方がいい。いっしょに亡くなった学生の方も、ここには父親一人が来ている」  それから、 「遺体が出るまでは、葬儀もできないし、戸籍からも抜けない。行方不明としての取り扱いなんだ」  架山は言った。 「それも、いいと思います。いつまでも、まだ生きているような気がして」 「しかし、それだけに気持の整理ができないと思う。その点をよく自分に言いきかせておかないと、——」 「承知いたしました。では、これで失礼いたします。いろいろ有難うございました」 「体だけは、充分気を付けて」 「あなたの方こそ。——いつお帰りになります?」 「多分、あすの晩」 「お帰りになりましたら、どうぞ、よろしく」  それで、電話は切れた。架山は貞代と、二人が知り合ってから、このように労《いたわ》り合った言葉を交したことはなかったと思った。受話器を置いてから、架山はしんとした思いに打たれていた。こんどのような事件がなかったら、二人は今のようなお互いに相手を労る言葉を口から出すことなどなかったに違いない。いま電話で話していた二人は、みはるの父親であり、みはるの母親であった。そして父親と母親でなければ、決して交すことのできない言葉を交したのである。二人の間にできた子供の死という事件に対して、二人は共同の立場に立っていた。同じ悲しみを頒《わか》ち持ち、同じ打撃を頒ち持っていたのである。電話で貞代は、架山が一週間現地で捜索の仕事に当っていたことに対して、さぞみはるの霊は満足しているだろうと言ったが、満足するというなら、それはおそらく父親と母親が今の電話でお互いに相手を労る言葉を交したことに対してではなかったかという気がした。みはるに対しては、今の電話における会話が、一番の供養であったかも知れない。  架山はその夜、室戸を相手にウイスキーのグラスを口に運んだ。 「あす、固まって金が要るが、東京へ帰ってから送ることにして貰《もら》おうか」  架山が言うと、 「取りあえず会社の方から出して、送って貰ってあります。世話になった人たちへの礼も、大三浦さんと相談して、一応用意してあります」  何事に対してもそつのない青年は言った。  一夜明けると、遺体捜索の漁船の出る最後の日であった。この日、架山は室戸に連絡をとって貰って、一時に南浜で大三浦と落ち合った。二時に漁船の一|艘《そう》が帰って来た。架山、大三浦、室戸、それに南浜の貸ボート屋の主人の佐和山、四人を乗せて、竹生島南方の遭難現場と推定されている水域に向かうためであった。  漁船は人間たちのほかに、幾つかの花束を運び入れた。花は白、赤、黄の三色のカーネーションだった。この花は室戸が調えてきたものであったが、初め白と黄二色のカーネーションで占められていたのを、架山の希望で、それに赤いカーネーションが追加されたのであった。架山は白と黄だけでは淋《さび》しい気がした。死者を弔う花としては、白と黄二色がふさわしいかも知れなかったが、架山としてはまだうら若い少女のみはるには、何となく赤い花を捧《ささ》げたかったのである。  小さい発動機船は、何も喋《しやべ》らない四人の男たちを乗せて湖面を滑って行った。天候が崩れかかっているためか、湖面は波立っていた。竹生島南方の水域で、船は発動機の音を停めた。船は一か所で高く低く波間に漂っていた。室戸によって、花が配られた。 「どうぞ」  架山は、大三浦に先に花を捧げるように促したが、 「どうぞ、どうぞ、あなたから」  と、大三浦は後込《しりご》みした。 「では、どうぞ、ごいっしょに」  室戸が言ったので、架山と大三浦はそれぞれ何本かの花を花束から抜いて波立っている波間に置いた。続いて佐和山と室戸も同じようにした。たくさんの花が波間に散らばり漂った。 「まだ、花が残っております」  室戸が言うと、 「それでは」  と、大三浦はまた何本かを受け取り、こんどは、 「——ほうら、これはお前の母ちゃんの分だ。——ほうら、これはおじいちゃんの分、これはおばあちゃんの分、みんなお前を可愛がってくれた人たちだ。——それから、これは今の母ちゃんの分だ。今の母ちゃんは、お前のことを知って、ひっくり返ってしまったが」  そんなことを言葉に出して言った。架山も、声にこそ出さなかったが、大三浦を真似て、貞代、祖母、冬枝、光子の四人に代って湖面に花を投じた。  架山は涙が頬を流れるに任せていた。大三浦の方は泣かなかった。もう一滴の涙も残っていないのかも知れなかった。大三浦は船縁《ふなべり》から身を乗り出して、水の中に右手を入れて、水を掬《すく》うような仕種《しぐさ》を見せていた。  みなが花を投じた付近には一艘の漁船の姿も見えなかった。午前中はこの方面の捜索に当っていたが、午後は多景島方面へ移動しているということだった。  漁船は再び南浜に戻った。そして貸ボート屋の主人の佐和山の家に行き、暗い土間で立ち話をした。佐和山は時計を見て、 「もう四時になります。あと一時間ほどで、船は引揚げて来ます。お役に立たんといかんことでした。もともと、わしの不注意から起った事件で、まことに、どうも——」  と言った。不愛想で、気難しい顔はしているが、素朴で実直な人物であった。  漁船の手配はすべて佐和山の手を通じてあったので、架山は漁師たちに払う日当を佐和山に手渡すことにした。佐和山は近所の漁師の内儀《かみ》さんを連れて来て、彼女に立ち会って貰って金を受け取った。 「あなたも毎日出てくれていたのではないですか」  室戸が口を挟むと、 「はあ、きのうまでは毎日出ていましたが、わしの場合は別ですわ。日当など貰えますかいな」  佐和山は言った。 「それでも」  架山が言うと、 「いや、冗談じゃありませんよ。考えてみなされ」  佐和山はむきになって言った。架山はこの場合は厄介になりっぱなしにして引揚げ、礼はあとで考えようと思った。すると、 「佐和山さん、あんたのところは民宿をやっていなさるか」  突然、大三浦が訊《き》いた。 「夏場のボートだけでは食えませんからな」  そう言われてみると、なるほど背戸の方に二階建ての離れらしいものが造られてあり、それが母屋と奇妙な対照をなしていた。 「私でも泊めて貰えますか」  大三浦が訊くと、 「そりゃ、いくらでもお泊めします。だけど、何のもてなしもできんと」 「そうか、それなら、ここへ二、三日泊めて貰いましょう」 「いつ?」 「あしたから」 「あした? やめなされ。諦《あきら》めて、一度家に引揚げてくるこっちゃ」 「ここから出て行ったんだと思うと、——なあ。帰るんなら、やっぱりここへ帰って来ましょうが——」 「あかん、あかん、とにかく一度家に帰って、休みなされ。その顔は普通じゃないぞ」  そんな佐和山と大三浦の会話を聞きながら、ふいにここに留《とど》まっていたくなった大三浦の気持も判らないではないと思った。ここからボートに乗って出て行ったのだから、戻って来るなら、やはりここだろうという気持は、初めてここへ来た時の架山をも襲ったものであった。  佐和山と別れると、三人はくるまで長浜に帰り、こんどはすぐ漁業組合に顔を出した。そしてそこの事務員に案内されて漁師の家に行った。架山と大三浦は、いま遺体捜索から帰ったばかりだという中年の人物に、何日かに亘《わた》っての協力を謝した。 「いかんことでした。もう当分あがりませんわ、これは。——ものは考えようで、大きな、きれいな墓場に葬られたと考えることですね。街中のごちゃごちゃした墓地に眠るより、どんなにましなことか」  漁師は言った。この方の金は、大三浦が払った。室戸の計算では、架山、大三浦の漁船に関する負担額は大体に於《おい》て同じくらいらしく、そうしたことから話し合いの上で二人の間では金の出し入れはしなかった。  そこを出ると、こんどはくるまは警察署に向かった。架山と大三浦は、こんどの事件で世話になった警官たちに、ここを引揚げる挨拶《あいさつ》をした。  それがすむと、三人は街中の喫茶店でお茶をのみ、三十分ほどの時間をつぶしてから、警備艇の乗組員に別れの挨拶をするために、長浜港の突堤に向かった。いつものように、七時に警備艇は戻って来た。目に見えて、日は長くなっており、辺りは暮方とは思われぬ明るさだった。西の空には薄い朱色の雲が何条も刷毛《はけ》で掃いたように走っていて、その上の方に白い雲が点々と置かれてあった。  二人が乗組員たちに礼を言うと、 「遺体が収容できなかったことは、さぞお心残りでしょう。水葬になさったと思うことですね。火葬、土葬、風葬、水葬、広い世界にはいろんな葬り方があると聞いていますが、私などは毎日船に乗っているせいか、自分で選べるのなら水葬を選びます。竹生島には仏さまも神さまも居て、ちゃんと毎日供養してくれます」  小柄な警官は言った。 「はい、有難うございます。私もそう考えております。若い二人もそう思っているに違いありません。二人で相談して、こりゃ、このままの方がいい。何も陸《おか》にあがって、焼かれたり、埋められたりすることはない。このままがいい、これに限る。いっそ、もうこうしておいて貰《もら》いましょう。——どこへ行くことがありましょうに、湖の底に居るに越したことはありません」  いつまでも大三浦の言葉が切れそうもなく、警官が多少当惑しているように思われたので、 「空がきれいですね」  架山が言うと、 「幾らか荒れぎみですからね。波が立っている日は空がきれいです」  警官は言った。 「左様、まことにきれいでございます。二人とも、きれいだ、きれいだと言い合っておりましょう」  大三浦は空を仰ぎ、仰いだままで、いつまでも顔をもとに戻さないでいた。首が痛くなりはしまいかと、架山は心配だった。  警備艇の二人の乗組員が帰って行ってからも、架山と大三浦は西の空が赤く見える突堤の上に立っていた。何となく立ち去り難い思いであった。二人から少し離れて、室戸も立っていた。この方は二人に付合ってやっている恰好《かつこう》で、土地の者らしい内儀さんと立ち話をしていた。 「私は今夜の列車で帰ります。ふしぎなご縁で、こういうところで何日かごいっしょに過ごさせて頂いた」  架山が言うと、 「まことに、どういうご縁でございましたでしょう。この何日か、昂奮《こうふん》しておりましたので、いろいろと失礼なことも申しあげたり、失礼な振舞いもあったかと存じますが、亡くなった息子に免じてお許し頂きとうございます」  大三浦は言った。 「いや、失礼なことがあったとしましたら、こちらの方だろうと思います。私の方こそお詫《わ》びいたします。いつ、お帰りになりますか」 「もう二、三日居てみましょう。南浜の佐和山さんの家に厄介になろうと思います」 「そのお気持はよく判りますが、さっき佐和山さんも言っていたように、私も、一度お家《うち》にお帰りになることをお勧めしますね」 「有難うございます」 「お家で体を休めて、改めてお出掛けになったらいいではないですか」 「はあ、まことに。——ではございますが、もう二、三日だけ居てやろうと思います。あなたさまも、私も、二人ともいっしょに引揚げて行きましたら、淋《さび》しく思うんじゃないかと思います」 「なるほど」 「私だけ、居てやりましょう。と申しましても、私も仕事がございます。まあ、せいぜい二、三日のことですが、おあとから引揚げることにいたしましょう」  こう言われると、架山としても、停めるわけにはいかなかった。 「それは恐縮です。では、そうお願いいたしましょう」  架山は言った。架山はこの人物にもう会うことはないのではないかと思った。会うとすれば、いつのことか判らないが遺体のあがった時であろう。どちらの遺体があがったにしても、まあ、礼儀として、二人はここにやって来るに違いない。それまではまず顔を合わすことはないであろう。こういう事件で知り合いになった二人なので、いったん別れると、却《かえ》って顔を合わせるのが嫌になるのではないかという気がする。  ここまで、不幸な父親同士の会話はうまく進んだが、最後になって、 「今朝、暁方、息子と夢の中で会いました」  大三浦は言った。 「長い間、死にたい、死にたいと思っていたが、とうとう死んでしまった。自分が死にたくて死んだのだから、少しも悲しむには当らない。息子はこう言ったのでございます」  瞬間、架山は全身から血が下がって行くような不快な思いに打たれた。 「父ちゃん、悲しんでくれなくてもいい。死にたくて死んだんだから、自分は本望だ。確かに息子はこう言ったんでございます。その声がまだ耳に残っております」  大三浦が言った時、 「お宅の息子さんの方は、死にたくて死んだのなら、さぞ本望でしょうが、私の娘の方は甚だ迷惑しますね」  架山は自分の声の震えているのが判った。この大三浦という人物は少しどうかしているのではないか。ばかなことを口走るにも程があると思った。一昨夜、旅館に姿を現わした時は、まるで若い二人が相思相愛の仲ででもあるかのような言い方をした。架山はその時も腹を立てたが、まだ我慢ができた。心中事件と考えられては、みはるが可哀そうであるが、ひとり息子を失って、気が動顛《どうてん》していると思えば、そうした根も葉もない幻覚も許すことができた。  ところが、こんどは息子が自殺志望者であったという新たな幻覚に揺すぶられ始めている。そういう考え方をする方が、自分の苦しみを紛らすには都合がいいかも知れないが、道連れにされたみはるの方は救われない。もし実際にそうだとすれば、年端もゆかない少女を道連れにした無理心中ということになるではないか。 「お宅の息子さんは死にたかったかも知れないが、みはるの方は、そのようには育っていませんからね」  架山は烈しい怒りを抑えて、やっとこれだけの言葉を出した。 「いや、これは失礼いたしました。つい、愚かなことを申しあげて、——相すまぬことでございました」 「こういう場合ですから、お互いに言うことだけは慎しみましょう」 「はい、まことに、ついうっかり息子の言ったことを申しあげてしまいまして」 「息子さんが言ったことと言いましても、それは夢の中のことでしょう」 「はい」 「夢と現実をいっしょになさらない方がいいですね。私が迷惑するより、若い二人が迷惑しましょう。二人のためにも、いまのようなことはおっしゃらない方が宜《よろ》しいと思います」 「以後、気を付けます。どうぞ、ひらにご容赦願いたいと思います」 「お判りになって頂けば結構です」  相手がすっかりしょげてしまったので、架山は矛先を収めた。矛先は収めたが、何とも言えぬ不快な思いはどうすることもできなかった。突風による遭難事件を、心中事件にされたり、無理心中事件にされたりしては敵《かな》わないと思った。  それから架山はなお五分ほど当り障りないことを話したあと、心がしずまってから突堤の上で大三浦と別れた。歩き出した時、自分はこの日の、この夕陽の赤さを生涯忘れることはないだろうと思った。  夜の列車に乗り込む予定を立てていたが、いったん宿へ帰って時計を見た時は、その時刻をとうに過ぎていた。やむなくもう一晩、長浜で過ごすことにした。架山は長浜に於《お》ける最後の夜を宿で眠った。夜半から烈しい雨になった。きのうあたりから天気は崩れかけていたが、突堤の上から見た夕空が美しかったので、まだ一日、二日はもつものと思っていたが、それどころではなく風を伴った烈しい雨になった。  架山は雨の音で何回も眼覚めたが、眼覚める度に、昼間大三浦が口走ったことが思い出されて来て、何とも言えず不快だった。その不快な思いは、それを繰り返しているうちに、次第に怒りに変って行った。  息子が死にたがっていたということを、大三浦の口から聞いたのは一回ではない。突堤の上で口走ったのは夢の中の息子の言葉であったが、そのほかに大三浦は、息子が中学時代に実際に自殺するつもりで何回か家出したことがあったというようなことを話したことがある。おそらくそれは真実であろうと思う。友人たちの話を照合してみても、そのようなノイローゼ気味の、意志薄弱な青年であったのである。だからと言って、こんどの事件をそうした若者と結びつけて、自殺事件ではないかというような推定は成立しない。大三浦は父親の愚かさから、ふとそんな思いに捉《とら》われたのかも知れない。それにしても、ひとの娘のことも考えないで、かりそめにもそのような考え方をすることは許せないと思う。もしそうであるなら事件は無理心中になってしまうではないか。みはるは、くだらぬ若者のノイローゼの犠牲になってしまったということになる。明らかに犯罪事件である。しかし、まあ、冷静に考えて、そういうことはないだろうと思う。  それからもう一つ許せないのは、いくら逆上している際とは言え、遺体の収容できないことが、恰《あたか》も若い二人の意志ででもあるかのような言い方をしたことである。それも一度や二度ではない。黙って聞いていれば、二人は相思相愛の仲で、意気投合して、二人で投身自殺をしたかのような言い方である。これも甚だ以《もつ》て迷惑千万な話である。  ——みはるは、お前さんの息子のような愚かな若者と心中するような娘ではない。まだ少女なのだ。事件は、誰もが考えているように、突風のために偶発した遭難事件なのである。と言って、お前さんの息子に責任がないということにはならない。無思慮、無分別、意志薄弱なお前さんの息子は、事件が起った時、とっさにいかなる措置もとれなかったのである。大体、竹生島南方の水域まで小さいボートで遠出する奴があるか。  架山は相手がそこに居るかのように、怒りをぶちまけていた。声に出して言っているわけではなかったが、架山は相手に荒い言葉を叩《たた》き付けているような気持になっていた。  豪雨が大地を叩いている中で、架山は怒りに身を焼いていた。もう大三浦と別れてしまったが、ずいぶん人のいい別れ方をしたものだと思う。相手は加害者であり、こちらは被害者なのである。こうした事件に於《おい》ては年端もゆかぬ少女に責任のあろう筈《はず》はない。みはるは、年長の青年の言うなりになって、こんどの不幸を招いたのである。  大三浦は息子を失い、こちらは娘を失っている。共に子供を失った、その悲しみには差異はないであろう。しかし、事件の性格だけははっきりしておくべきだったと思う。  貞代と電話で話をした時、貞代はこんどのことは、みはるの持った運命だと言ったが、そういう言い方をするなら、みはるがその青年に出会ったことが、そもそもみはるの運命だったのである。いかなる場合に知り合ったか知らないが、みはるがその青年と顔を合わせた時、みはるにとって、こんどの不幸な事件は予約されてしまったのである。  架山は、大三浦の口から、すべては自分の息子の責任で、たいへん申し訳ないことを為出《しで》かしてしまったという一言の挨拶《あいさつ》を欲しかったのである。それで、こちらの気持も収まり、貞代が言ったように、すべては、みはるの持った運命だという風に自分に言い聞かせることができる。それなのに、心中事件だとか、自殺行為だとか考えられては、大三浦の方はそれでいいかも知れないが、こちらとしては甚だ迷惑する。大体、そういう自分本位の考え方を、平気で言葉に出していう無思慮さが我慢できないのである。  架山は長浜に於ける最後の夜を、息子に対してと言うより、その父親である大三浦に対する腹立たしさで輾転《てんてん》反側して過ごした。大三浦に対してこれまで懐《いだ》いていた好感、その素朴さも、人のよさも、謙譲さも、すべてがひと癖も、ふた癖もあるもののように見えた。もしかすると、大三浦はあのように素朴さを装うことによって、自分の立場を糊塗《こと》していたのではないか。こういう考え方をすると、大三浦という人物が、架山には全く異ったものに見えて来た。架山は長浜に於ける最後の夜を、みはるの死の悲しみの代りに、大三浦に対する怒りと呪詛《じゆそ》で埋めたのであった。生涯、みはるの死の悲しみは自分の心から消えないであろうが、それと同じように、相手の若者およびその父親に対する怒りもまた、自分の心から消えることはないだろうと思った。 [#改ページ]     歳 月  みはるの遭難事件からいつか七年の歳月が経過している。その七年間は、架山にとって決して平穏なものではなかった。もう一度繰り返すかと言われると、すぐには返事をしかねた。一日一日積み重ねて行って、いつか七年という歳月が経過したのであって、初めから判っていたら、果してそれに耐え得たかどうか。十七歳で亡くなったみはるが生きていたら二十四歳になるわけで、架山もまた五十代の初めから、五十代の終りへと、七つの年輪を加えている。  その七年間の架山にとって、はっきりしていることは、湖というものが、架山にとって特殊なものになったことである。事件の起った琵琶湖はもちろんのことであるが、そればかりでなく、なべて湖と名のつく一切のものが、架山にとっては特殊なものになったのであった。湖という文字も、なんでもない単なる湖の風景写真も、無心に眺めることはできなかった。  一番困るのは旅行の時であった。仕事の関係で、月に一回や二回は関西へ行かねばならなかったが、いつも関ケ原を過ぎる辺りから、心は落着かなかった。なんとも言えぬ辛《つら》い思いが心に立ち籠《こ》めて来た。列車が琵琶湖の湖畔を走っている間、架山は湖の置かれてある窓の方へは顔を向けなかった。そこにみはるの奥《おく》つ城《き》があると考えれば、それで自分の心を落着かせることができそうに思われるのであったが、なかなかそういうわけにはいかなかった。奥つ城にも、墓所にも考えられなかった。もし遺体があがって、葬儀でも営んでいれば、琵琶湖というものに対する考え方も、自ら異ったものになったであろうが、実のところ、それはみはるの遺体を沈めている水域以外の何ものでもなかった。事件の時、警官の口から白蝋《はくろう》死体があがった例について聞いたことがあったが、その時眼に浮かべた未知の人のしみ入るような遺体の白さは、その後いつまでも架山の瞼《まぶた》から消えなかった。みはるもそのようなものとして、架山の心にしまわれてあった。みはるの遺体は少しも損傷されず、年齢も加えず、十七歳の少女のそれとして、湖の底に横たわっていた。実際にまた、それがそこに沈み、横たわっているということは、一つのどうにもできぬ確かな事実であった。  奥つ城でも、墓所でもなかった。生命こそなけれ、そこはみはるの住家でもあり、部屋でもあった。十七歳の少女の清純な体を横たえる寝台は、そこに置かれてあるのである。  架山は列車が湖畔を走っている時、その方へは顔を向けないで瞑目《めいもく》していた。事件のあった年の十月から新幹線ができたが、これは架山にとっては、たいへん有難いことであった。東海道本線の場合は列車は湖岸近いところを走ったが、新幹線になってからは、湖岸から大分離れた地域を走った。  琵琶湖に限らず、湖と名のつくものは一切敬遠した。職業柄、外国商社の客をもてなさなければならぬこともあって、そんな時歓待方法として北海道旅行が一番|悦《よろこ》ばれたが、みはるの事件以後は、架山自身はそれに加わることはなかった。北海道というところはどこへ行っても湖があり、景勝の地とされているところのホテルは大体において湖畔にあった。いくら仕事とは言え、湖から湖へと経回《へめぐ》ってたのしい筈はなかった。  日本の湖ばかりでなく、外国の湖も禁物だった。一度、イタリーから、くるまでシンプロン峠を越えてスイスにはいったことがあった。その時、レマン湖の岸をドライブしてジュネーブにはいったが、架山はくるまの中でレマン湖畔の風景を説明する案内者の饒舌《じようぜつ》を、初めは煩わしく思い、しまいには憎んだ。そのくらいだから、レマン湖畔にあるということだけでジュネーブという都市も嫌いであったし、湖の岸に沿っているホテルも嫌いだった。何日かの滞在予定を一日に縮めて、逃げるようにして、そこを発《た》った。  このほかに、ロシアのバイカル湖でも苦い経験を持っている。琵琶湖を五十ほど集めた大きな湖で、到底湖とは思えない海のようなものだということだったので、多少の不安はあったが、イルクーツクのホテルの前からバイカル湖行きのバスに乗った。同業者十人ほどの団体旅行で、なるべくみなと同一行動をとりたいという気持もあってのことだったが、あとで考えてみると、われとわが胸の傷に対する判断は甚だ甘かったとしなければならない。  くるまは白樺《しらかば》の大原始林地帯を突切って、アンガラ川の流出口に位置しているニコーラという集落にはいった。三、四十戸の小さな丸太造りの家が、ひっそりと身を寄せ合っている気の遠くなるような静かな村であった。一同は、アンガラ川の流出口というのを見るために、その村の入口でバスを降りて、村の中にはいって行った。路地という路地から水の立ち騒いでいる水域が見えた。バイカル湖の湖面であった。  架山は、その頃から自信を失って行ったが、やがてアンガラ川の流出口というところに連れて行かれた時、ふいに足が竦《すく》んでしまうような思いに捉《とら》われた。架山が見たものは、波の荒い日の琵琶湖と寸分変らぬ湖面であった。いくら大きくても、湖は湖であった。どこからが湖で、どこからが川かちょっと見当のつかぬ水域は青黒い水を湛《たた》え、そこが流出口であるためか、一面に小さく波立っていた。架山はいつかそこに揺られ漂っている赤と白と黄の三色のカーネーションの花を見つめていた。もちろんそんな花はそこにはなかったが、架山の眼には実際にそれが波間に揺れ動いているように見えたのである。  架山は自分でも知らないうちに、そこに屈《かが》みこんでいた。立っていられなかったのである。誰かが言葉をかけてくれたが、もし正確に返事をするとなると、 「気持が悪いのでも、眩暈《めまい》がするのでもない。ただ辛《つら》いだけ。立っていられないほど気持が辛いだけ。ここを離れれば癒《なお》りますよ」  こうとでも言うほかはなかった。  しかし、もちろん架山はそんなことは言わなかった。いくら気持が辛いと言っても、みはるの事件など知らない人たちに、架山の気持の辛さなどが理解されよう筈《はず》はなかった。一同は再びバスに乗り、湖畔のレストランに向かった。架山はすべてを旅の疲れのせいにして、ひとりだけバスの内部に残っていた。バスを一歩でも降りれば、眼の前にバイカル湖は拡がっていた。バイカル湖見物に来たのであるから、バイカル湖が拡がっていて当然であったが、架山はバスの後部の座席に体を横たえて、そのバイカル湖のいかなる欠片《かけら》をも眼に入れないようにしていた。三時間ほどの間ではあったが、架山にとっては救いのない苦しい時間であった。  こうした辛い思いは、湖を見た時に限らず、全く思いがけぬ時にやって来ることがあった。歩いている時でも、誰かと話をしている時でも、宴会の席につらなっている時でも、何の前触れなしにふいにやって来た。  ——みはるはまだ湖底に沈んでいる。今この瞬間も、みはるは琵琶湖の深い湖底に身を横たえているのだ。  こうした思いに捉われる時、架山はいつも一糸まとわぬ十七歳の少女の体を、白い大理石で作った人形のようなものとして眼に浮かべている。架山は水深百メートル以上の湖底がいかなる状態にあるか見当はつかなかったが、白蝋死体が出るくらいであるから、水も蒸溜水《じようりゆうすい》のように汚れなきものであろうし、しかもいかなる生物も棲《す》めない冷たさを保っているものであろうと思う。そしてそこは永遠の静けさを持った水域であり、絶えず仄白《ほのじろ》い微光が立ち籠めている。微光については何の根拠もないが、根拠があろうと、なかろうと、架山はそういう場所であると自分ひとりで決めている。  そういうところに、みはるは横たわっているのである。架山はそういうみはるのことを思うと、ふいに自分を取り巻く森羅万象が、風の音も、空の色も、人間の顔も、凡《およ》そ眼に映るもの、耳に聞えるもの、すべてがすうっと自分から遠のいて行くのを感ずる。何もかも遠のいて行ってしまうと、架山は十七歳の少女と二人だけになる。こうした時から、辛い気持は架山の心に立ち籠めて来るのである。  森羅万象が遠のいて行って、みはると二人だけになると、架山は湖底に横たわっている十七歳の少女と言葉を交す。  ——冷たくはないか。  ——いいえ。  ——おなかはすかないか。  ——いいえ、動かないんですもの、おなかのすきようがないわ。  ——ずいぶん退屈するだろう。  ——少しも。これでもいろいろなことを考えているんです。  ——どんなことを考えている?  ——言えないわ。言ったら笑われてしまいますもの。  架山とみはるの会話はこのくらいで終る。ふとわれに返ると、心は冷たくなっている。氷片でも胸の中にあるような、そんな冷たさである。  こうした時、架山は自分では判らないが、ひどく辛い顔をしているのではないかと思う。事件があった年から翌年にかけて、架山はよく冬枝に言われたものである。 「ほら、また、あなた、怖い顔していらっしゃる。嫌だわ、そんな顔をなさるのは。——何を言っても、全然受け付けないし、——一体、何を考えていらっしゃるのかしら。わたしばかりでなく、光子だって気付いています」 「そうかな」 「ご自分で気が付きません?」 「気が付かん」 「いま、何を考えていらしった?」 「何も考えていない。ぼんやりしていた。多少ぼけたのかな」  そんな返事をするが、架山には判っている。冬枝や光子に怖い顔をしているように見える時は、湖底のみはると言葉を交している時なのである。それにしても、みはると会話をしているのであるから、怖い顔をしているわけはないと思う。おそらく辛い顔をしているのであり、それが第三者の眼には怖い顔として映るのであろう。心が氷片でも抱いているように冷たくなるくらいであるから、辛い顔をしているに違いないのである。  架山が湖というものを避けているのは、湖を見る度に、事件のことをなまなましく思い出さなければならぬからである。しかし、よくしたもので、湖でも見ない限りは、こうしたことも、歳月と共に間遠になって行く。冬枝や光子に怖い顔を見せることも、年々歳々少くなって行く。みはると話すことが少くなったためでなく、それに慣れたからである。そして対話の内容も、次第に日常的なものに変って行った。架山は毎日のようにみはると話したり、時には何日も話さないこともあった。何日も話さないことに気付くと、架山はみはるに話しかける。  ——大分、ごぶさたしたな。  ——いいのよ。わたしの方は少しも変りはありません。ただこうしているだけなんですから。  架山はもう辛い顔も怖い顔もしない。心の底から吹きあげて来る淋《さび》しさの中で、遠いところを見るような眼をする。  事件から今日までの七年という歳月は、架山にとって長くもあり、短くもあった。ついこの間の事件のようにも思われるし、そのために苦しんだり、悲しんだりした自分の気持の彷徨《ほうこう》を振り返ってみると、よく歩んできたと思われるほど長い道のりにも感じられる。  子供を不慮の事件で失った親はこの世の中にたくさんある。毎日毎日の新聞に、そうした不幸な事件は次々に報道されている。それぞれの親が、それぞれの立場で、いろいろな悲しみ方や苦しみ方をしている。事件は同じような性質のものであっても、親の胸に刻まれた傷跡は一つとして同じものではないに違いない。  架山の場合、一番苦しんだのは、遺体が湖底に置かれたままになっており、そのために葬儀も営まれていないということであった。遺体の在り場所が判らなければ、それはそれで諦《あきら》め方もあったが、みはるの場合は、遺体が琵琶湖の竹生島南方の湖底という限定された水域に沈んでいるのである。謂《い》ってみれば、みはるは永遠に仮葬の形で葬られているということになる。架山の頭の中に、みはるを生と結びつけて考える気持はみじんもなかったが、みはるが生と死の中間に置かれてでもいるような、そんな思いがないとは言えなかった。  こうした思いを架山が持つに到ったのは、日本の古代の�殯《もがり》(仮葬)�とか、�殯《もがり》する�とかいう言葉からであった。実際に日本の古代においては、仮葬という死者の葬り方があった。人間が亡くなると、すぐ本葬は行わないで、ある期間、仮りに葬っておき、そしてその上で本式に葬るという二重の手順を踏んでいたのである。それなら、なぜそのような仮葬期間を置く必要があったのか、当然そういう問題が起って来るが、それに対する解答は簡単である。人間は死んでも、すぐ鬼籍にはいるのでなく、生でもない、死でもない、つまり生と死の間に死者の魂が浮游《ふゆう》している期間のあるということを、古代人は信じていたのである。  こうしたことに思いを致すと、架山はみはるもまたそのような状態にあると考えざるを得なかった。即ち、湖底に横たわっているみはるは生者でもなく、死者でもない。生と死の中間にある何ものかであるということになる。しかし、遺体が永遠に収容できない場合は、みはるは永遠に仮葬されたままなのである。古代人の死に対する考え方によれば、みはるは永遠に生者でもなければ、死者でもなかった。  架山は死者でもなく、生者でもないみはると、何回言葉を交したことであろう。架山が事件後三、四年の間に持った苦しみや悲しみの大部分のものは、こういうところから起っていた。  架山は、みはるが今もなお仮葬の状態にあることに、何らかの意味を求めたかった。そうしないと、みはるが痛ましかった。みはるはいつまでも、�もがり�されており、死者でもなく、生者でもない状態にあった。生の世界から脱《ぬ》け出してはいるが、死の世界にははいらず、その中間に置かれているのである。いつまで経っても、生者でもなければ、死者でもなかった。同じように子供を失った親たちはかぞえきれないほど多いが、大抵の親たちが死の世界にいるわが子を悼み、悲しんでいる。ところが架山の場合は、生者でもなく、死者でもなく、生と死の中間に居るわが子を悼み、悲しまなければならぬのである。  そうしている時、架山は若い国文学者の�もがり�に関する新しい論文を読んだ。架山は�もがり�という言葉に敏感になっていたので、新聞の広告欄の片隅に収められてある国文学研究雑誌の小さい論文の題名に眼を留めたのである。早速、秘書課員にその雑誌を買って来て貰《もら》って、その論文に眼を通した。それは奈良時代の死者を悼んだ歌——万葉集などに見る挽歌《ばんか》なるものは、単に死者を追悼した歌ではなく、それがいずれも�もがり�の期間に詠まれているということを、具体的な例をあげて指摘したものであった。挽歌は単なる追悼歌ではなく、正確な言い方をすると、�もがり�の期間に詠まれている追悼歌だというわけである。  架山は一人の国文学研究者の挽歌に関する論文を読み終った時、すぐそれをみはるの場合に結び付けて考えずにはいられなかった。その論旨からすると、みはるは遺体があがらない限り、いつまでも挽歌を捧《ささ》げられるところに身を置いているということになった。  また、挽歌というものが、�もがり�の期間に詠まれた追悼歌であるということは、言葉を換えて言えば、それが生者でもない、死者でもない、�もがり�の期間の霊に対して詠まれたものであるということになった。これはその論旨から引出した架山の考えであったが、架山はそう考えてさして間違いないのではないかという気がした。  もし、みはるの死に対する追悼の歌を詠むなら、みはるはそれを受ける立場に永遠に身を置いているのであり、そしてその追悼の歌の心は、生と死の中間に置かれてあるみはるに対して詠《うた》われなければならなかった。  更に架山は考えた。もしかしたら、�もがり�の期間というものは、死者を悼むために古代人が人為的に設定したものではないのか。死者を悼もうとしても、なかなか悼めない。だから、みなで相談の上で死者追悼の期間というものを�もがり�という形で定めたのではないか。確かに、それはいいことであり、どう考えても、悪いこととは言えなかった。人間というものは、こうでもしないと、なかなか一人の人間の死をすら悼むことができないものかも知れない。だから、�もがり�の期間を定めて、それを追悼期間としたのであろう。  それなら、それを、なぜ被追悼者が生と死の間にいる期間としたのであるか。実際に死の世界に足を踏み入れているのであるから、死者として考えても、いっこうに差しつかえない筈《はず》である。それで追悼の歌を詠えないということはなかった。  こうした考えを追っている時、突然、架山は胸を衝《つ》きあげてくる烈しい思いに打たれた。自分はみはるが生きている時は決して話さなかった言葉を、いまは毎日のようにみはると交していると思った。そしてまた死んでしまったみはるに対しては決して話せない言葉を、いまは毎日みはると交していると思った。みはるが生と死の中間に置かれてあればこそ、このように毎日みはると言葉を交しているのである。自分は毎日、みはるに対する挽歌を詠んでいる。歌の形はとらないが、それを流れている心は、挽歌にほかならないであろうと思う。もしみはるが普通の亡くなり方で亡くなっていたら、このように挽歌を捧げることはなかったに違いない。  架山は、自分のみはるに対する悲しみが、もう自分の生涯から消えず、自分はみはるに対する挽歌を詠みづめに詠んでいなければならぬだろうと思った。そのために、みはるはいまも琵琶湖の湖底に沈んでいるのである。  架山は、みはるの特殊な死に対して、未知の国文学研究者の論文によって、一つの結論を持つことができたのであった。みはるは、古代人が死者を悼むために考えた�もがり�の状態に置かれてあった。生でもなく、死でもない、その中間の状態である。しかし、それは古代人が考えた挽歌を詠まれるにふさわしい状態であり、人間同士が人間として偽りのない本当の会話を交すのは、所詮《しよせん》このような状態を想定して初めて可能なことであるかも知れなかった。こういう考え方に立つと、挽歌というものを、単なる追悼歌としてでなく、改めて考え直さなければならなかった。  架山は万葉集を繙《ひもと》いて、挽歌というもののすべてを読んだ。そして架山はあらゆる挽歌に流れているものを、単なる追悼の心として見做《みな》すことはできなかった。はっきり言えば、そこにあるものは対話であった。生きている時にお互いに交すことのできぬ対話であり、相手が死んでしまえば、それはそれで、もはや交すことのできぬ対話であった。  架山は、みはるの事件以来今日までの七年の間に、たくさんの知人の死に遇《あ》っていた。生きている時は競争相手でもあり、対立者でもある知人もあった。それが死んでしまうと、死んでしまったものは敗者であり、生きている者は勝者と言うほかはなかった。  しかし、架山は殆《ほとん》ど例外なく、通夜か、告別式の席に於《おい》て、その死者と話した。それは本当の、この地球上に同じ時期に生れた人間としての、そしてその二人だけに通ずる対話であった。通夜か告別式の席に於《お》ける時だけ、二人は敵対者でもなく、勝者でもなく、敗者でもなかった。同じ時期に、同じ地球上に生れ合わせた人間同士の対話であった。  ——ずいぶん競争したり、張り合ったり、時には憎んだり、呪ったり、いろんなことをして来たものだな。  ——いいじゃないか。人間というものの生き方は、それしかないだろう。  ——君は俺より長く生きると思っていたのに、案外早く死んでしまったな。俺の方はまだ生きている。  ——そんなことは意味をなさないよ。間もなく、お前の方も死んでしまうだろう。  ——確かに、そういうことだ。それなのに、どうして勝ったとか、敗けたとか、そんな競争の仕方をしたのだろう。  ——でも、それが人間というものなんだ。短い期間、地球上に生きるんだ。そんなことでもしていなければやりきれぬだろう。  ——確かに勝っても、敗けても、たいして意味はないね。君は死んでから、それに気付いた。  ——君だって、俺に死なれたからこそ、それに気付いた。  これは、�もがり�の期間の対話であった。葬式から何日か経つと、この対話は成立しなかった。死者は完全な敗者であった。もう答えなかった。  架山は毎年、何人かの知人の死に遇っている。四十代まではめったに親しい者の死に遭遇しなかったが、五十代になってからは、至近弾がやたら自分の前やうしろに落ちる感じである。ひょいと身を屈《かが》めると、弾は自分には当らないで、うしろに居た者に当ってしまった、そんな感じの時もある。こういう点は、人生も戦場も同じようなものだと思う。どこから見ても頑丈で、容易なことでは死にそうもないのがひょっこり心臓|麻痺《まひ》で倒れたり、癌にやられたりしている。そうかと思うと、病身でふらふらしているのに長寿を保っているのもいる。人間の寿命というものは甚だ気まぐれで、運みたいなものだと言うほかはない。  知人の死の場合、架山はいつも、ああ、この人物とは何か話さなければならぬ大切なことがあったのに、ついに話す機会も持たないで別れてしまったという思いを深くする。誤解を解いておくべきだったという気持を持つこともあれば、感謝の気持を相手に伝えるべきであったのに、とうとう機会がないまま、相手の死を迎えてしまったという感慨に浸る時もある。いかなる知人の死の場合にも、自分を振り返ってみて、そういった後悔の念に捉《とら》われる。  親しい友の場合も、さほど深い交渉のなかった知人の場合も、悔いの思いは同じである。人間対人間の大切な対話は何ひとつ交さないで、お互いに別れてしまったという取り返しのつかぬ気持である。相手に死なれて、失敗《しま》ったと思うが、その時はもう遅いのである。お互いに同時代に生れ合わせながら、人間としての本当の心の触れ合いもなく、誤解したり、争ったり、反感を持ったり、儀礼に終始したりしながら、慌しく別れてしまったのである。  架山は、その生前に於て交すべきであった大切な会話を、通夜か、告別式の席か、とにかくその死からそう遠くない、そのショックがまだなまなましく感じられている時に一方的に試みる。相手から返事のあろう筈はないが、それでも相手の返事が聞えて来るような気がする。それも、試みようと思って試みるのではなく、自然にそういう気持になってしまうのである。もちろん、こうしたことは、その時だけのことである。その機会を外すと、そういった神妙な気持はなくなる。やがて、その人の死は次第に遠くなって行く。  架山は思う。こういった知人の死に遭遇して、相手に対して試みる人間としての大切な対話というものは、古代人の挽歌《ばんか》に相当するものではないか。そして自分が故人に対して対話を試みずにはいられない、つまり通夜とか、告別式とか、その死から遠くない期間こそ、古代の�もがり�のそれと同じ意味を持つものではないか。  架山は、ある時、親しい実業家の一人に自分の考えを話したことがある。  ——僕は知人の葬儀の時、会葬者の席に坐《すわ》っていて、故人と話をする。誤解を解いたり、謝ったり、反対に相手の釈明を求めたりする。よくしたもので、相手も真剣に返事をしてくれる。と言って、相手は死んでいるのだから、本当は返事をする筈はない。一人二役なんだ。こちらで話しかけ、それに対して、相手に代って、こちらが答えるということになる。が、これはめったに間違うことはないと思うね。あの時だけは、故人に対して、こちらは無心に、素直になっているからね。自分の頭の中では、相手はまだ死者にはなっていない。もし死者になっていたら、話しかける気持なんか起さないだろう。訃報《ふほう》に接してからまだ何程も経っていず、死は実感として来ていないんだ。だから、生前話すべきであったのに、ついに話さなかったことを話す。と言って、相手は、現に葬儀を営まれているくらいだから生者ではない。生者でもないが、死者でもない。生と死の中間に居るんだ。人間という者は、生きている時は対立者だから、なかなか本当の心は見せ合わない。反対に死んでしまうと、変な言い方だけど、勝者と敗者みたいな関係になる。死者は、あとに生き残っている者の批判を、無抵抗に受けなければならないからね。  ——人間が人間として、本当に相手に立ち向かえるのは、どちらか一方が死んだ時だと思うね。それも死んでからごく短い期間のことだ。僕の場合だと、相手の葬儀が営まれている時ということになる。その時だけ、本心で相手に立ち向かえる。相手は生と死の中間に居る。相手が生きている時は交せなかった対話が、そして相手が完全に死んでしまっては交せない対話が、二人の間に成立する。  ——僕は古代に於て、人が死んでも、すぐ死者として取り扱わず、生と死の中間にあるものとして、�もがり�の期間を設定したということは、恐しいようなものだと思う。そしてこの期間に、挽歌が捧《ささ》げられている。挽歌は、僕の場合の対話に相当すると思うね。生者でも、死者でもない故人に、自分の人間としての本当の気持をぶつけたものなんだ。古代人は、おそらくこういう期間でも設けない限り、人間というものは救われないと思ったのではないか。�もがり�している時、人間は死者に対して、本当に人間になれるんだ。そして挽歌の形で、その本当の心を捧げたんだと思うね。こういう考え方をすれば、古代に於ては、現代よりずっと人間が尊重され、人間の死が尊重されていたことになる。  聞き手は、多少痛ましげな表情で、終始黙って聞いていた。みはるの事件を知っていたからである。  架山が親しい実業家に語った論法でいくと、みはるは永遠に�もがり�の状態に置かれてあり、そういう意味では生者でも、死者でもなかった。みはるは生と死の中間に居り、架山はいつまでもみはるとの対話を持つことができた。いつまでも、みはるに挽歌を捧げることができた。  実際に架山はそう思い、そう信じていた。同じように子供を亡くしても、自分はほかの親とは違うのだと思った。ほかの親の場合は、亡くなった子供は、次第に遠く小さくなって行く。年々悲しみは薄らいで行く。しかし、自分の場合はそういうわけにはいかない。みはるは自分から遠く離れて行くこともなく、小さくなって行くこともない。永遠に対話ができる場所にみはるは居るのである。  架山は、毎日のようにみはると話すことができた。それは紛れもない一組の父と娘としてであった。みはるが生きていた時は話せないことを、そしてみはるが死んでしまったら話せないことを、架山はいつでもみはると話すことができた。  ——君は俺の娘だったな。  ——そうよ、途中で別れて住むようになってしまったけど、あなたはお父さん、わたしは娘ね。  ——君の短い一生は不幸だったな。  ——不幸だったといえば、それはわたしでなく、お父さん、お母さんの方ではないかしら。どうして別れたりなさったの。  ——気が合わなかったからね。  ——そうかしら。ちょっとどうかすれば、気が合ったんじゃありません? おかしかったわ、お父さんとお母さんが張り合っているのを見てるの。大人って、あんなことばかりするのね。そして、とうとう別れるようになってしまいましたのね。  ——結局、迷惑したのは君だったな。君は、父親と母親の揃った普通の家庭に育たなかった。淋《さび》しいこともあったろうと思う。  ——それは、たまには淋しいと思ったこともあります。しかし、お父さんが考えるほど、自分の環境を気にやんだり、淋しがったり、悲しんだりはしませんでした。  ——でも、君はよくこの父親を訪ねて来たじゃないか。  ——お父さんに会いたくて行ったというより、むしろお父さんを慰めに行ったという方が当っています。  ——そうかな。  ——それに、ああしてお父さんに会うの、とても楽しかった。ママにも内緒でしょう。東京のお母さんにも内緒でしょう。トランプにあんな遊びがあります。知っていらっしゃる?  事件があってから七年の歳月が流れているが、その間に架山はみはるとよく話した。みはるとの間に意識した一組の父娘としての対話を持つようになってから、架山は冬枝に指摘されるような怖い顔はしなくなった。事件から一、二年の間は、湖底に横たわっているみはるの姿が眼に浮かんで来て、その度に心は烈しい悲しみで揺られ、顔は悲しみでゆがんだが、やがて、みはるとの対話を持つようになってからは、そういうことはなかった。気持はもっと静かで、平らかで、落着いていた。  架山は、時折り、自分とみはるのように、誰が話すことができたであろうと思う。事実、みはると話している時の架山は抽象化された父親であり、みはるは抽象化された娘であった。現世のいかなる父と娘も取り交すことのない対話を、架山とみはるという一組の父と娘は持ったのである。  従って、架山にとっては、一人の国文学研究者の�もがり�に関する論文を読んだことは大きい事件であった。そのお蔭《かげ》で、架山は本来なら永遠に救われることのない苦しみから、少しずつ立ち直ることができたのである。そうでなかったら、架山はみはるの遺体が湖底に沈んでいることを思う度に、痛ましさと不憫《ふびん》さで、いまも永遠の地獄の火に苛《さいな》まれていたに違いなかった。  ともあれ、架山の心の中で、みはるは次第に変ったものとなって行った。架山自身は気付かなかったが、みはるは一個の湖底に横たわっている遺体から、架山自身の観念の一部へと変って行ったのである。  ——今日は会社の若い社員の結婚式に行って来たよ。君も生きていたら、良縁を得て、華燭《かしよく》の典なるものを挙げていたかも知れないね。  ——そうですわね。でも、それはわたしがお父さんと別れるということじゃありません? 父と娘というそれまでの関係とは別のものになることでしょう。お父さんも耐えられないでしょうし、わたしも耐えられないと思うの。  ——そう言われればそうかも知れない。娘を結婚させるということの本来の意味は、親が子供を棄てるということだろうからね。熊の場合でも、子熊が自分ひとりで食物を漁る知恵がつくと、親熊は子熊を木の上に残して、去って行くという。子熊は食物こそ漁ることができるが、まだ自由には木から降りられない。従って自分から離れて行く親熊を追って行くことはできない。熊の場合だけに限らず、動物というのはみな同じようなものだろうね。いつか親と子は別れなければならない。人間も同じだ。子供を結婚させるという形で、親は子供を棄て、子供は親から離れて行く。  ——でしょう。華燭の典なんて呼んでいるけど、それ、親子の別れというものなんでしょう。お父さんはお父さんで、わたしはわたしで生きて行く。そういうものなんでしょう。わたしとお父さんの場合は、そういう別れがなかっただけ。  また、架山とみはるは、こういう対話を持ったこともある。  ——今日知人の長寿の祝いがあって、それに出席した。八十八歳の実業家のために多勢集った。その席でふと君のことを思い出した。八十八歳と十七歳ではたいへんな違いだ。思えば、君の場合は短い一生だったな。  ——わたしの生涯は、おっしゃるように短かったかも知れませんけど、長生きしたから幸福、短命だったから不幸というわけのものでもないでしょう。  ——だが、十七年という歳月は余りに短い。  ——そういう言い方をすれば、八十八年の生涯も決して長いとは言えないでしょう。同じことですわ。お父さんが十七年を短く、八十八年を長いと思うだけですわ。いずれにしても、あっという間に終ってしまう時間でしょう。  ——それは、そうだ。人生|須臾《しゆゆ》というからね。  ——大丈夫、わたしのことを悲しんで下さらなくても。わたしはわたしで、充分たのしかった。もし生きていたら、お金で苦労したかも知れませんし、結婚して、子供を産んで、その子供のために悲しいことがあったかも知れません、いまのお父さんみたいに。大体お父さんは欲深かだと思います。わたしと同じように若くて亡くなって行く人はたくさんあります。それなのに、そういう人たちのことは少しも意に介さないで、自分の娘であるわたしのことだけ。  ——それは仕方ない。親だからね。親の愛情だ。  ——親ってなんでしょう。親の愛情ってなんでしょう。わたしといっしょに亡くなった大三浦さんのことはこれっぽちも考えないで、わたしのことだけね。  ——その通りだが、理屈ではないんだな。本能的な愛というやつだろう。  ——悲しいものね、人間って。一人一人がその本能的愛というものを背負っているんですのね。子供の回りをうろうろしている親猫の暗い紫色の眼を見て、何だか悲しくなったことがあります。人間もあの猫の眼の色と同じものを持っているんですね。  ——いくら悲しんでも、そういうものが人間なんだな。人間である以上、そこから逃げ出すことはできない。  ——逃げ出したいと、お考えになったことあります?  ——そりゃ、あるさ。逃げ出すことができたら、どんなに気持がらくになるだろうと思う。  ——宗教って、そういう悩みのためにあるんじゃありません?  ——えらいことを知っているんだな。  ——そういうことを書いた本を読んだことがあります。  架山が時に宗教関係の書物を開くようになったのは、みはるとの間にこういう対話を持ったからである。  架山がこの何年かにみはるとの間に持った対話は、人生のあらゆる種類の問題に亘《わた》っていた。愛について、結婚について、死について、幸福について、生れて来た意味について、架山はその時々で真剣にみはると話した。架山の場合は、考えることはいつも十七歳で他界した娘みはるが中心になっており、自分がみはるの立場に立って、愛について、結婚について、死について、幸福について、生れて来た意味について考えてやったのである。  それに対するみはるの応答は、ふしぎなことにいつも、父親である架山の立場に立ったものであった。そういう意味では、架山はいかなる問題に於《おい》ても、常にみはるに慰められ、労《いたわ》られているようなものであった。  こうして架山とみはるは、一組の父と娘として、誰にも知られぬ対話の時間を持った。それは丁度、みはるが生きている時、二人だけの奇妙な秘密の逢瀬《おうせ》の時間を持ったのに似ていた。生きている時は生きているみはると、死んでからは死んだみはると、架山は誰にも知られない対話の時間を持ったのである。  対話の時間を持つと言っても、もちろん死んでいるみはるが話せよう筈《はず》はなかった。話しかけて行くのは、いつも架山の方であり、それに対して答えるみはるの言葉は、架山自身が代弁してやる形をとらなければならなかった。一人二役であった。架山はみはるの立場に立ったり、自分の立場に立ったりして、自問自答を繰り返しているようなものであったが、架山自身はそうは思っていなかった。もしこのことについて、第三者が問い質《ただ》したとしたら、架山はそれについて答えたに違いない。  ——自分には娘の話している声も聞えるし、その時々の娘の表情までがちゃんと眼に映って来る。もし娘の声が聞えなかったり、娘の表情が見えなかったりしたら、それはもはや父親とは言えないだろう。ほかの言い方をすれば、自分はみはるが考えるであろうように考えることができ、みはるが話すであろうように話すことができる。これが可能なのは、自分がみはるの父親であるからである。父親というものはそういうものである。そういうものでなかったら、一体父親とは何であろうか。しかも、自分の場合、みはるは死んではいないのである。生きてこそいないが、と言って、死んでもいないのである。父親と対話するために、みはるは今もなお琵琶湖の湖底に�もがり�されているではないか。  架山にこのように答えられたら、第三者としては黙るほかはなかった。せいぜい娘を失った父親の思いつめた考え方を痛ましく思うか、ばからしく思うか、そのいずれかであるぐらいのところであった。  しかし、架山がこのような娘との対話の時間を持っていることは、誰も知らなかった。妻の冬枝も、娘の光子も知らなかった。まして他の第三者が知ろう筈はなかった。  いかなる問題も、結局のところは、歳月というものが解決すると言われるが、架山の場合も、いろいろな意味で、歳月というものが大きく作用したようである。  事件から一、二年の間は湖底に横たわっているみはるの遺体と救いのない会話を持ち、それで苦しんだり、悲しんだりしたが、三年、四年、五年と経つうちに、その対話も次第にその性格と内容を少しずつ異ったものに変えて行った。  七年目に、親しい大学時代の友人で、現在財界人として名を出している古畑から、ある酒宴の席で、 「たいへんだったな、君も。しかし、どうにか乗り越えたようだね」  と言われたことがあった。架山は、古畑がみはるの事件を知っていようと思っていなかったが、この言葉で、古畑が何もかも承知していることを知った。 「まあ、ね」  架山は笑いながら言った。 「苦しかったろう」 「でも、もう、過ぎ去ってしまった」 「この一、二年、君の顔が変ってきた。みながそう言っている。やはり歳月だね」  古畑は言った。みはるの事件について、友人から直接言及されたのは、古畑の場合が初めてであった。 「歳月と言われれば、やはり歳月だろうね。いろいろ心配かけて、すまなかった。もう大丈夫だ」  架山が言うと、 「いや、さぞたいへんだろうと思っていたよ。だが、思うだけで何とも言葉のかけようがなかったからね」  古い友人のそんな言い方が、さすがに架山の心に沁《し》みた。 「そりゃ、たいへんではあったがね、しかし、苦しいのは一、二年で、あとは気持はそう暗くなかった。実際に、そんなに暗い顔はしてはいなかったと思うんだ」  架山は言った。みはるとの対話がお互いに労り合うものを持つようになってから、確かに暗い気持はなくなっていたと思う。 「諦《あきら》めることができたんだね」 「まあ、ね」  そう言うほかはなかった。諦めというようなものではなかったが、それを判るように相手に説明することはできなかった。 「結局は、運命と考えるしか仕方がないものね」 「まあ、ね」  この場合も、架山は言った。簡単に運命と片づけられても困る気持があったが、しかし、架山の人生観の中に、運命というものが、みはると対話をするようになった以後はいりこんで来たことは事実であった。  古畑に限らず、他の知人たちも、肉親の死という問題を、さして気を遣わないで、架山の前で口にすることができるようになった。今までは誰も架山の前では取りあげる話題に神経質になっていたが、その緊張が多少でも解けた感じだった。これが歳月というものであるに違いなかった。  ただ第三者は、架山の心の内部で、娘の異常な死から受けた傷痕《きずあと》が少しずつ癒《い》やされて行き、悲しみが少しずつ薄らいで行くという見方をしていたが、架山にしてみると、そういうものではなかった。傷跡も癒《なお》らないし、悲しみも薄らがなかった。正確に言えば、心の内部に立ち籠《こ》めていた暗い思いが、霧でもはれて行くように、ごく少しずつ明るさを取り返して行ったのである。傷口は依然として大きく口をあけ、悲しみはもとのままであったが、暗い陰気な思いはなくなっていた。こうしたことは、架山自身のいろいろな人生問題に対する考え方の変化を意味していた。言うまでもなく、これには、みはるとの間に持った対話が大きい役割を果していた。  架山は娘の光子に誘われて、ある有名な交響楽団の演奏会に行ったことがあった。光子が入場券を二枚手に入れてあって、その一枚をむだにするのは惜しいと言って、しきりに同行を勧めたので、架山はそれに応じたのである。音楽会というようなものに足を踏み入れるのは、架山にとっては初めてのことであった。音楽には無知でもあり、無関心でもあって、全く光子に付合ってやったのである。  演奏曲目の一つに、今は故人になっているある高名な詩人の詩を、これまた高名な作曲家が作曲した独唱と合唱を混じえた交響曲があった。曲は幼い娘の死に対する母親の悲しみを取り扱ったもので、その内容の一部に、月の光の美しい夜、亡き娘が家の裏手の林の中に来て遊んでいるといったところがあった。そのところで、架山は殆《ほとん》ど堪え難いほどの感動を覚えた。曲全体が何とも言えずきよらかなものであったが、特にその個所はすばらしかった。  演奏が始まる前に、音楽評論家らしい人物によって、その曲についての解説がなされた。  ——亡くなった娘が、家の裏手の林の中に来て遊んでいるというようなことは、実際にはあり得ないことであります。言うまでもなくこれは、亡き娘の死を悲しむ余りに母親が持った幻覚であり、幻聴であります。しかし、何という美しく悲しい幻覚であり、幻聴でありましょう。あるいはまた幻覚、幻聴と考えないで、娘を失った母親の悲しみを、そのような構想に於て表現したと考えてもいいでしょう。そしてそうした詩の持つ主題、内容にふさわしい作曲がなされております。詩の心は完全に生かされ、すばらしい調べとなって、聴く者に迫って来ます。  解説者が壇を降りると、すぐ演奏は始まった。架山はたちまちにして、その曲の中に引きずり込まれて行った。光子に誘われて来てよかったと思った。  架山は曲が演奏されている間、きよらかな月光を全身に浴びていた。月光は白く冴《さ》え、その中を幼い娘を失った母親の悲しみが走っていた。少しも暗くはなかった。まるで自分の心が歌われているような気持だった。娘を失った母親の悲しみの代りに、娘を失った自分の心を置いても少しもおかしくはなかった。架山は一人の詩人と一人の作曲家によって、自分の心がそっくりそのまま表現されているのを感じた。  演奏が終って、白い月光が消えた時、架山は暫《しばら》く呆然《ぼうぜん》としていた。夢から覚めたような気持だった。身も、心も、すっかり、きよらかなもので洗われ、みはると二人だけで曠野《こうや》の一劃《いつかく》に立ちつくしているような思いであった。  演奏会からの帰途、くるまの中で架山は、自分が感動した独唱合唱付交響曲について、 「あれは、よかったね。ああいうものなら、自分にも、そのよさが判る」  と、光子に言った。 「あれ、有名なものですもの。外国でも時々演奏されているんじゃありません? それに今日のは、みんな一流です。交響楽団も一流、指揮者も一流、解説した人も一流です」  光子が言った時、架山は演奏前になされた解説者の解説を思い出し、一流の解説者かも知れないが、あの解説は少し違うのではないかと思った。多少解説に文句をつけたい気持だった。 「あの解説者は林の中に死んだ娘が来て遊んでいるというようなことは、実際にはあり得ないと言っていたね。母親の幻覚か、幻聴だと言った。だが、あれは幻覚でも、幻聴でもないと思うね。母親は実際に死んだ娘が来て遊んでいるのを見たんだ」 「でも、それ、詩の解釈で、音楽そのもののよさとは無関係でしょう」 「そりゃ、そうだが、しかし、全く無関係でもないだろう。母親の幻覚だと思って聴いているのと、本当に娘がそこに来て遊んでいると思って聴いているのとでは、大分差がある。母親は本当に娘の姿を見、娘の声を聞いたんだ。そう思って、あの曲を聴かないと、——」 「それ、結局のところ、やっぱり幻覚じゃありませんか」  光子は言った。架山はそれ以上、その問題については話さなかった。光子を相手にしても、無理だと思った。しかし、相手にして無理なのは光子ばかりではなかった。一流だと言われる解説者の場合でも同じだった。  架山はくるまに揺られながら、誰もが理解できないひとりの思いにはいっていた。自分がみはると対話の時間を持つように、あの詩の中の母親は死んだ娘と対面の時間を持ったのである。自分の場合の対話が、母親の場合は視覚的なものに代っただけの話である。  こうした時の架山の顔は悲しげではあったが、少しも暗くはなかった。架山を感動させた曲が悲しくはあったが、少しも暗くはなかったように。  貿易業者としての架山の仕事は、この七年の間に、地味ではあったが、順調に伸びていた。外部からは、架山は慎重すぎるほど慎重に見えることがあった。誰の眼からももっと大胆に仕事の幅を拡げるべきであり、今がその時期であると思われるのに、架山はそうしなかった。  会社の幹部たちにも、そうした時の架山は理解できなかった。いくら勧めても、梃《てこ》でも動かないところがあった。娘を亡くしてから意固地になったんじゃないか、そんな陰口さえ叩《たた》かれた。が、架山は、誰にも知られない相談相手を持っていた。みはるであった。  ——どうしようか。思いきってやるなら、今なんだが。  ——思いきってやって、どうなります?  ——貿易業者として一流になるか、今まで通り二流に留《とど》まっているか、ただそれだけのことなんだ。  ——一流になりたければ、おやりになればいい。  ——さして一流になりたいとも思わない。  ——では、おやめになればいい。  こんな短い対話が、架山の態度を決めていた。  また反対に、会社の運命を大きな賭《か》けに持って行くような、そんな思いきったことを、時に架山はすることがあった。慎重|居士《こじ》の反対であった。  ——外国の業者から持ち込まれた話なんだが、いいか、どうか、見当はつかん。  ——でも、どちらかにお決めにならなければならないんでしょう。  ——そう。  ——では、お決めになればいい。  ——どちらにしよう。  ——どちらにでも。どちらにしても、会社が潰《つぶ》れることもないんでしょう。  ——そりゃ、そうだ。君の事件ほどの打撃は受けないだろう。  ——では、おやりになったら?  この場合も、こうした対話が背後から架山を支えていた。  慎重な時にも、大胆な時にも、第三者には判らぬが、それを選ぶ架山の考え方には、どこかに虚無的な匂いがあった。その底にいつもみはるの死があり、運命論者的な虚無感があった。いかなる問題に関しても、架山は即断即決であった。そんな点、いささかの暗さも、陰気さも感じられなかった。むしろ透明な明るさがあった。  架山の仕事は、派手ではなかったが、着実に伸びて行った。架山はみはるのアドバイスを重視していたが、みはるの口から出る言葉として架山が考えているものは、言うまでもなく、架山自身の観念であった。  家庭に於《おい》ては、架山は、まあ、いい夫であり、いい父親であった。妻の冬枝は夫の心の中に、みはるの死がいかなる形で残るか、初めのうちはそのことに神経質になっていたが、次第にそうした心配から解放されて行った。みはるの事件から受けた夫の心の傷跡が、ごく自然に年々|癒《い》やされて行くのが感じられた。いかなることも時が解決して行くと言うが、夫の場合も例外でないと思った。ただ�みはる�という名はなるべくは口から出さないようにした。どんな刺戟《しげき》を夫に与えないものでもないと思われたので、その点については娘の光子にも注意した。しかし、時折り、光子は�みはるちゃん�とか、�姉さん�とか、うっかりみはるのことを口にすることがあった。冬枝はその度にはっとして、夫の顔色を窺《うかが》うことがあったが、架山の表情には何の変化も見出《みいだ》せなかった。  みはるの名は、なるべく口に出さないようにしたが、何冊かあるアルバムの中のみはるの写真はそのままにしておいた。架山はめったにアルバムなど開けることはなかったが、もし開けた場合、あるべきところにみはるの写真を見出さなかったら、却《かえ》って変な気の回し方をされるのではないかと思った。  この七年の間に、娘の光子は、みはるの亡くなった時と同じ年齢に達し、そしてそれ以後はみはるの年齢を追い越して、みはるが達することのできなかった少女から娘への移行期へとはいって行った。  ある時、架山は、 「光子もみはるより二つ年長になってしまったな」  そういう感慨をもらしたことがあった。みはるが生きていたら、今はどのようになっているか、架山はそうしたことに思いを馳《は》せているに違いなかった。冬枝は相鎚《あいづち》を打つべきか、どうか迷ったが、黙っているのもおかしなものであったので、 「ほんとね、みはるちゃんも全くの子供でしたのね」  冬枝は言った。 「確かにそうなんだが、どうもそうは思われない。今の光子より年長のような気がする。光子の方は苦労がないので晩生《おくて》だが、みはるの方は早熟だったかも知れない」  架山は言った。こういう場合、冬枝はこれ以上余分なことは言わなかった。そして頃合を見はからって、ごく自然に話題をほかの方へ持って行くようにした。冬枝にとって一番心配なことは、同じ自分の娘として、架山が光子とみはるを較べることであった。みはるは結局は不幸な少女であったと言うほかはないし、それに較べると、光子の方は何の不足もなく幸福の中に育っている。しかし、この問題も光子が娘として成熟して行くにつれ、自然に消滅して行くように思われた。みはるはいつまでも少女のままであるし、光子の方はその時期から年々遠く離れて行きつつある。  架山にとっては、冬枝の心配は意味をなさなかった。みはるも、光子も、共に自分の娘であり、片方は不幸な亡くなり方をし、片方はいささかも不幸な影もつけないで、すくすくと育って行きつつあることは事実であったが、しかし、架山はその二人を較べて、幸不幸の差が余りにも甚だしいといった感慨は持たなかった。  架山は、その心の内側を冬枝にも覗《のぞ》かせなかったが、もし冬枝が覗くことができたとしたら意外に思うかも知れなかった。  事件から七年の歳月を経た今、みはるは一体、架山にとって何であったか。もしそのことを知ったら妻の冬枝も心穏やかではなく、娘の光子も心穏やかではなかったかも知れない。最も適当な言い方をすれば、みはるは架山にとって特別な女性であった。この世の中にただ一人しかない女性であった。不幸にも十七歳の若さで亡くなった、謂《い》ってみれば架山のかけ替えのない愛人とでも言うべきものであった。愛人と呼ぶのが、一番ぴったりしていた。  架山は、自分がひそかに匿《かく》し持っている愛人との対話を誰にも聞かせなかったし、また誰にも理解されないことだが、その愛人は死者でもあり、生者でもあった。亡き愛人の追憶に浸ることもあったし、生きている愛人とひそやかな会話を交すこともあった。  架山の心の中で、今や、みはるはそのようなものになっていた。みはるは十七歳で亡くなっていたが、考え方によれば、架山の心の中で、みはるは年々育っているとも言えた。架山と交す会話は十七歳の少女のそれではなかった。  事件から七年という歳月がいつか経過していたが、みはるも連れの青年の遺体もあがらなかった。少女と青年の二つの遺体は今もなお湖底に横たわっている筈《はず》であった。  架山も、時にそのことに思いを馳せることはあったが、その事実のなまなましさはいつか架山には実感として感じられなくなっていた。湖というものの岸に立つことは嫌であったが、それは事件への回想に直接結びつくからにほかならなかった。湖底に今も横たわっているものは事件であった。  みはる自身はそこから脱《ぬ》け出していた。その事件と関係はあるが、しかし、また別の存在でもあった。架山にとって、みはるはもう何年も会うことのなかった愛人であり、これからも何年も相会うことのない愛人であった。そして時たま、その追想に耽《ふけ》ったり、恰《あたか》も自分の眼の前に居るかのように言葉を交したりする、清らかで、汚れなき、美しい愛人であった。冬枝も、光子も、世の中の誰もが知らない、架山が匿し持っている愛人であった。  湖底に横たわっている痛ましい遺体は、架山の心の中で�もがり�されている生と死の中間に居るみはるとなり、そしてそれと対話を交しているうちに、いつか、事件から脱け出して、架山のひそかに匿し持っている愛人のような存在になっていた。このようにして、架山が事件から受けた悲しみと苦しみは、次第にこの七年間に昇華して行ったのである。  歳月と言うなら、これが歳月というものの力であるに違いなかった。歳月が、架山にこれだけの変り方をさせたのである。  架山にとって、この七年の歳月というものは、架山の生涯で特殊な期間であった。いま振り返ってみると、架山は自分が重い鎖を足につけて、ある時はよろめき、ある時は立ちどまり、ある時は倒れたりしながら、どうにかここまで歩いて来たような気がする。  そして初めは動けないほど重かった足の鎖も、よくしたもので、七年経過した今は、それほど骨身に応《こた》えなくなっている。事件に対して、みはるに対して、その時々でいろいろな考え方をして来たが、そのいずれもが、何とかして業火の燃えている無間地獄から逃れ出ようとする必死のあがきだったにほかならない。が、いつか、架山を取り巻いていた青い火、赤い火の業火は衰え、架山の足どりは、今や、本来のものを取り戻そうとしていた。  この架山の立ち直りに最も力あったものは、第三者的な言い方で言えば歳月であり、多少主体的な言い方で言えば、結局のところは架山が事件をも、みはるをも、運命であるという見方をするようになったからである。架山はこの七年いろいろと苦しんだが、そうしたことの果てに行き着いたところは、別段変ったところではなかった。すべての人が、諦《あきら》められぬ事件を、結局のところは運命であると観《かん》じて処理するように、架山もまたそれから例外ではなかったのである。  みはるの事件も、みはるの死も、所詮《しよせん》はみはるの持った運命であったのである。架山はみはると、一組の父と子としての対話の時間を持ったが、この場合、みはるをみはるの持った運命というものに置き替えてもいっこうに差しつかえなかった。架山はみはるの運命と会話し、そしてそのみはるの運命というものは、架山にとっていつか愛人的存在になって行ったのである。架山としては、みはるの持った薄幸な運命に対して、それを優しく労《いたわ》り、愛の言葉をかけてやる以外、いかなる対《むか》い方があったであろうか。  架山は宴席などで、時に、 「人間というものは、幸福になるために生れて来たんではないだろう。不幸になっていいということはないが、幸福というものの予約はないんだな」  こんなことを言うことがあった。一種独特の突き放した言い方だった。その場に居る者は、はっとして架山の方に顔を向けたが、そんな時、架山の顔には少しも暗いものはなかった。その言葉は、架山のみはるの事件に対する結論にほかならなかった。言うまでもなく、これは、架山がいつか、みはるとの間に持った対話から得たものであった。  ——だって、お父さん、いいじゃありませんか。人間って、幸福になるために生れて来たんじゃないでしょう。わたしだってそう、お父さんだってそう、二人のお母さんだって、光ちゃんだって、みんな、そうよ。  こういうみはるの声を、架山は聞いたことがあったのである。 [#改ページ]     宝 冠  五月の終りに、高校時代の友人杉本の息子の結婚式のため金沢まで出向いて行き、式後湖畔の旅館で杉本の歓待を受けたことは、架山にとっては一つの事件であった。その宴席で、樋口という大学教授が半ば面白おかしく喋《しやべ》った、この地球上に居る自分のほかに、宇宙のどこかの遊星群の星の一つに同じ自分が居て、今この時も同じことを考え、同じことをしているという話は、架山にとってはその場限りの話として聞き流せないものがあった。この地球上に居る自分と、他の星に居る自分とは、どちらかが実像であり、どちらかが虚像であった。地球上に居る自分が本当の自分なら、他の星の自分は影であり、他の星の自分が本当の自分なら、地球上の自分の方は影ということになった。どちらかの自分は行為に責任を持たなければならなかったが、もう一人の自分は、すること為《な》すこと全くあなた任せであった。  一体、自分は虚像か実像か。——しかし、この問題は永遠に確かめることはできない筈であった。こちらの自分が虚像か、実像かという問いを発している時、もう一人の自分も、遠い星の一つで、全く同じ時、同じ問いを発しているのである。  この話は、樋口の説明によると、どこかの国の数学者のたてた仮説であるということであったが、本当にそういう仮説が成り立つものか、あるいは科学的には何の根拠もないお伽噺《とぎばなし》であるか、架山には判らなかった。しかし、そんなことはどうでもよかった。お伽噺なら、お伽噺として、充分面白かったし、面白いばかりでなく、架山の場合、ふいにみはるの事件が新しい展望を持ったような思いに打たれたのである。  地球上の人間が影であるという考え方をすれば、自分もみはるも、全く超自然的な力に動かされており、運命というものに操られていることになる。が、その反対であったら、他の星に住むもう一人の自分や、もう一人のみはるを、この地球上の自分たちは操っていることになった。  架山は北陸の湖畔の旅館で、この話を聞いた時、ふしぎなことではあるが、ふいに事件以来行ったことのない琵琶湖湖畔の長浜という町を訪ねてみようかという気になったのであった。もう一つの星に生きているもう一人の自分はさぞ、みはるの眠っている琵琶湖湖畔に立ちたかったのではないか。みはるもまたそれを望んでいたのではないか。しかし、地球上の自分がそうしなかったので、もう一人の自分としては、どうすることもできなかったのではないか。この場合は架山は実像になっている。  北陸の旅から帰ってから、架山は書斎の縁側の籐《とう》椅子に腰かけて、遠いところを見る眼をすることがあった。実際に遠いところを、涯《はて》しなく遠いところを見ていたのである。宇宙のどこかの遊星群の星の一つで起ったみはるの事件に思いを馳《は》せていたのだ。湖も小さく、みはるの事件も小さく見えた。  架山は、みはるの事件を、その発端から終末まで、涯しなく遠いところにある星の一つの出来事として、思い返してみた。星の一つに置いてみると、琵琶湖は小さく見えた。まるで鏡の欠片《かけら》ででもあるように小さく見える。その小さい湖で、突風が起り、ボートが顛覆《てんぷく》する。突風も小さく、ボートも小さい。その小さいボートから二人の人間がこぼれ落ちる。若者も小さく、みはるも小さい。若者の父親と、みはるの父親が、小さい湖畔の小さい町に急行する。水すましのような小さい警備艇が、小さい水溜《みずたま》りのような湖を走る。遺体捜索の漁船が何十|艘《そう》か水溜りに浮かぶ。マッチ箱のような警察署の建物の中に、二人の父親ははいって行く。やがて出て来るが、またはいって行く。二人ははいったり、出たりする。何日か経って、二人の父親は、小さい湖の岸の突堤の上に立つ。西の空半分が夕映えで赤く染まっている。事件は終ってしまったが、二人の父親の心の中では、まだ解決してはいない。解決しないどころか、二人の父親にとっては、事件はむしろこれから始まろうとしている。二人の父親は、それぞれの湖畔の小さい宿で、眠れない最後の夜を過ごす。その小さい宿を、豪雨が叩《たた》いているが、豪雨もまた小さい。  遠い星の一つに置いてみると、みはるの事件は、架山には一枚の細密画《ミニアチユール》として見えた。夾雑物《きようざつぶつ》はいっさい消え、妙に純粋なものを持って、事件は小さい画枠に嵌《は》め込まれている。悲しみも、悩みも、苦しみもはいりこむ余地がないほど、すべては縮小され、事件だけが小さいカンバスの中に描かれているのである。  架山は、事件以来初めてこの時、みはるの死をめぐって起きたドラマを、遠い星の出来事として、スタンド席から見ることができたのであった。この事件に於《おい》ては、架山はいつも登場人物の一人であったが、この時初めて観客席の一隅に自分を置くことができたのである。  自分ひとりの思いからわれに返った時、架山は琵琶湖へ行ってみようと思った。事件の時以来、一度も立ったことのない湖の岸に立ってみようと思った。遠い星のもう一人の自分も、同じことをすることであろう。北陸の宿で、ふと頭に閃《ひらめ》いた思いを、架山は東京へ帰ってからもう一度確認し、その上で、琵琶湖行きを決心したのであった。長い梅雨は終って、七月も末になっていた。  架山が湖畔の町へ行くために、新幹線に乗ったのは八月の初めであった。会社にも、家にも、仕事で関西へ出掛けるということにしてあったが、琵琶湖の岸に立ち、湖畔の長浜の町で二晩か三晩過ごそうという以外、いかなる目的もなかった。大阪まで足を伸ばせば、仕事はいくらでもあったが、大阪まで行く気はなかった。  架山は秘書も連れなかった。事件の時、何かと奔走してくれた室戸が居たら、あるいは室戸を同行したかも知れないが、三年ほど前から室戸はニューヨークの支店詰めになっていた。  七年の歳月は、いろいろなものを変えていた。室戸は結婚して、一児をもうけ、その上ニューヨークの方に職場を移している。大体、新幹線ができたのも、事件があった年の秋である。今なら現場に急行するのも容易であるが、あの時はたいへんだったと思う。それにしても、この快適な列車を知らずに、みはるは亡くなってしまったのである。みはるは何回か東京へやって来たが、僅《わず》かなことで、この列車に乗ることはできなかったのである。  新幹線に揺られている架山の脳裡《のうり》を、みはるに関する思いが、断続的に掠《かす》めたが、架山はそのために心を痛めることはなかった。それより寧《むし》ろ、架山は琵琶湖の岸に立つことに、ある期待に似た思いを持っていた。長い間湖と名のつくものを怖れていた架山としては、殆《ほとん》ど信じられぬようなことであったが、北陸の湖畔の宿の一夜が、架山を変えていたのである。  架山は、いま遠い星の一つでも、もう一人の自分が新幹線に揺られているであろうと思った。  ——もうじきに湖の岸に立てるよ。長い間、湖を敬遠していて、君にはすまなかったな。しかし、今日は琵琶湖を存分に眺めさせてやる。眺めさせるばかりでなく、長浜の、ほら憶《おぼ》えているだろう、あの警察署の近くの旅館で眠らせてやる。  こういう思いに浸っている以上、架山は実像の架山であった。実像の架山は、自分の影である遠い星のもう一人の自分に話しているのである。  しかし、架山は立場を変えて、自分の方が虚像になりかねないこともあった。  ——大丈夫か。俺はあの竹生島南方の水域に行ってみたいのだが、果して平心で行けるだろうか。遠い星のもう一人の俺よ、お前の方はどうだ。お前が行きたいというなら、行ってやるが、お前の本当の気持はどうだ?  こうなると、架山は主導権を半分もう一人の自分の方に譲っていることになる。実像としての主体性は失われて、大分虚像としての架山が色濃くなっている。  列車はこうした実像になったり、虚像になったりしている架山を乗せて、本格的な夏の烈しい陽光を降らせている原野を、みはるの知らない快速力でひた走りに走っていた。  米原駅で下車すると、架山は駅前のタクシーに乗って、長浜の旅館の名を言った。旅館には東京から電話をかけて、部屋をとってあった。  くるまは湖岸の道を走った。最近できた道だということだった。架山はくるまの窓から湖面に眼を当てていた。確かに見覚えのある湖の表情であった。ただ水は脱色されたように青さを失っていたが、それは真夏のせいかも知れなかった。多少湖面は波立っている。  湖岸を離れると、青田の中の舗装道路を走った。七年前に走った北陸方面に通じている道である。相変らずくるまの往来は繁かった。猛烈なスピードでトラックが走っている。  長浜の町へはいると、旅館に向かう前に警察署に立ち寄ることにした。警察署にはいると、入口にいた警官の一人に、 「七年前、遭難事件でお世話になった者ですが」  架山は言って、それから事件がいかなるものであったかを、相手に説明した。 「そうですか、それでは誰に会って貰《もら》いますかね」  警官は考えるようにしていたが、 「ちょっと、待って下さい」  と言い残して、奥で何か打ち合わせをしているらしい数人の警官の方へ行った。やがて、その中の一人がやって来た。はっきりと顔に見覚えがあった。何回か警備艇にいっしょに乗った小柄の警官だった。 「どうぞ、こちらへ」  相手は挨拶《あいさつ》ぬきで言って、先に立って歩いて行った。招じ入れられたのは椅子の置かれてある応接室であった。  架山は改めて名刺を出して、 「七年前はたいへんお世話になりました。あれ以来、初めてこちらに参りましたので、ちょっとお礼だけを申しあげたくて——」  そう言っている時、扉が開いて、二人の警官が顔を覗《のぞ》かせた。架山を案内して来た警官はすぐ出て行き、戸口で何か話していたが、 「すみませんが、部屋を変えて下さいませんか。どうぞ、こちらへ」  と、架山の方に言った。架山は言われるままにいったんはいった応接室を出た。こんど連れて行かれたのは、平生宿直室に使われているという畳の部屋だった。架山はこの部屋の方に馴染《なじ》みがあった。七年前と同じ卓が置かれてある。 「いや、どうも、失礼しました。お元気のご様子ですね」  警官は初めて、架山の方に挨拶の言葉をかけた。七年経っているだけあって、多少老けた感じだったが、柔和なものの言い方には憶えがあった。 「そうですか、もう七年になりますか。二、三日前に、やはり北の方でボートの顛覆事件がありましてね。若いのが三人|溺死《できし》しました。こうしたことに追いまくられていますと、全く月日の経つのが判りません。七年になりますか。驚きましたねえ」  警官は言った。 「みなさんお変りありませんか」  架山は訊《き》いた。顔見知りの二、三人の警官をさして言ったのであるが、 「七年前ですと、誰でしたかねえ。——そう、一人は居りますが、今日はよそへ行っております。あとは多分、他の署に転じていると思います」  それから、 「とうとう遺体は出ませんでしたねえ。珍しいケースで、今でも時々話題になっております。七年も出ないんですから、結局はもう出ないんじゃないでしょうか。湖底に水の流れ出る穴でもあって、そういうところに吸い込まれてしまったと考えるほかありません。しかし、考え方によれば、きれいな葬られ方だと言えますよ」  警官は言った。その言い方の中にも、事件と警官との間に七年という歳月が置かれてあるのが感じられた。 「そういうことかも知れません。おっしゃる通り、きれいな葬られ方です。いろいろな埋葬の方法がありますが、そういうきれいな葬られ方をする運命を持って生れていたのでありましょう」  架山は言った。そして自分の言葉もまた七年の歳月を経たものだという気がした。この前この部屋に坐《すわ》っている時は、夢にもこのような言葉を口に出せる状態にはなかったと思う。悲しみと、苛《い》らだちと、苦しさで、心ここにない状態であった。架山の生涯で、最も苦しい何日かだったのである。 「あれから遭難事件は毎年のようにふえております。一昨年は四十六名、去年は二十八名、毎年このくらいの死者が出ます。平均すると四十名から五十名というところです。今年はまだ八月の初めですのに、すでに二十名を越えております。昨年の二十八名は例年に較べて少いんですが、これは万博の影響で、琵琶湖に遊びに来る若い連中が少かったためだろうと思います」  そんな話を聞いていて、架山は毎年のように子供の死を悲しむ親たちが、四十人も、五十人も、この湖の岸を歩き回っているのだと思った。そのうちの何人かは、この長浜警察署の建物の中にも吸い込まれ、吐き出されていることであろう。 「私はこんな事件ばかりに立ち会っていて、つくづく思うんですが、たとい不慮の遭難事件であるにしても、子供たちにはあれほど親たちを悲しませていい権利はないと思いますね」 「本当ですね」  架山は言った。第三者としたら、さぞ、そういう感懐を持つだろうと思った。この警官は事件の度に、親たちの洪水のような悲歎《ひたん》に付合っているのである。  架山は警察署を出ると、七年前に苦しい何日かを過ごした旅館に行った。主人と内儀《かみ》さんは架山を憶えていた。 「あの時はどうも、——いけないことでございました」  内儀さんが言うと、 「何にしても、まあ、ご丈夫で結構でございます。前のお部屋で宜《よろ》しいでしょうか。あいにくほかの部屋がふさがっておりますので」  主人は言った。 「結構です」  架山は苦しい思い出のいっぱい詰まっている部屋に案内されたが、別段そこを避けたい気持は持っていなかった。  宿の主人夫婦は、それ以外、七年前の事件についてはいっさい触れなかった。そういうところは、さっぱりしていてよかった。女中も替っていたので、じめじめした気持は起さないですんだ。  宿の部屋に荷物を投げ込んでおいて、すぐくるまで南浜に向かった。佐和山という貸ボート屋の主人を訪ねるためである。この方には手土産を持って来ていた。くるまは何回か往復したことのある道を走った。トラックの多い街道から折れて、広い湖畔の田野の中にはいって行く。やがて川の堤に出る。運転手の言葉で姉川であることを知った。五、六月頃は四ツ手網で鮎《あゆ》の稚魚を取る漁船で賑《にぎ》わうということであった。七年前の五月、そうした姉川の堤にくるまを走らせたのかも知れないが、もちろんそんなことに眼を留めるゆとりはなかった筈《はず》である。  南浜には若い半裸体の男女が溢《あふ》れており、湖にはたくさんのボートが浮かんでいた。貸ボート屋の小屋掛けも幾つかあり、小屋の羽目板に貸ボート屋の苗字《みようじ》がペンキで大きく書かれてあった。�佐和山�というのは見付からなかった。  架山は貸ボート屋の一つで、佐和山のことを訊いてみた。 「佐和山? そんなボート屋があったかな。聞いたことはない」  若い男が答えた。 「七年前にここで貸ボートをやっていたんですが」 「七年? 七年も昔のことは知らんが、ここ二、三年はそんなボート屋は店を張っていませんよ」  架山はそこを離れて、直接佐和山の家を訪ねてみることにした。一度行ったことがあるだけで、うろ憶《おぼ》えだったが、やがてそれらしい家の前に出た。土間へはいろうとした時、家の横手から目差す佐和山が西瓜《すいか》を抱えて、のっそり姿を現わした。 「佐和山さん、架山です」  そう言ってから、追いかけて、 「七年前にボートの顛覆事件でお世話になった架山です」  と説明した。すると、 「ああ、あの時の——」  それから、 「これは、これは、ようこそ」  佐和山は土間にはいって行って西瓜を置いて来ると、 「どないしていらっしゃるかと思っていましたが、よう訪ねて下されましたな」  と言った。事件当時感じた不愛想さは今はなかった。佐和山も白髪が多くなっているのが目立った。 「いま浜の方へ行ったんですが、——貸ボートはもうやっていないんですか」  架山が訊くと、 「あの翌年にもう一つ、私のとこのボートがひっくり返って二人死にました。それですっかり嫌気がさして、やめにしました。今は民宿をやってますが、この方が気がらくです」  佐和山は言った。 「その節はいろいろお世話になりました」 「何をおっしゃいます。そう言われると辛《つら》いですわ。どうも、あんなことになりまして——。遺体も、ねえ、どこぞ匿《かく》れちまったのか。出ん筈はないですが、それが出んですな」 「もう諦《あきら》めていますよ。七年経ちましたから」  架山が言うと、 「同じようなことを言ってくれますなあ、大三浦さんもこの間、そんなことを言っていました。いや、どうも、いかんことでした」  架山は久しぶりで大三浦という名を耳にしたと思った。 「お会いですか、あの人に」 「大三浦さんですか。会うも、会わぬもありません。いまも、あんた、来ていなさりますが。——ここの離れの方に泊っています。よう来なさります。来なさる度に二日か三日は泊って行かれます。すっかり観音さんに凝ってしまって、そりゃ、たいへんですが」 「ほう、観音さん!?」 「そうです。このへんの観音さんのお堂を次々に回っていなさります。しかし、見せて貰《もら》えることもあるし、見せて貰えないこともあるようです」 「見せて貰えないと言いますと」 「見せてくれんらしいです。わしは不信心で、そのへんのことはかいもく判らんですが、見せてくれ、よっしゃ、というようなものではないらしいです。きょうも、その交渉に行ってなさるんですが、こんどのは脈があるとかで、どうやら、あすは拝めるらしいということでした」 「観音さんの像なんですか」 「そうです」 「ただ拝むんですか」 「そうらしいですわ。あの人も、工場を持っていて、たいへん忙しいようですが、時間を作ってはよう来なさります。——お会いになりませんか」 「そうですねえ」 「悦《よろこ》ぶと思いますよ。仏さんを見て歩いていますが、あの人自体が仏さんみたいな人ですわ。これっぽちも邪心がありません。あれでよく工場なんて持っていられると思いますよ。工場を持っている以上、儲《もう》けることも考えるんでしょうが」  佐和山は言った。  佐和山は大三浦に会うように勧めてくれたが、架山ははっきりした返事をしないで、佐和山の家を辞した。佐和山の言うように、大三浦という人物は素朴な善人であるに違いなかった。しかし、格別会いたいという気持はなかった。不思議な縁で、向うは息子を、こちらは娘を、同じ時に同じボートで失っていた。そしておそらく生涯で最も苦しい何日かをお互いに湖畔で過ごし、そして警察署で顔を合わせたり、旅館で顔を合わせたりした。  しかし、架山としては、七年後の今でも、大三浦に対しても、大三浦の息子に対しても、必ずしも釈然としてはいなかった。みはるにとっては、若者は好ましからざる運命であったし、大三浦はその好ましからざる運命の父親であった。  が、すべては七年前の事件であり、今となっては、何もそう気難しく考えるには当らないだろうという考え方もできた。しかも、二つの遺体はあがっていないのであり、架山も、大三浦も、その点では全く同じ立場に立っていた。この七年間、架山が苦しんだように、大三浦は大三浦で苦しんだに違いなかった。観音像を祀《まつ》ってあるお堂を次々に経回《へめぐ》っているというのも、そうした苦しみの果てに行き着いた心境であるに違いないと思われた。おそらく大三浦は観音信仰というものによって、自分の生きる道を発見し、息子の死という事件に対して彼なりの解釈を持つことができたのであろう。  しかし、架山は、この七年間の苦しみと悲しみの履歴を、お互いが見せ合う必要はないと思う。見せ合っても、何も得ることはないのである。お互いにたいへんでしたね、あなたの気持はよく判る、私の気持もあなたには一番よく判るでしょう。二人が顔を合わせたら、そんな会話を交すぐらいのことが関の山である。そんなことを何百遍言い合っても、大切な息子も、娘も戻りはしないのだ。お互いは、お互いに、それぞれの行き方で、勝手に苦しみ、勝手に悲しみ、事件を処理するのがいいのである。そういうことが、容易ならぬあの事件の意味というものである。  架山は、自分が大三浦に対して言う言葉は一つしかないという気持だった。  ——確《しつか》りおやりなさい。あなたは遠い星の一つに生きているもう一人のあなたに対して、責任を持たなければならない。一生苦しむのもいいし、その苦しみを超えるのもいいでしょう。あなたはあなたの方法でやることだ。  おそらくあの事件はそういう意味を持ったものである。神が二人に課した共通の問題なんてものは、どこにもないのである。二人にとって、あれは全く別々の問題なのだ、架山はそういう気持だった。  その夜、架山は宿に大三浦の訪問を受けた。まさか大三浦がわざわざ宿まで訪ねて来ようとは思っていなかったので、女中の口から大三浦という名が出た時、 「ちょっと待ってくれ」  と、架山は言った。部屋に招じ入れるか、入れないか、すぐには気持が決まらなかった。が、考えるまでもなく、わざわざ訪ねて来た以上、部屋に通さないわけにはいかなかった。  部屋にはいってきた大三浦を見た時、架山は別人ではないかと思った。もともと頑健な体格ではなかったが、何となく体がひと回り小さくなっているように見えた。すっかり老けこんで、どう見ても老人の感じであった。 「暫《しばら》くでございました。一度お訪ねしなければならぬと思いながら、貧乏暇なしで。ついつい失礼のまま日を送ってしまいました。あなたさまには益々《ますます》御健勝で——」  大三浦はこの前と同じように鄭重《ていちよう》に挨拶《あいさつ》した。 「いや、失礼はお互いさまです。少しお痩《や》せになりましたな」  架山が言うと、大三浦は手で頬を撫《な》でるようにして、 「よく人からもそう言われます。甚だ人間ができておりませんで、相変らずくよくよしておりますので、いっこうに肥《ふと》れないのでございましょう。余り人から痩せた、痩せたと言われますし、家内も心配いたしますので、この春も大学病院で人間ドックと申しますものにはいってみましたが、どこも悪いところはないらしゅうございます。はい、別段異常はないようでございます」 「それは結構でした。やはり、あの時のお疲れが癒《なお》らないのでしょう」 「いや、どうも、お互いに七年前はたいへんでございました。私などとは違いまして、ご立派なお嬢さんをお亡くしになりまして——」 「そりゃ、同じことですよ。あなたはあなたでひとり息子さんをお亡くしになったんですから」 「それにいたしましても、この度はよくお出掛け下さいました」 「あれから初めてです」 「初めて? 初めてと申しますと、ここにいらっしゃいましたのが初めてでございますか」 「そうです」 「左様でございますか。それは、それは——。左様でございましょうとも、よほど心を強くいたしませんと、なかなか来られるものではございません。私も同じでございます。しかし、来てしまいますと、やはり来てやってよかったという思いがいたします。ちょっと、失礼いたします」  大三浦はゆっくりとハンカチを出して、眼に当て、 「あれ以来初めてでございます」  と言った。涙を出したのが事件以来初めてであるということらしかった。  架山は大三浦が眼にハンカチを当てている間黙っていた。大三浦は丁寧に眼を拭《ふ》き、ハンカチを洋服のポケットにしまったが、そのまま暫く顔を仰向《あおむ》けていた。そして、またハンカチを取り出して、仰向けている顔のところに持って行き、やがて顔をもとに戻してから、 「失礼いたしました」  と、改めて言った。 「愚かな者ほど可愛いと申しますが、まことにそのようでございます。写真も一枚だけ残して、ほかはみな友人に配りました。書物とか、手回り品とかは、みな眼につかぬところに片付けました。それでもまだ毎日のように息子のことがちらちらして参ります。七年経ちましてもちらちらするのでございますから、これはもう一生のことでございましょう。他人《ひと》さまに涙を見せることは金輪際ございませんが、家ではどうもいけません。ふいに思い出すと、気持がきゅうと切なくなりまして、家内から意気地がない、あなたのような男はないと罵《ののし》られますが、いくら罵られようと、憤られようと、これだけはどうすることもできません」 「そういうんでは、たいへんですね。僕の方は、そこへ行くと、まだ始末がいい。そりゃ、思い出せば辛《つら》いですよ。ですから、なるべく思い出さないようにします。この長浜という町に来なかったのも、そうした気持からです。でも、こんどはやって来ました。いくら辛くても、一方にやはり来たい気持はありますからね」 「左様でございましょうとも。よく来て下さいました」 「あなたは度々いらっしているようですね」 「私の方は、ここへ来ている時が一番心が休まります。湖を見ておりますと、何と言いますか、安心していられるんでございます」 「ほう」 「家内の方は、あなたさまと同じで琵琶湖を見るのが辛いらしく、いくら誘っても、どうしても来る気にはなれないようでございます。その気持もよく判りますから、この頃ではいっさい誘いの言葉はかけないことにしています。私だけが、じゃ行って来るよと申しまして、ひとりで出掛けて参ります。よくしたもので、この頃は、ここにやって来ますと、波立っている時も、静かな時も、私には湖の面が、ああ、よく来てくれたと悦《よろこ》んでいるように見えます。ですから、ここに居ります限り、辛いことはございません。悲しいこともございません。——よく来て下さいました。あなたさまもこんどそうお感じになると思います。台風の目にはいると静かだと申しますが、きっとそれと同じことでございましょう。子供を湖で失った者は、湖を見ているに限るように思われます。ふしぎに気持がらくになります」  架山は黙って聞いていた。大三浦はおそらく息子と対話をするために、ここに来るのであろうと思った。自分でそのことに気付かないだけの話である。 「佐和山さんから伺いましたが、観音さまを信仰なさっていらっしゃるそうですね」  架山が言うと、 「いや、いっこうに不信心でして、信仰といったようなものではございません。それに観音さまにお頼みするようなこともございません。息子でも生きておりますれば、息子のことをお頼みするということもありましょうが、息子はあんなことになってしまいました。私自身は、もう何の慾《よく》もございません。人間は寿命だと思っておりますので、与えられた寿命だけを生きるつもりでございます。早く死んでも寿命、長く生きても寿命。仕事も、今のままで結構でございます。私と何人かの従業員が食べて行かれれば、それで結構でございます。会社が大きくなればそれに越したことはないでしょうが、そうなればそうなったで、苦労もふえましょう。それよりも、今のままが宜《よろ》しゅうございます。こういう気持になっておりますと、観音さまにお縋《すが》りすることもありません。お願いしたくても、お願いすることがございません。何もお願いしたり、お縋りしたりしないんですから、どうも、これは信仰とは申せません」  大三浦は言った。 「心の安心ですか」 「いや、心の安心を求めましたら、それはきっと結構なことでありましょうが、特にそういう気持もございません。困ったことでございます。悟るとか、安心の境地を目差すとか、そういうことは、甚だ不得手でございます。これも今のままで結構でございます。一生めそめそして、いつまでも息子の死にこだわって生きて行くことでございましょうが、持って生れた性格で、これも致し方ないと考えております。悟って、息子の死を悲しまないようになりましたら、それこそ息子が可哀そうでございます」  大三浦は言った。架山は黙っていた。言葉をさし挟むより、さし挟まないでおいた方が安全だと思った。すると、大三浦は両手を膝《ひざ》の上に置いて、項垂《うなだ》れるように頭を下げた恰好《かつこう》で、 「すっくりとお立ちになっている十一面観音さまというものは、それはそれは美しく、何とも言えず優しいものでございます。十一面観音をごらんになったことが、おありでございましょうか」 「十一面観音?」 「はい。十一の仏面をお持ちになった観音さまでございます。十の仏面を頭にお載せになって、本当のお顔と合わせて、十一面になるのもありますし、頭に十一の仏面をお載せになってしまっているのもあります。そうした観音さまが、この湖畔にたくさんございます」 「ほう」 「有名なものも一体か、二体ございますが、その多くが余り世間には知られておりません」  大三浦は言った。 「十一面観音ですか。奈良のどこかのお寺で見た記憶はありますが、どうも、——」  架山は言った。どこの寺のどういう十一面観音か、口に出して言うだけの記憶もなかったし、知識も持っていなかった。 「奈良には有名な十一面観音さまがたくさんございます。法華寺《ほつけじ》とか聖林寺《しようりんじ》とか、そういうお寺のものは有名でございます。が、私の見て回っておりますのは、そういうものではございません。余り知られておりませんし、その観音さまをお守《も》りしている集落の人以外、余り見た人もないようでございます。それと申しますのも、大抵秘仏になっておりまして、一般には見せておりません。一年に一回か二回、お厨子《ずし》の扉を開けるだけでございますので、これはなかなか見ることができません。拝みたくても拝めません。中には三年に一回というのもあれば、三十年に一回というのもございます。もう十何年も集落の人さえ拝んでいないのもございます」 「ほう」 「それを、拝ませて頂くのですから、なかなかたいへんでございます。でも、これまでに何体かの十一面観音を拝ませて頂いております。眼を瞑《つむ》りますと、どの観音さまのお顔も瞼《まぶた》に浮かんで参ります。手や足を失ったおいたわしい姿の観音さまもあれば、何とも言えず立派なお姿の観音さまもございます」 「どれも、湖畔のお寺にあるんですか」 「左様でございます。湖畔のお寺か、お堂にございます。無住のお堂が多うございます」 「大体、どのくらいの十一面観音が湖畔にあるんですか」 「見当がつきません。国宝が一体、国家の指定を受けているのが四十一体、それ以外のものとなりますと、さあ、どのくらいになりますか」 「その十一面観音というのだけをごらんになっているんですか」 「はい」 「ほかにもいろいろな仏像があるでしょう」 「それはございます。しかし、私の場合は、十一面さんだけを拝ませて頂いております。もちろん、ほかの仏さまの像もいっしょに拝みますが、こんどはこれと目差して参りますのは十一面さんでございます。十一面観音さまが好きでございます。好きと申しては観音さまに申し訳ないんですが、やはりこの観音さまだけが、私には特別なものでございます」 「特別というのは、どういうことなんでしょう。どういうところが、あなたにとって特別なんでしょう」 「さあ、何と申しましょうか、十一の仏面を戴《いただ》いて、すっくりとお立ちになったところが好きなんでございます。あなたさまもごらんになったら、きっとお好きになると存じます。どれも湖畔で、湖の方を向いて、お立ちになっていらっしゃいます」  大三浦は言った。 「十一面観音がそんなにたくさん琵琶湖の湖畔にあることは、以前からご存じだったんですか」 「いいえ」  大三浦はとんでもないというように大きく首を振って、 「全然存じませんでした。七年前、あなたさまと長浜の港でお別れいたしましてから、なお暫《しばら》く佐和山家に厄介になっておりましたが、その折り、近所のおばあさんが、近くの村にあるお堂に観音さまを拝みに行くが、いっしょに行かないかと言って誘ってくれました。私が半病人になっているのを見て、可哀そうに思って誘ってくれたのでございます。その時、初めてあのように十一もの仏面をつけた観音さまのあることを知りました。その時そのおばあさんが、何もくよくよせんでいい、この観音さまが四六時中こうして琵琶湖を見守っていて下さる。お任せしておけばいい、こう申したのでございます。そう言われて観音さまを見ますと、なるほど琵琶湖の方へお顔を向けて立っていらっしゃる。本当に湖に沈んだまま出て来ない二人を守っていらっしゃるように見えたのでございます。これが十一面観音さまへの病みつきでございます。その後この湖畔には、まだほかにもたくさんの十一面観音さまがあることを知り、それではその全部の観音さまに、ご挨拶《あいさつ》申しあげようという気になったのでございます」 「全部の観音さまへですか」 「左様でございます」 「なるほど、そうなると、度々出向いていらっしゃらなければなりませんね」 「一生の仕事でございます」 「一生!?」 「はい。貧乏暇なしで、なかなか時間がとれません。春に一回、秋に二回といったような来方をしておりますと、一生かかってしまいます。ただ今申しましたように、すぐ拝めるのもございますし、容易なことでは拝まして頂けないのもございます。七年間に、かぞえるほどでございます」 「何体ぐらい?」 「それでも二十体は拝んでおりましょうか。あすは、どうやら、一体拝むことができます。一昨年来の念願がかないます。あんまり度々足を運びましたので、相手も根負けして、それではということになったのでございます」 「ほう」 「もしお宜《よろ》しかったら、ごいっしょにいかがですか」 「構いませんか」 「いえ、いえ、ごいっしょに拝んで頂けるなら、それに越したことはございません」 「では、お供させて頂きましょう」  架山は言った。大三浦が血道をあげている湖畔の十一面観音像がどのようなものか、架山もまた見てみたいと思った。  大三浦が帰って行ったあと、架山は七年前に何夜か輾転《てんてん》反側した同じ部屋で、身を寝床に横たえた。みはると久しぶりで話をした。愛人との対話は明るかった。  ——とうとう長浜にやって来たよ。  ——いらっしゃい、ようこそ。いらしってみたら何でもないでしょう。お父さんたら、琵琶湖が嫌いでしたわね。おかしかったわ。琵琶湖ばかりでなく、湖と名のつくもの全部を敬遠していらっしゃるんですもの。  ——一度来てしまえば何でもないよ。これから何度でもやって来る。  ——本当かしら。でも、多分もう大丈夫ね。  ——あすは大三浦老のお供をして、十一面観音を拝みに行く。  ——それは大出来ね。よくそんな気になりましたわね。  ——何かよく判らないが、大三浦老に感心したんだ。大三浦老が一生かかって湖畔の十一面観音全部を拝もうとしているのに、こちらも、せめて一体ぐらい拝まないと義理が悪いからね。  ——大三浦さんって、お父さんと反対よ。十一面観音を拝みたいことも拝みたいでしょうが、それとは別に、そのために琵琶湖にやって来られることが嬉《うれ》しいのね。  ——なるほど、それは気が付かなかった。  ——そうよ。お父さんと違って、大三浦さんの方は、琵琶湖から離れられないんですもの。何か月も琵琶湖を見ないと心の落着きを失ってしまうんです。でも、何の目的も持たずにはそう度々琵琶湖には来られないでしょう、黙って湖ばかり見ているわけにもいかないし。いい年齢《とし》して恰好《かつこう》がつかないじゃありませんか。  ——それはそうだな。  ——だから、一生がかりで湖畔の観音さま全部を拝もうという悲願を起したんです。一挙両得よ。観音さまは拝めるし、琵琶湖畔では眠れるし。  ——同じように子供を失っているのに、事件に対する対《むか》い方というものは全く正反対だな。お父さんと大三浦老とでは、どっちが本当かな。  ——さあ。どちらも本当でしょう。お二人とも、ずいぶん苦しんだけど、今はそれぞれに七年前の心の疼《うず》きはなくなっているんですから。  ——そうでもないさ。  ——いいえ、皮肉を言っているんじゃないんです。実際にそうじゃありませんか。それぞれが、それぞれの方法で苦しんで、やっとそこを卒業したんです。  ——そろそろ寝《やす》もうか。少し眠くなって来た。  ——一度、あすでも京都のお母さんに電話してあげて下さい。七年ぶりに琵琶湖に来たんですから、一度くらい電話かけてあげてもいいでしょう。では、お休みなさい。  架山はすぐ眠った。大三浦ではないが、ふしぎに静かな、心足りた湖畔の宿の眠りだった。  翌朝眼覚めると、架山は寝衣のままで、廊下の籐《とう》椅子に腰かけ、煙草をくわえて、みはると話した。  ——おはよう。ゆうべはよく眠れたよ。  ——でしょう。だから、もっと早く湖畔にいらっしゃればよかったのに。  ——君は十七歳の筈《はず》だが、すっかり大人っぽくなったな。  ——わたしだって、七年経てば七つ年齢をとります。  ——そうかな。十七歳で停まっている筈ではなかったのか。  ——いいえ、今ではお父さんの愛人みたいなものですもの。  ——大三浦老の息子さんの方はどうなんだ。  ——あの人はあのまま。わたしの方はお父さんの愛人ですけど、あの人は依然として大三浦さんの息子さん。少し頭が悪くて、軽率で、意志薄弱で、でも、可愛くて、可愛くてたまらない息子さん。ですから年齢をとりたくても、とりようがありません。  ——愛人か。確かに君は僕の愛人だな。  ——愛人的存在です。お父さんも、お母さんと喧嘩《けんか》していらっしゃる時は、時々浮気をなさったでしょう。でも、わたしを愛人にしてからは浮気なさらなくなったわ。  ——娘を愛人にしたら、もうだめだ。ほかの女を愛人にできなくなる。  ——わたしを運命というものの落し子みたいにお考えになっていらっしゃるでしょう。運命というようなものを持ち出してしまったら、もう恋愛も、浮気もできませんわ。お気の毒ね。  ——おふくろのような言い方をするな。  ——京都のお母さんに代って言ってあげているところもあります。お母さんの娘ですもの。お父さんはわたしを自分の味方とばかり思ってはだめよ。時にはお母さんの味方もします。  ——運命と言えば、大三浦老はどうなんだろう。  ——あの人は口では、何事も運命ですなんて言い方をしますけど、心の中では、これっぽちもそんな考え方はしていないと思います。息子は自分の意志で亡くなったと信じています。信じていると言っていけないんなら、信じようとしています。そういう人よ、大三浦さんという人は。  ——そうかな。  ——ですから、諦《あきら》めるということはないんです。悲しみはいつまで経っても消えないんです。  ——お父さんが簡単に諦めでもしたような言い方をするじゃないか。  ——いいえ、そんなことは考えてはいません。僻《ひが》むものではありません。大三浦さんは悲しみの中で生きています。一生そうだと思います。でも、今はもう悲しみに慣れてしまって、お父さんと同じように、湖畔に来ると、鼾《いびき》をかいて、よく眠ります。  架山は朝の食事をすますと、くるまを頼んで、南浜の佐和山家に向かった。母家の縁側に腰かけて、佐和山と大三浦はお茶を飲んでいた。  架山を見ると、大三浦はすぐ立ちあがって来て、 「さきほどお宿の方に電話いたしましたが、お出掛けになったあとでございました。まことに申し訳ありませんが、朝になって先方の石道寺《しやくどうじ》の方から連絡がありまして、午後一時に来てくれということでございます。約束は午前十時になっておりましたが、何かの都合で午後一時になったのでございます。まことにどうも至らぬことでございます。お早くお出掛け頂きまして、相すまぬ次第でございます」  と言った。大三浦は本当にすまなそうな顔をしている。 「構いませんよ。それまで湖畔でもドライブしておりましょう。折角湖を見に来たんですから」  架山が言うと、 「それで、私考えたのでございますが、この近くに有名な渡岸寺《どうがんじ》の十一面観音さまがいらっしゃいますので、その方を見て頂いて、それから石道寺の方へ回ったらいかがかと存じます。渡岸寺の十一面は国宝にもなっており、立派なものでございます。湖畔ではただ一体の国宝の観音さまでございます。この方はいつでも拝むことができます。これを見て頂いて、その上で石道寺の方へ回ったら、丁度時刻も宜《よろ》しいかと存じます」  大三浦は言った。 「では、その有名な十一面観音さまというのを、先に見せて頂きましょう」  すると、佐和山が横から口をさし挟んで、 「それが宜しいでしょう。渡岸寺の観音さんなら私でも知っております。あれは立派です。見るからに、拝んだらご利益《りやく》がありそうに思われます」  と言った。佐和山の細君がお茶を運んで来た。架山も縁側に腰かけて、お茶をごちそうになった。 「きょうは暑くなりますよ。浜はまた一日、若い者でごった返しましょう」  佐和山が言うと、 「渡岸寺の十一面観音さまを拝みますと、さあっと暑さが引いてしまいます。ふしぎなものでございます。一昨日はひどく暑うございましたが、観音さまの前に居ります間は全く暑さを忘れておりました」  大三浦は言った。大三浦は一昨日もその有名な十一面観音を拝んでいるらしかった。  お茶をごちそうになると、架山と大三浦は、架山が待たせておいたくるまに乗った。 「渡岸寺というのは字《あざ》の名前でして、渡岸寺という寺があるわけではございません。昔、渡岸寺という大きな寺がありましたが、それが浅井氏と織田氏の合戦の時焼けまして、寺はなくなりましたが、その寺の名前が字の名前になったらしゅうございます。寺が焼けたあと、そこに小さいお堂が建ちまして、それから大正の終りまで四百年ほど、観音さまはその小さいお堂にはいっていらっしゃいました。現在は少し離れたところにある向源寺《こうげんじ》という寺の管理下にはいっておりまして、渡岸寺の観音さんと言わないで、向源寺の観音さんと言う人もございます。この観音さまを信仰する人たちが何とか言う会を作っておりまして、実際にはその会の人たちがお守《も》りしております。今日も誰かが庫裡《くり》の方に詰めておりましょう。昔の戦火で焼けた渡岸寺というのはよほど大きい寺だったと思います。七堂|伽藍《がらん》が聳《そび》えていたと申しますから、十一面観音のほかに、たくさんの仏像もあったことでございましょうが、惜しいことに合戦でみな焼けました。その観音さまだけ村の人たちが火の中から救い出したらしゅうございます。救い出すことは救い出しましたが、それを安置しておくお堂がない。それで暫《しばら》く土の中に埋めておいたと伝えられております」 「たいへんですね、観音さまも」 「このほかに、やはり近くに唐川《からかわ》の観音さまというのがございますが、この方は賤《しず》ケ岳《たけ》の合戦の時、水の中に匿《かく》されて、難を避けたと伝えられております。水の中にはいったり、土の中にはいったり、——このへんの観音さまは、それぞれにいろいろな過去を持っていらっしゃいます。いずれにしましても、信心深い村の人たちに守られて、今日に伝えられております」 「いつ頃のものですか」 「渡岸寺の観音さまは平安朝時代の作でございます。ものの本にそう記してございます」  その渡岸寺の観音さまに向かって、くるまは湖畔の原野の中の道を走っていた。いったん敦賀に通じている国道に出て、それから湖とは反対側の小さい丘陵がちらばっている地帯へと向かった。夏の強い陽射しを受けて、丘を埋めている緑は萌《も》え立っている。  暫くくるまは田圃《たんぼ》の中の曲りくねった細い道を走って、小さい森の中のお堂の山門の前に着いた。 「ここでございます。向うに見えておりますのが観音堂でございます」  そう言いながら、大三浦は山門の前に立って、正面遠くに見えているお堂を指して言った。 「なかなかちゃんとしたお堂ではないですか」  架山が言うと、 「はい、これは信者たちが大正十四年に建てたもので、お金が集らずそのため三十年もかかったそうでございます。それまでの古いお堂は茅葺《かやぶ》きの小さなもので、浅井氏が亡んだ合戦以来ずっと大正の終りまで、観音さまはそこにお住まいだったのでございます。竹藪《たけやぶ》に包まれたよほど小さいお堂だったらしゅうございます。その頃に較べますと、いまは見違えるほど立派なお住まいになっております」  その本堂に向かって、二人は歩いて行った。境内は鬱蒼《うつそう》と木立が茂っていて、桜や欅《けやき》など大木が大きく枝を拡げている。左手には小さい池があり、池畔の木蔭《こかげ》で子供たちが遊んでいる。 「ここは桜の頃が宜しゅうございます。一度、花見時に参ったことがございます。——ちょっとお待ち下さいまし」  大三浦は右手の観音堂の事務所の方へ行ったが、程なく戻って来ると、 「どうぞ」  と言って、自分から靴を脱いで本堂にあがって行った。架山もそれに続いた。すると、本堂の扉が内側から開かれ、シャツとズボン姿の六十年配の人物が顔を現わした。 「また拝みに来て下されましたか、信心深いことですな。よう来て下さいました」  その口調は心から大三浦が来たことを悦《よろこ》んでいる風であった。見るからに観音さまをお守りしているといった素朴な人物である。  堂内はがらんとしていた。外陣は三十五、六畳の広さで、畳が敷かれ、内陣の方も同じぐらいの広さで、この方はもちろん板敷である。その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇《しゆみだん》が据えられ、その上に三体の仏像が置かれてある。中央正面が十一面観音、その両側に大日如来と阿弥陀《あみだ》如来の坐像《ざぞう》。二つの大きな如来像の間にすっくりと細身の十一面観音が立っている感じである。体躯《たいく》のがっちりした如来坐像の頭はいずれも十一面観音の腰のあたりで、そのために観音さまはひどく長身に見える。  架山は初め黒檀《こくたん》か何かで作られた観音さまではないかと思った。肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そしてまた、仏像というより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように見えた。もちろんこうしたことは、最初眼を当てた時の印象である。仏像といった抹香臭い感じはみじんもなく、新しい感覚で処理された近代彫刻がそこに置かれてあるような奇妙な思いに打たれたのである。  架山はこれまでに奈良の寺で、幾つかの観音さまなるものの像にお目にかかっているが、それらから受けるものと、いま眼の前に立っている長身の十一面観音から受けるものとは、どこか違っていると思った。一体、どこが違っているのか、すぐには判らなかったが、やがて、 「宝冠ですな、これは。——みごとな宝冠ですな」  思わず、そんな言葉が、架山の口から飛び出した。丈高い十一個の仏面を頭に戴《いただ》いているところは、まさに宝冠でも戴いているように見える。いずれの仏面も高々と植えつけられてあり、大きな冠りを形成している。架山が口にした宝冠という言葉の意味が判らなかったらしく、 「何でございますって?」  大三浦は訊《き》き返してきた。 「頭の上の十一の仏面が、王冠のように見えますね。外国の天子のかむる王冠に似ていませんか。宝石をちりばめた天子の冠り」 「ああ、王冠ですか、なるほど」  大三浦は言ったが、すぐには反応を示して来なかった。  架山は、しかし、自分の印象を改める気にはならなかった。十一の仏面で飾られた王冠という以外、言いようがないではないかと思った。しかも、とびきり上等な、超一級の王冠である。ヨーロッパの各地の博物館で、金のすかし彫りの王冠や、あらゆる宝石で眩《まば》ゆく飾られた宝冠を見ているが、それらは到底いま眼の前に現われている十一面観音の冠りには及ばないと思う。衆生《しゆじよう》のあらゆる苦難を救う超自然の力を持つ十一の仏の面《マスク》で飾られているのである。すると、 「左様、お冠りと申しますなら、なるほどこれはお冠りでございます。観音さまだけがおかむりになる何とも言えずご立派なお冠りでございます。観音さまのお兜《かぶと》でございます。いかなる敵の刃《やいば》も歯が立たない観音さまのお兜でございます」  大三浦は大三浦で、自分の考えを述べた。なるほど兜と言ってもよかろうと、架山は思った。いずれにせよ、この多数の仏面で飾られた冠りが、この十一面観音を特殊なものに見せているのである。  大きな王冠を支えるにはよほど顔も、首も、胴も、足も確《しつか》りしていなければならぬが、胴のくびれなどひと握りしかないと思われる細身でありながら、ぴくりともしていないのはみごとである。しかも、腰をかすかに捻《ひね》り、左足は軽く前に踏み出そうとでもしているかのようで、余裕|綽々《しやくしやく》たるものがある。  大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽《さつそう》たるものがあって、凜《りん》として辺りを払っている感じである。金|箔《ぱく》はすっかり剥《は》げ落ちて、ところどころその名残りを見せているだけで、殆《ほとん》ど地の漆が黒色を呈している。 「実に、お顔も、お姿も颯爽としていらっしゃる。なるほど有名なだけあって立派な十一面観音ですね。実に威にみちたいいお顔をしていらっしゃる。古代エジプトの王妃さまみたいですよ」  この架山の言葉をどうとったのか、 「いいお顔、いいお姿でございます。それもその筈《はず》、十一面観音さまは、頭上に戴いた仏さまたちとごいっしょに、それぞれ手分けして、衆生の悩みや苦しみをお救いになろうとしているお姿でございます。十一の観音さまのお力を一身に具現しているお姿でございます。——観音さまはご承知のように如来さまにおなりになろうとして、まだおなりになれない修行中のお方でございます。菩薩《ぼさつ》さまでございます。衆生の悩みや苦しみをお救いになることをご自分に課し、そうすることによって、悟りをお開きになろうとしていらっしゃる方でございます。衆生をお救いになることが修行の眼目と申しましょうか、とにかくひたすら衆生の苦しみをお救いになろう、お救いになろうとすることによって、ご自分をお造りになろうとしていらっしゃいます。有難いことでございます」  架山も観音についてこの程度のことは知っていたが、噛《か》んでふくめるような言い方で大三浦に説明されると、また格別なものがあった。確かに衆生を救わずにはおかぬといった必死なもの、凜乎《りんこ》としたものが、その顔にも、姿にも感じられ、それが観る者に颯爽とした印象を与えるのであろう。  いずれにせよ、観音というものがそういうものである以上、観音信仰というものは成立する筈であった。片方はこの世の苦しみや悩みから必死になって脱《ぬ》け出して生きようとしている人間であり、片方はその衆生の苦しみや悩みを救うことを己れに課し、それによって悟りを開こうとしている菩薩である。そうした信仰によって、この像もまた今日に伝えられて来たものであろう。架山は改めて十一面観音に眼を当てた。 「お丈のほどは六尺五寸」  大三浦が言った。多少寺院などで説明する案内人の口調に似ている。 「一木《いちぼく》彫りの観音さまでございます。火をくぐったり、土の中に埋められたりした容易ならぬ過去をお持ちでございますが、到底そのようにはお見受けできません。ただお美しく、立派で、おごそかでございます」  確かに秀麗であり、卓抜であり、森厳であった。腰を僅《わず》かに捻っているところ、胸部の肉付きのゆたかなところなどは官能的でさえあるが、仏さまのことであるから性はないのであろう。左手は宝瓶《ほうびよう》を持ち、右手は自然に下に垂れて、掌《てのひら》をこちらに開いている。指と指とが少しずつ間隔を見せているのも美しい。その垂れている右手はひどく長いが、少しも不自然には見えない。両腕それぞれに天衣《てんい》が軽やかにかかっている。  なるほど、大三浦が言ったように、この十一面観音像の前に立っていると、暑さは忘れるだろうと、架山は思った。  渡岸寺の十一面観音を拝んだあと、架山と大三浦は再びくるまに乗った。 「こんど参りますところは石道《いしみち》という字《あざ》にある石道寺《しやくどうじ》という寺でございます。寺と申しましても、その付近の農家の人々がお守《も》りしておりますお堂でございます。もちろん無住のお堂でございます。そこに十一面観音さまがお住まいになっていらっしゃいます」 「有名な観音さまですか」 「有名とは申せないと思います。石道《いしみち》の観音さん、石道の観音さんと言って、近くの村の人たちの間では誰知らぬ者はありませんが、しかし、そういう観音さまは、この地方にはたくさんございます。みんな集落の人がお守りしております。——この石道の観音さまには、私も苦労いたしました。何回も、そのお堂の鍵《かぎ》を預かっている農家に足を運びましたが、鍵がなくなったとか、鍵を預かっている者がいまは居ないとか、いろいろなことを言われまして、どうしても見せて貰《もら》えませんでした。一度は、よし、それではというところまで漕《こ》ぎ付けたのでございますが、やはりだめでございました。仲間うちで相談の集りを開くから、あす来なさいということで、大|悦《よろこ》びで出掛けましたが、その相談の集りで否決になっておりました」 「たいへんですね」 「それが、こんどは仲に立つ人がありまして、どうにかきょう拝ませて頂く段取りになりました」 「私などが行って、折角見せて頂けるようになったことが、壊れることはありませんか」 「大丈夫でございます」 「危いですね、どうも」 「いや、みんないい人たちです。真剣に十一面観音さまをお守りしているくらいですから、素朴で、信心深い、心のきれいな人たちばかりでございます。いざ見せるということになりましたら、いっしょに誰が参りましょうと、そんなことで文句をつけるような吝《けち》くさい了見は持っていないと思います」 「そうですか。それでは見せて頂きましょう。きのうこちらに来て、きょうその石道の観音さまを拝めるというのは、たいへんな運ですね」 「いや、ご縁でございます。そういうご縁を石道の観音さまに対してお持ちになっていらっしゃるのでございます。そこへ行きますと、私などはてんでなっておりません。何回も足を運んで、やっとのことでお許しがでたのでございます。観音さまが、それでは会ってやろうと、漸《ようや》くにしてそういうお気持になったのでございましょう」  くるまは湖畔平野の山際の道を走って行く。緑で覆われた丘陵と丘陵との間を分けいって、小さい集落を一つ二つ過ぎる。藁《わら》屋根の農家が多い。 「観音さんも、こんな日に、扉をあけて風を入れてやれば悦びますよ。間違いなくご利益がありますよ」  運転手は言った。午刻《ひる》近い陽が夏草の生い茂っている山野に照りつけている。  小さい集落で、くるまは停まった。道の両側に丘が迫っており、狭い地域に十数軒の家が固まっている。集落が大きいのか、小さいのか、くるまを降りた地点では見当がつかなかった。道に沿って、えぐられたような深い川が流れており、その橋の両方の袂《たもと》は、それぞれ丘に向かって上りになっている。川を真中にして、ひどく不均整な狭い地域に集落が営まれている感じである。  くるまを降りたところに農家とも、商売屋ともつかぬ構えの家があり、大三浦はその中にはいって行ったが、やがて内儀《かみ》さんらしい中年の女の人といっしょに出て来た。大三浦と内儀さんは、そこからだらだら坂になっている道を上って行き、こんどは明らかに農家と思える構えの家にはいって行った。  架山は農家にははいらず、その家の前庭の一隅で待っていた。やがて大三浦が出て来た時は、そのあとに従う女は四人になっていた。四人のうち一人は娘だった。  坂の途中で、大三浦と四人の女たちは立ち停まって何か話していたが、農家の内儀さんらしい女が、そこを離れて、一人だけ小走りに坂を降りて行った。 「では、お堂の方に先に行っていますからね」  大三浦は女たちの方に言ってから、架山に、 「お待ちどおさまでございました。では参りましょう」  と言った。架山が女たちの方に黙って頭を下げると、 「お暑いことでございます。きょうはご苦労さまで」  女の一人が言った。他の一人は黙って笑顔で頭を下げた。  大三浦と架山は坂の降り口にある農家の横手の小道にはいった。そこを脱けると、丘陵の斜面に出た。 「大丈夫ですか」  架山が言うと、 「鍵を持っている老人が、さっき一度やって来たんだそうですが、またどこかへ行ってしまったということで、農家の内儀さんが今その老人を探しに行ってくれました。こんどはもう心配ありません。女の人たちも、久しぶりで観音さまを拝めるということで悦んでおります。朝からわくわくして、気持が落着かないというようなことを言っておりました」  それから、ちょっと足を停めて、 「そこにお堂が見えましょう。あそこでございます。あそこに十一面観音さまはお住まいでございます」  大三浦は言った。小さい丘の麓《ふもと》にそのお堂は見えていた。寺といった構えではなく、全くのお堂である。そのお堂が一つだけ、木立の中から姿を見せている。  その時気付いたのだが、そのお堂に向かって、だらだら坂を上って行く二人の頭上に、蝉の声が雨のように降っている。何年かぶりで聞く蝉しぐれである。  観音堂の横手で、架山と大三浦は十分ほど鍵を持って来るという老人を待っていた。さっきの三人の女の人たちもやって来、そのほかに夫婦と思われる中年の男女も加わっている。 「石道《いしみち》というのは字《あざ》の名で、同じ字を書きますが、寺の方は�いしみち寺�とは言わないで�しゃくどう寺�と言います」  大三浦が架山に説明すると、女たちは互いに顔を見合わせるようにして笑って、その通りだというように架山の方に頷《うなず》いてみせた。そういうところはいい感じであった。 「ああ、来ましたよ。何していただか」  一人が言うと、急に一座は沸き立った感じで、一人は老人の方へ何か連絡に行き、他の者は堂の前の方へ移動した。  やがて、無口な老人の手でお堂が開かれ、一同はその内部にはいった。お堂は粗末な造りで、使われてある材木は素地のままである。内部には天井いっぱいに厨子《ずし》が置かれてあり、その厨子の両側には大きな持国天《じこくてん》、多聞天《たもんてん》二体が控えている。ほかに隅の方に小さいお厨子もあれば、小さい不動像、小さい多聞天など、多少雑然とした感じで置かれてある。  老人が鍵を持って厨子の扉の前に進むと、もう一人の男が、開扉の手伝いに立って行った。二人が鍵の音を響かせている間、架山は大三浦と並んで、厨子からかなりの距離のところに坐《すわ》っていた。大三浦の方は開扉と同時に合掌するつもりらしく、既に両手を合わせて、厨子の方へ顔を向けている。  その時、気付いたのであるが、女の人たちはお堂の隅の方にひと固まりになって坐って、申し合わせたように、顔を厨子の方へ向けている。いかにも今開くか、今開くかと、息をつめて開扉の瞬間を待っているかのような面持ちである。鍵を操作している音が聞えるばかりで、扉はなかなか開かなかった。堂外には烈しい夏の光線が降っていたが、小さいお堂の中は薄暗く、ひんやりしていた。  やがて扉が開かれた。堂内に居る人たちの口から、聞えるか聞えないかぐらいに、経を誦《じゆ》す声が流れたが、すぐやんだ。中年の女の一人だけが、いつまでもそれを続けていた。大三浦は合掌したまま、いつまでも頭《こうべ》を垂れていた。 「どうぞ、近寄って拝んで下さって結構です」  老人の言葉で、架山は立ちあがった。その時、初めて架山の眼に厨子に収められてある三体の十一面観音の姿がはいって来た。中央の一体は大きく、その両側の二体は小さかった。中央の一体の顔に眼を当てたままで、 「きれいな観音さまですね」  架山は言った。思わず口から出た言葉だった。美人だと思った。観音さまと言うより、美人がひとり立っている。  架山は中央の十一面観音に眼を当てたまま、厨子の前に進んで行った。そこに立っているのは、古代エジプトの威ある美妃《びひ》でもなければ、頭に戴《いただ》いているのは王冠でも、宝冠でもなかった。何とも言えず素朴ないい感じの美しい観音さまだった。唇は赤く、半眼を閉じているところは、優しい伏眼としか見えなかった。腰を僅《わず》かに捻り、左手は折り曲げて宝瓶《ほうびよう》を持ち、右手は自然に垂れて、数珠《じゆず》を中指にかけ、軽く人差指を開いている。 「結構でございますな。結構な観音さまでございますな。念願かなって、尊いお姿を拝ませて頂きました。有難いことでございます」  大三浦は厨子の前まで来たと思うと、またそこに坐って、頭を下げた。十一面観音像の足下にひれ伏しているような恰好《かつこう》である。  三体のうち、向かって右手の小さい観音像は、中央の観音像の膝《ひざ》のあたり、左手のはそれよりやや大きいが、やはり中央の観音像の腹部ぐらいの背丈である。この二体はいずれも真黒になっている。まだ小さい方には顔の一部や体の一部に、ごく僅かに金色が残っているが、もう一体の方は全身に煤《すす》が厚く塗られている。  架山は、中央の大きい十一面観音について、自分なりの一つの見方をしていたが、それをいま口に出すのは遠慮しなければならなかった。  ——この十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現われていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚《ほ》れ惚《ぼ》れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。笑いをふくんでいるように見える口もとから、しもぶくれの頬のあたりへかけては、殊に美しい。ここでは頭に戴いている十一の仏面も、王冠といったいかめしいものではなく、まるで大きな花輪でも戴いているように見える。腕輪も、胸飾りも、ふんわりと纏《まと》っている天衣も、なんとよく映っていることか。それでいて、観音さまとしての尊厳さはいささかも失っていない。しかし、近寄り難い尊厳さではない。何でも相談にのって下さる大きくて優しい気持を持っていらっしゃる。恋愛の相談も、兄弟|喧嘩《げんか》の裁きも、嫁と姑《しゆうとめ》の争いの訴えも、村内のもめごとなら何でも引受けて下さりそうなものを、その顔にも、姿態にも示していらっしゃる。  架山は実際に�石道の観音さん�から、このような印象を受けたのである。渡岸寺の観音像からも大きい感動を受けたが、ここの観音像からも、それに劣らぬ鮮烈な印象を与えられていた。二つの観音像は全く対蹠《たいしよ》的であった。一つは衆生の苦しみを救わずにはおかぬ威に満ちたものであり、一つはどんな相談にものって下さる優しさに溢《あふ》れている。 「きれいで、優しくて、何とも言えずいい観音さまですね」  相変らずお堂の隅の方にひと固まりになって坐っている女の人たちのところへ行って、架山は言った。自分の今の気持を誰かに伝えたかったのである。すると、 「そうどすか。あんたさんにも、そう見えはりますか」  一人が言って、いかにも嬉《うれ》しそうに口もとを綻《ほころ》ばせた。と、殆《ほとん》ど同時に、そこにいた何人かの女たちの顔に笑いが浮かんだ。花でも綻びるような、そんな自然な笑いの浮かび方であった。架山が十一面観音を褒めたのに対して、いかにもわが意を得たといったそんな悦び方のように思われた。 「いいですね、この観音さまは」 「そうどすか」 「本当に優しい顔をしていらっしゃる」 「そう思わはりますか」 「だって、そういう顔をしているじゃないですか」 「そう言うてくれはれば、観音さんも満足してはりますわ」  それから、内儀《かみ》さんは、 「なあ?」  と、周囲の女たちに同意を求めるようにした。それに応じて、 「そうどすな。こういうのを優しいお顔と言うのどすやろ」  一人が言うと、 「なにしろ、お若《わこ》うおすわ、この観音さんは。——拝む度に若うならはってます。口もとを見なされ。若うのうては、あんな口もとでけしまへんが」  もう一人が言った。観音さまもいいが、この女の人たちもいいと、架山は思った。いかにもみなで、この十一面観音をお守《も》りしている感じである。観音さまを褒められれば、みながわがことのように悦《よろこ》んでいる。  架山はもう一度、その若いと言われる観音像の前に立った。堂内の光線は前の扉からのと、横手の扉からのもので、さして明るくもないが、暗くもない。ほどほどのやわらかい光線が、小さいお堂の内部に漂っている。厨子の内部は、当然そこだけ暗くなっているが、十一面観音像の面には、さいわい正面の扉からの光線が当っている。  観音像の姿は若いが、しかし、造られた年代は、重要文化財の指定を受けているくらいだから古いに違いない。像全体がもとの彩色を失って、古色に包まれており、その中で唇に残る微《かす》かな赤さが目立っている。或《ある》いはこの唇の紅《べに》は、長い歳月の間に、誰かが観音像に化粧してあげたのであろうか。気やすくそんなことをする気を起させ、また気やすくそんなことをお受けになりそうな観音さまである。  大三浦は扉が開かれた時から、ずっとひとりの思いにはいっているように見えた。一、二度、厨子の内部を覗《のぞ》き込むようにして、十一面観音を拝んだが、そのあとは、女の人たちが坐っているところとは反対側の隅に坐っていた。そして時々膝の上に置いてある手を前に持って行っては掌《てのひら》を合わせていた。  厨子の扉を開けた老人が、架山のところに近寄って来て、堂の由来について話してくれた。 「以前、石道寺はここから八丁ほど山手にありましたが、それが明治二十七年の大水害で流れました。そして観音堂だけがここに移されました。寺の方は廃寺になって今は跡形もありません。お厨子の中に重文の十一面観音さまのほかに、二体の観音さまが祀《まつ》られてありますが、この二体も古いものらしく、いずれも藤原時代の作だということを聞いております。三体の十一面観音さまがいまは同じお厨子《ずし》にはいっておりますが、初めからこういうことになっていたのではなく、観音堂がここに移って来る際、他のお寺から来たものもあると、そのようなことを言う人もあります。詳しいことは存じません。何しろ昔は、この近くの己高山《こだかみやま》という山を中心に、山中や山麓《さんろく》にたくさんの大きな寺があって、たいへんな勢力だったらしゅうございます。この三体も、初めはそのどれかのお寺に祀られていたものだろうと思います。仏さまにも、栄枯盛衰というものがあります」 「重文の観音さまは、いつの時代のものですか」  架山が訊《き》くと、 「平安時代の作です。像の高さ一七三センチの彩色像だというようなことが、役所の記録には書かれてあります」  それから、口調を少し変えて、大三浦の方に、 「どうかな、もう宜《よろ》しいか」  と、言った。 「いや、有難うございました。これで、私も念願かないました。どうぞお厨子を閉めて頂きましょう」  大三浦は立ちあがると、誰にともなく、少し声を大きくして、 「湖畔のほかの十一面観音さまと同じように、この観音さまも琵琶湖の方を向かれて、お立ちになっていらっしゃいます。有難うございます。有難うございます」  と言った。この�有難うございます�は、第三者に対して言っているのではなく、明らかに彼自身の十一面観音に対する感謝の心の表現にほかならなかった。  老人が厨子の扉の前に近寄って行くと、それを合図に女たちはそれぞれ合掌した。架山も、大三浦も並んで坐《すわ》って、同じようにした。内儀さんたちの経を唱える低い声が流れている時、扉は閉められた。美しい十一面観音像は姿を匿《かく》し、暫《しばら》く老人の操作する鍵《かぎ》の音が聞えていた。  堂から出ると、外はひどく明るかった。強い夏の陽光が小さいお堂を包んでいる。暫く、誰も口をきかなかった。口をきくのが妙にもの憂かった。  架山は大三浦が関係者の家に挨拶《あいさつ》に回っている間、道路わきのくるまのところで待っていた。さっきお堂でいっしょだった農家の内儀さんが、用足しにでも行くのか小走りにやって来て、架山の横を通り過ぎる時、 「ご苦労さまなことで、さきほどは有難うございました」  と、声をかけてくれた。 「いや、こちらこそ」  架山は言ったが、その時、その内儀さんの表情が、何となくさっきの十一面観音の顔に似ているように思った。観音像の方は美貌《びぼう》であり、内儀さんの方は美人とは言えなかったが、その表情にはどこかに似通っているものがあるように思われた。  架山はこれに似た経験を持っていた。何年か前にフランスのブルゴーニュ地方を旅行した時、知人に案内されて、その地方に散在しているロマネスク建築の幾つかの古い教会を見せて貰《もら》ったことがあった。その時の旅は、今も外国旅行の中での楽しい思い出の一つになっている。  そこで経回《へめぐ》った古い教会の多くは、現在も宗教寺院として生きた活動を続けていた。どこの寺院でも、祭壇に額《ぬか》づいている男女の姿が見られた。その寺院を中心として生活している農村の人たちであった。観光客の間を縫って、祭壇に近づいて行く農村の人たちの表情にも、足の運び方にも、妙にひっそりとした真摯《しんし》なものがあって、それがひどく印象的であった。  こうした寺院の幾つかを、寺院から寺院へと、三泊か四泊の旅で回ったのであるが、そこで興味深く思ったことは、建物のどこかに嵌《は》め込まれてある聖母マリアの彫像や、壁画のマリアの顔が、その地方の女たちのそれに似ていることであった。明らかにその地方独特の女の顔立ちの特徴を具《そな》えたマリアであった。  そういう点からいえば、太陽の匂いのする、妙にひなた臭い感じのマリアであり、田園の匂いのするマリアであった。素朴で、健康で、働き者の聖母マリアであった。  架山は、くるまの付近をぶらつきながら、何年か前の異国の旅のことを思い出していた。そしてその旅に於《おい》て自分を感動させたと同じものが、この湖畔の集落に於けるきょう一日の中にはあるのではないかと思った。�石道の観音さん�の制作者が誰であるか知るべくもないが、往古、一人の仏師はこの地方に発見した一人の美女をモデルにして、その素朴さ、美しさ、優しさを神格化して、あの観音像を刻んだのに違いない。大三浦がハンカチで首すじの汗を拭《ふ》きながら戻って来るまで、架山はそんな思いに捉《とら》われていた。  南浜の佐和山家に向かうくるまの中で、架山は大三浦に礼を言った。 「十一面観音というものを、見ると言えるような見方をしたのは、きょうが初めてでした。おかげさまで、たいへんいい勉強になりました。渡岸寺の観音さまも立派でしたし、石道寺の観音さまも、やはり別な意味で、素朴ないい観音さまだと思いました。有難うございました」 「それは、それは」  大三浦は恐縮して、 「結構なことでございました。おかげさまで私も、念願の石道寺の観音さまを拝むことができました。私の方こそお礼を申しあげなくては」  と言った。架山としては自分の方こそ礼を言わなければならないが、大三浦の方から感謝される筋合はないと思った。 「私の方は割り込んだだけでして、——」  架山が言いかけると、 「いや、あなたさまが同行して下さったので、拝むことができたと思います。初め鍵を持っている老人がどこかへ行って、それを探しに行きましたが、私ひとりでしたら、どうもあのままになったのではないかと思います。あなたさまもいらっしゃったので、それでは見せないわけにもいくまいということになったのでございましょう。それに違いありません。私はそう睨《にら》んでおります」  大三浦は言った。 「そんなことがあるでしょうか」 「いや、そうでございます。やはり人品というものが、ものを言います。私ではだめでございます。——それはともかくといたしまして、悦《よろこ》んで頂いて、こんな嬉《うれ》しいことはありません。——今日は息子たちにとっても、嬉しい日でございましょう。さぞ悦んでくれていると思います」  この大三浦の言葉で、架山は忘れていたものをふいに突き付けられた気持だった。息子たちという言い方も快くはなかった。息子たちという言葉が意味しているものは、紛れもなく息子とみはるのことであった。不幸だった二人の若い者たちのことであった。架山は口を噤《つぐ》んでいた。すると、大三浦は、 「渡岸寺の観音さまも、石道寺の観音さまもちゃんと琵琶湖の方を向いて、お立ちになっていらっしゃいます。湖畔のたくさんの十一面観音さまは、みなあのようにして立っていらっしゃいます。息子たちをお守りになっていらっしゃる。有難いことでございます。今日、そのことをお礼申しあげて、気持がすっきりいたしました。まだまだたくさんお礼申しあげたい十一面観音さまが残っております」  大三浦は言った。  大三浦の口から�息子たち�という言葉がとび出してから、架山は自分の気持がみるみるうちに素直さを失って行くことが判った。架山は自分が、七年前の事件に於て、まだ大三浦をも、大三浦の息子をも許していないことを、今更のように痛感せざるを得なかった。自分の息子も、他人の娘も、全く一つの枠に入れて同じように取り扱おうとする、そういう相手の鈍感さが、どうしても我慢ならなかった。  湖畔の十一面観音が、湖中に眠っている二人を守ってくれているのだという考え方は、少しも嫌ではなかった。そしてその十一面観音に対して、その一体、一体の前に立って礼を言うということも、少しも嫌ではなかった。そうしたことを、大三浦は自分に課しているのであるが、それは大三浦という人間の生き方であった。そういう方法に於て、大三浦はこれからの人生を生きようとしており、それはそれで結構というほかなく、いかなる非難にも当らない。であればこそ、自分はきょう大三浦の勧めに応じて、十一面観音を拝みに出掛けて行ったのである。そのことに於ける限りは、自分にとっても、大三浦にとっても、きょうという日は特別ないい日であった筈《はず》である。それなのに、妙な言い方をして、折角のいい日を台なしにして貰っては困ると、架山は言いたかった。十一面観音から得た感動が大きかっただけに、それをそのままにしておいて貰いたかった。しかし、そうした自分の気持を相手に伝えることは難しかった。架山は黙っていた。 「これから私のところで、暫くお休みになりませんか。もしお宜しかったら、ごいっしょに食事をしたいと思います。佐和山のお内儀《かみ》さんの料理で、お口に合うかどうかは判りませんが、佐和山夫婦も悦ぶと思います」  大三浦は言った。 「折角ですが、きょうは失礼しましょう。夕方、東京の方から連絡の電話もありますので」  架山は言った。実際に会社から連絡の電話がかかって来ることになってはいたが、それはどうにでもなった。ただ架山の今の気持としては、大三浦とこれ以上話を続けて行くことが怖かったのである。 「あすは、まだご滞在になりますか」 「もう一日居たいと思います」 「それは、それは。——では、あすまたお目にかかりましょう。私がこれまで拝みました湖畔の十一面観音のリストでも作って、それを差しあげたいと思います」  大三浦は言った。くるまを佐和山家に回して、そこで大三浦を降ろし、それから架山はひとりになって、長浜の宿に向かった。  ——お父さんって、気難しいのね。  ふいに、みはるの声が聞えた。  ——いいじゃありませんか、あんなこと、どっちだって。  架山はくるまに揺られていた。夏の一日が終ろうとして、急に暑さを失った夕近い陽光が湖面に落ちている。  その夜、架山は京都の貞代のところへ電話をかけようか、かけまいか、多少思案した。  ——折角ここにいらっしゃったんだから、京都のお母さんに電話してあげて下さい。  こういうみはるの声を聞いたのは昨夜のことである。もちろん、これは架山自身の想念の中に於て聞えて来たみはるの声であって、みはるの言葉を借りて、架山自身がそのような思いを持ったのにほかならなかった。七年ぶりで、みはるの遺体が沈んでいる湖へやって来たのであるから、みはるの母親に、その後どのように生きているか、その消息を訊《き》くぐらいの電話はかけて然《しか》るべきではないかと思われたのである。貞代にも、苦しい七年間であった筈である。あるいは自分以上に苦しい七年間であったかも知れない。  社会人としての貞代の消息は、新聞や雑誌などで、何となく架山も知っていた。手芸家としての名は七年前より更に大きくなっており、時花手芸学院という名も、今は押しも押されもせぬものになっている。しかし、事件以後、貞代がみはるの死に対してどのように立ち向かい、どのように苦しみ、どのように生きたかとなると、架山は何も知らなかった。  結局、架山は湖底で眠っているみはるのために、電話をかけようと思った。みはるのために何もしていないのだから、せめてこのくらいのことはしてやるべきであろうという気持になったのである。  架山は帳場に頼んで、貞代の住所を調べて貰《もら》った。事件の頃は、彼女が経営している学校の建物の一部か、あるいはそれに隣接したところに、貞代の住居があるような感じだったが、今は違っていた。貞代は時花手芸学院とは離れて、郊外のマンションに部屋を持っていた。  初め電話口には弟子らしい若い女が出たが、すぐ貞代が替った。 「いま琵琶湖に来ている。事件以来初めて来たので、みはるの眠っているところから、君に電話をかける気持になった。みはるには何もしてやれなかったから、せめてこんどぐらい、母親に電話でもかけてやらなければという気持になった」  架山は言った。素直な言い方だった。 「それは有難うございます。みはるも悦んでくれるでしょう。父親と母親が話をするんですから。——早いものですね、今年は七年になります」  少し声が曇ったと思ったら、そのまま黙ってしまった。架山は相手に時間を与えるような気持で、受話器を耳にしたまま、架山もまた黙っていた。 「確かに七年経った。僕もどうにか琵琶湖の岸に立てる気になった。来てしまえば、やはり来てよかったと思う」 「わたくしの方は、毎年一回だけ、五月の忌日に、船でお花を捧《ささ》げに行っております。今年だけは外国旅行にぶつかって、生徒に代って貰いましたが」 「それは有難う。毎年五月に、ね。みはるも悦んでいるだろう」  それには応《こた》えないで、 「お体は?」 「僕のか?——健康だ」 「お仕事は?」 「まあ、順調。——君の方はうまく行っているようだね」 「おかげさまで。でも、張り合いというものはありません。みはるが居てくれたらと思います」 「そうだろうね」 「日に一回はあの子のことを思い出します。こちらは年々一つずつ年齢を加えますのに、みはるの方はいつまでも十七歳で、——」  それでまた声は聞えなくなった。 「では、このへんで電話を切ろうか」  架山は言った。 「そうですね。——これだけでもお話ししましたから、みはるも悦《よろこ》んでくれるでしょう」  その言葉を合図に、架山は受話器を置いた。  翌朝、架山は大三浦の電話で起された。急に用事ができて大阪へ帰らなければならなくなったので、これから佐和山家を引揚げて、米原駅に向かうが、その途中ちょっと立ち寄っていいかという連絡の電話であった。 「昨日申しあげましたように、私がこれまでに回りました十一面観音さまのリストを差しあげておこうと思います。こちらの方へお出掛けの折りに、その幾つかにお立ち寄り頂けましたら、幸せでございます」  大三浦はそんな言い方をした。すっかり十一面観音の側の人間になっている感じだった。  架山はすぐ洗面して、朝食の膳《ぜん》に向かった。ゆうべ安眠できなかったためか、頭は重く、大三浦に会うのも多少|億劫《おつくう》な気持だった。何とか理由をつけて断わった方がよかったかも知れないと、あとで思った。  が、そうこうしているうちに、大三浦はやって来た。列車の時刻の関係で十分ほどしかお邪魔しているわけにはいかないと前置きして、 「これに、私がこれまで拝みました十一面観音のお堂を書いておきました。〇印がついておりますのは、あなたさまがおひとりでふらりとお訪ねになりましても、さして支障なく拝ませて貰えると思います。×印の方は、なかなかやかましいお堂でございます。私がお連れした方がいいかと存じますので、×印の方は直接お運びにならない方が無難でございます」  大三浦は言って、薄いノート一冊を架山の前に置いた。取りあげてみると、ノートの初めの方の数枚に、ぎっしりと十一面観音名と、それが収まっているお堂の所在地が認《したた》められてある。バスとか、自動車とか、駅から徒歩何分とか、そこへ行くための簡単な案内のようなものまで記入されている。 「これは有難いですね。こちらの方に参りました折りは、私もなるべく拝ませて頂きましょう。しかし、不信心ですので、余り当てになりませんが」  架山が言うと、 「そんなことをおっしゃらずに、ぜひ拝んで頂きとうございます。ひとことお礼を申しあげて頂きたいのでございます」  大三浦は言った。幾らかその声に悲しげなものが走ったように思われたので、 「では、こんど機会がありましたら、最初に書かれてあるこの観音さまをお訪ねしてみましょう。——宗正寺《そうしようじ》十一面観音というんですか」  架山が言うと、 「湖畔の観音さまでは、まあ、それが一番北にある観音さまでございます。それ〇印になっておりますか」 「ああ、これは×印の方でした。拝ませて貰えない方ですね」 「拝ませて貰えないというわけではありませんが、お開帳が二十五年に一度でございますので」  大三浦は言った。 「二十五年目に一度、お厨子《ずし》の扉を開けるんですか」 「左様でございます。この次は確か昭和六十三年になります」  大三浦はそう言ってから、 「と申しましても、年に一回はお厨子の掃除をしなければなりません。その日を訊き出しまして、それに合わせて行く方法がございます。私はそのようにいたしました。で、ございますから、それは×印になっております。湖畔沿いに北に参りまして、小さい山を越し、海津《かいづ》というところに出ます。海津の山|裾《すそ》のお堂がその観音さまのお住居《すまい》でございます。湖畔の十一面観音さまは大抵立ったお姿でございますが、そこの観音さまは、殆《ほとん》どお体と同じくらいの大きさの蓮の座にお坐《すわ》りになって、湖の方を向いていらっしゃいます。それは、それは、端正なお姿でございます。唇にほんのりと朱がかかっておりますが、あとはお顔も、お体もお黒くなっていらっしゃいます。今はお堂ばかりになっていますが、もとは大きなお寺でございました。それが織田氏の兵火にかかりまして消失いたしました。観音さまだけがお助かりになりました」  大三浦はここで言葉を切って、 「北の方には、そのほかに善隆寺《ぜんりゆうじ》、医王寺《いおうじ》にそれぞれ十一面観音さまがいらっしゃいます。——北の方からお回りになりますか。北の方には固まっております。鶏足寺《けいそくじ》の十一面観音、充満寺《じゆうまんじ》の十一面観音、赤後寺《しやくごじ》の十一面観音。赤後寺の十一面観音さまは——」  その言葉を押えて、 「列車にお乗りになるんでしょう」  架山は注意した。 「はい。もう遅いと思いますので、次のにいたしましょう。〇印の十一面観音さまの中で、さて、どれを先に見て頂くことにいたしましょうか」  大三浦は架山の方に手を差し出して、ノートを受け取ると、 「お運びになるのにご便利なところなら、坂本でございましょうか。京都からも簡単にくるまで参れます。坂本付近にも三体いらっしゃいますし、ちょっと離れますが、守山《もりやま》付近にも三体いらっしゃいます」  いつまでも大三浦の話が切れそうもなかったので、 「いや、ここに書いて頂いてあるのを、別に順番つけずに、その時々で拝ませて貰《もら》うことにしましょう」  架山は言った。しかし、大三浦の方はいっこうに頓着《とんちやく》しない顔で、 「そうでございますね。そう、守山の福林寺《ふくりんじ》の十一面観音さまが宜《よろ》しゅうございましょう。ここでしたらお堂のお守《も》りをしている家の人に、私の名前をお告げになれば、すぐ見せてくれます。悦んで見せてくれます。豊麗なお姿でございます。宜しゅうございますな、あのお顔は」  大三浦はそれとなく膝《ひざ》の上で両の掌《てのひら》を合わせ、ほんの短い間、眼を瞑《つむ》った。 「ずいぶんたくさんの十一面観音を拝んでいらっしゃるんですね」  七年という歳月をかけているので、訪ねて行った十一面観音の数は相当なものに違いないが、何よりそのために費やした労力はたいへんなものだろうと思う。このようにして大三浦という人物は事件後の苦しい時間を過ごして来たのであろうか。 「たいへんでしたね」 「はあ、でも、一つの十一面観音さまを拝んで、お礼を申しあげる度に、何とも言えずほっといたしまして、それだけ肩の荷がおりる気持でございます。朝に、夕に、湖の方をお見守りになっていて下さいますので、お礼だけは申しあげませんと、——」  そう言われると、 「どうも、私の方は——」  と、架山は言わざるを得なかった。 「いいえ、この方は私に受け持たせて頂きます。私が自分で勝手に選んだ仕事でございます。私だけの考えでしていることでございます。ただ、あなたさまにも、そういうお気持が動きました時は、ぜひお詣《まい》りして頂きたいと思います。それだけでございます。——それより、一つお願いがございます。実は、このことを申しあげたくて、ただ今、お邪魔させて頂いているんでございますが」  大三浦は言って、顔をあげた。 「なんでしょう」 「この秋、ごいっしょに、湖畔のどこかで月見をさせて頂けないかと思いまして」 「月見?」 「はい。ここの月はなかなか美しゅうございます。湖畔には昔から月見の名所になっているところもございます。毎年、私は会社の者を連れまして、——会社と申しましても小さな会社のことですので、みんな合わせても三十人ほどでございますが、それを連れまして、一泊の観月旅行をいたしております。ここ三年程のことですが、私のところの年中行事になっております。若い連中のことですので、酒を飲んで、歌ったり、跳ねたり、踊ったり、なかなか賑《にぎ》やかでございます。もし、お暇でしたら、それに来て頂けないかと思いまして」 「なるほど。——でも、会社内部の会でしょう」 「そうでございます。では、ございますが、このようなことをするのも、まあ、私の気持といたしましては、法要のようなものでございます。賑やかな集りですので、二人も悦《よろこ》んでくれているのではないかと思います。それに、もし、あなたさまにお越し頂けるなら、こんな嬉《うれ》しいことはございません。二人の父親が揃ったことを、どんなに二人は悦ぶことでございましょう」  架山は黙っていた。すぐには返事のできかねる思いだった。やはり気持にひっかかるものがあった。何か城をあけ渡すことを迫られているような、そんな鬱陶《うつとう》しさがあった。  架山は、大三浦の申し出に対して、 「さあ、この秋の仕事のスケジュウルがどのようになっておりますか、それを調べてみませんと」  と言った。即答を避けている気持であった。 「そうでございましょうとも、お忙しいお体でございますので」 「いずれ、東京に帰ってから、ご返事いたします。ほかのこととは違いますので、都合さえつきましたら、私もお仲間に入れて頂きますが」  架山は、しかし、自分は大三浦の求めに応ずることはないだろうと思った。大三浦は法要という言葉を使ったが、法要というものはもう少し別の形に於《おい》てなすべきもののような気がする。それからまた、大三浦は�二人の父が揃う�というような言い方をしたが、みはるはそれを迷惑に思うかも知れないのである。  ——お父さん、誤解しないで下さい。わたしたちそんな関係ではないんです。  みはるは言いそうな気がする。  ——お父さん、わたし、そんな風に見えまして? 恋愛の相手なら、もっとましな相手を選びますわ。心中!? おお、いや! そんな古い考え方は、わたしたちの世代にはありません。何事も、もっとドライです。  そう言われたら、一言も返す言葉はないではないかと、架山は思う。 「では、これでお暇《いとま》いたしましょう。つい長居をいたしまして」  大三浦は腰をあげた。 「ひと列車遅くなりましたね」 「いまは二十分か三十分ごとに新幹線�こだま�が走っております。便利な世の中でございます」  それから鄭重《ていちよう》な挨拶《あいさつ》の言葉を述べて、大三浦は立ちあがった。架山は玄関まで送って行った。  部屋へ戻ると、架山は籐《とう》椅子に腰かけて、暫《しばら》く月光の照り渡った琵琶湖の光景を瞼《まぶた》に思い描いていた。いい意味でも、悪い意味でも、大三浦が残して行ったものは強烈なものであった。なるほど、月光が白く冴《さ》え渡った中で、みはるとの対話の時間を持つことはいいだろうと思う。  ——今夜は満月だよ。  ——知っています。わたしもいま満月の光を浴びています。  ——満月って、いいものだな。こうして君と月見するのは、初めてじゃないか。  ——あら、お忘れになりました? 前に一度伊豆のおばあさんのところで、三人でお月見したことがあります。  ——そうだったかな。  ——あの時も、月光の中に立ったら、肌がちくちくしましたが、今も同じようにちくちくしています。  ——少し散歩したいな。  ——それはだめ。お父さんは湖の上にいらっしゃるけど、わたしは湖の中。  大三浦といっしょに月見をするのは嫌だが、ひとりなら、琵琶湖の月はいいだろうなと、架山は思った。  架山はきょう一日を湖畔に於て、どのようにして過ごそうかと思った。もともと何の目当てがあって来たわけでもなかった。みはるの眠っている湖の畔《ほと》りで、三日ほどぼんやりして過ごそうと思ってやって来ただけのことである。遠い星の一つでも、もう一人の自分が、同じように湖畔の宿で、同じことを考えている。そのもう一人の自分に、架山は話しかける。  ——どう、来てよかったろう。君はあんなに湖を怖れていたが、とうとうやって来た。思いきってやって来てよかったろう。何事も起りはしなかった。胸がはり裂けもしなければ、狂いもしなかった。そして湖畔の宿で二晩眠った。みはるが眠っている湖の畔りで、君もまた眠ったのだ。事件から七年という歳月が流れている。その七年という歳月が、すべてを遠くに押し流してしまったのだ。  ——さて、きょうはどうして過ごそうか。船を出して竹生島あたりまで出向いてもいい。そこで誰にも邪魔されないで、みはると二人だけの対話の時間を持つことはいいことだ。あるいは宿でぼんやりしていたかったら、そうするのもいい。湖の畔りに居るというだけのことで、君のまわりを絶えず特別な時間が流れているだろう。きのうまでは大三浦に会ったおかげで、そうした時間を持つことはできなかった。みはるには気の毒なことをしてしまった。しかし、大三浦はもう帰ってしまった。きょうはあの人物に煩わされることはない。  架山は実像になっていた。虚像である遠い星のもう一人の自分が望むように、架山はきょう一日を過ごしてやろうと思う。十一面観音を見たことはよかったが、しかし十一面観音を見るためにここにやって来たのではない。みはると二人だけで話すためにやって来たのである。本来の目的に添った過ごし方を、今日一日はしなければならぬと思う。架山は大三浦に会ったことを、もう一人の自分に、自分の影に詫《わ》びたいような気持だった。  しかし、こうした架山は、それから間もなく、実像から虚像にと変らなければならなかった。女中にコーヒーを運んで貰《もら》って、それを飲んでいる時、ふと十一面観音をもう一体、見ることができるなら、見てみたいという思いに捉《とら》われた。自分ひとりで、湖の方を向いて立っている十一面観音の前に立つことができたら、——そんな思いがどこからともなく頭を擡《もた》げてくると、架山は自分でもふしぎなくらい、その誘惑に無抵抗だった。  大三浦が遺《のこ》して行ったノートには〇印のついた十一面観音がずらりと並んで記されてあった。その中から一点選ぶとなると、結局、架山は守山の福林寺の十一面観音というのを選ぶより仕方なかった。大三浦の名前を出せば、快く見せてくれるということだったので、そこへ行ってみようと思った。こうなると、架山は完全に虚像というほかはなかった。自分の意志に反し、何ものかの力に作用されて、どこかへ連れて行かれるようなものであった。  架山は大三浦の置いて行ったノートを持って、宿の帳場に出向いて行った。このへんの地理には暗かったので、宿の主人の力を借りようと思ったのである。主人はノートに眼を通していたが、 「鶏足寺とか、充満寺とか、赤後寺とかいうのにしたらどうですか。これらはどれもそう遠くはありませんが、この福林寺というのがある守山は、大津に近いですからね。くるまで行けばたいしたことはないでしょうが、暑いにも暑いし、大体道がたいへんです。今日あたりはさぞくるまが混むことでしょうね」  と言った。そう言われると、多少気持が怯《ひる》んだが、暑い中を出掛けて行くのであるから、何より確実に見せて貰えるところを選ぶべきであると思った。そうなると、福林寺の方が安全に思われた。架山は守山方面の地理に明るい運転手を探して、そのくるまを回して貰うように、主人に頼んだ。  宿を出たのは、午《ひる》下りの暑い時刻だった。くるまが動き出すと、若い運転手は訊《き》いた。 「私は守山の出ですが、福林寺という寺は知りません。大きな寺ですか」 「何しろ初めてだからね。とにかくそこに十一面観音が祀《まつ》られている」 「観音さんですか。有名ですか、それ」 「それもよく知らん。しかし、国家の指定を受けているくらいだから、ちゃんとしたものだろうと思う。とにかく、その寺へ連れて行って貰いたい」 「そりゃ、すぐ判りますよ、探せば」  運転手は言った。 「大分遠いらしいね」 「道がいいですから、あっという間ですよ、飛ばせば」 「飛ばさないでやって貰いたいね」 「観音さんにお詣《まい》りに行くんですから、飛ばしても大丈夫ですよ。しかし、まあ、安全運転で行きましょう」  くるまは多かったが、ドライブは快適だった。しかし、守山の町へはいった時は、架山は多少疲れていた。運転手は方々で道を訊いた。守山の出であるということだったが、余りよく地理には通じていなかった。  やがて福林寺の前でくるまは停まった。農村の一劃《いつかく》という感じのところだった。道に沿って小さい門があり、その門から二、三間隔たったところに小さいお堂が見えている。  門をくぐった感じは、寺というより、農家の背戸の感じであった。小さい門と小さいお堂。お堂の横手が広場になっていて、その向うに農家風の建物が二つある。そのどちらかの一軒が、お堂を守《も》っている人の家ではないかと思われたが、全く人影はなかった。  運転手がやって来た。観音さんを見物に来たものらしかったが、 「誰も居ませんね。留守ですな」  そう言って、煙草に火をつけた。 「あのお堂ですね、どれ、どんな観音さんか見てやろう」  運転手はお堂の方へ歩いて行くと、その内部を覗《のぞ》き込んだ。扉は開けられてあって、自由に内部を覗くことができる。架山もそこへ近寄って行った。 「ありませんよ、観音さんなんて」 「厨子《ずし》にはいっている」 「厨子なんてものもありませんよ。位牌《いはい》みたいなものは、そこらに詰まっているようですが」  運転手は言った。架山も覗いてみた。内部は薄暗く、総体に雑然とした感じで、いかなるものが置かれてあるか、よくは判らなかったが、いずれにしても、厨子らしいものは見当らなかった。この中に重文の十一面観音像が置かれてあろうとは思われない。 「変だね」  架山が言った時、 「居ました、居ました、観音さんが」  と、運転手は叫んだ。そして、 「あかん坊が寝ています」  と、架山の方に顔を向けて言った。 「どれ」  再びお堂の中を覗き込んでみると、なるほど、入口のすぐ横に蒲団《ふとん》が敷かれ、その上に二、三歳の幼児が寝かされている。両手を大きく拡げて、いかにも気持よさそうに眠っている。 「驚きましたね。観音さんが居なくて、あかん坊が居る」 「君もこうして育ったんだろう」  それには答えないで、 「考えたもんだな、ここは涼しいですよ。あかん坊の寝室には持ってこいだ」  運転手の言葉を背に聞きながら、架山はもう一度、幼児の寝顔に眼を当てた。色白の可愛い顔をしている。幼い寝息を立て、無心の表情で眠っている。その寝顔を見守っているうちに、  ——健康に、仕合わせに。  架山は、そんな祈りに似た思いを持った。そこへ、どこからか、幼児の母親らしい若い女の人がやって来た。 「十一面観音を拝ませて頂きに来たんですが」  架山が言うと、 「ここには居やはりません。去年の三月、裏の収蔵庫の方に引越ししやはりました」 「そうですか、道理で。——その収蔵庫の中の観音さまは見せて貰えるんでしょうか」 「どうぞ」  ひどく簡単だった。 「自由にはいっていいですか」 「鍵《かぎ》がかかっています。いま、開けます」  大三浦の名前を持ち出す必要はなかった。 「簡単に見せて頂けるんですね」 「収蔵庫に移ってからは、お見せしています。それまでは、わたしらでも、なかなか拝めませんでした。三十三年ごとのお開帳ですよって」  相手は言った。  去年造られたという収蔵庫は、お堂のすぐ裏手にあった。架山と運転手がその前に行って待っていると、白衣をまとった若い男の人がさっきの女の人と連れだってやって来た。架山には二人がこの観音堂といかなる関係にある人物か判らなかった。このお堂を管理している寺の人であるか、あるいは堂|守《も》りといった立場にある人であるか、見当がつかなかった。 「お厨子を開けますから、どうぞ拝んで頂きましょう」  案内者は言った。もったいぶったところもなく、気難しいところもないのが気持よかった。 「以前は三十三年目にしか開帳しなかったそうですね」  架山が言うと、 「そうです。この前の開帳は三十八年でした。それから、去年三月、この収蔵庫ができまして、ここへお移しする時、初めて開帳しました」  そんなことを言いながら、案内者は収蔵庫の扉を開いた。新しい明るい部屋の中には、新しい須弥壇《しゆみだん》が置かれ、その上にすっくりと立った十一面観音の姿が見られた。  架山は収蔵庫の中に厨子が置かれてあり、その厨子の中に観音像は収められてあるとばかり思っていたので、それがいきなり眼の前に現われた時にはっとした。思わず息をのむような気持で、観音像を仰いだ。蓮の台座の上に立ち、頭光《ずこう》を背負うている。 「ご立派な観音さまですね」  架山は、傍に居る若い案内者たちに倣って、合掌して頭を下げた。 「いいお姿をしておいででしょう。どうぞはいって下さい」  案内者に促されて、架山は靴を脱いだ。運転手は気押されたのか、すっかり黙ってしまって、 「ここで結構です」  柄にもなく遠慮して、堂内にははいらなかった。  架山は、自分たちを案内して来た若い男女が、そのまま合掌の手を解かないでいるのに気付いた。観音像を仰いでいる時も、架山と言葉を交している時も、掌《てのひら》は下の方で軽く合わされている。いかにも信心深い感じで気持よかった。  顔と、体躯《たいく》の一部は胡粉《ごふん》でも塗ったように白くなっているが、あとは漆地の黒さで覆われている。天衣はゆったりと長く、宝瓶《ほうびよう》を持った左腕と、下にさげている右腕にかけられている。顔はゆたかで麗しい。仏さまというより天平《てんぴよう》時代の貴人でも、そこに立っているような感じを受ける。口もとはきゅっと緊《し》まって、意志的であるが、いささかも威圧感はない。 「いいお姿でしょうが」  女のひとが言った。讃仰《さんぎよう》というほかない言い方だった。確かに、いい姿だと、架山も思った。豊麗な十一面観音像である。  架山は収蔵庫の中を、あちこちに移動して、美しい十一面観音像を仰いだ。渡岸寺の十一面観音、石道寺の十一面観音、いずれとも異っている。  頭に戴《いただ》いている十一の仏面はいずれも小さく、そのためか、天冠台から上は本当に冠りを戴いているように見える。そして瑤珞《ようらく》をたくさん胸もとに垂らしているところなどは、やはり咲く花の匂うような天平の貴人が一人、そこに立っている感じである。ひたすらに気品高い観音像である。 「もとは、ここも大きな寺だったようです。織田氏の焼打ちに遇《あ》って、寺は焼けてしまい、この観音さまだけが助かりました。誰かが火の中から救い出したのでしょう、背中の方に火傷《やけど》の跡があります」  その言葉で、架山は観音像の背後に回ってみた。なるほど背中の一部に無慚《むざん》にも火を浴びた痕《あと》が遺《のこ》っている。渡岸寺の十一面観音は、同じ兵火で、土の中に埋められる悲運を持ったが、ここの観音さまは、|※[#「火+啗のつくり」、unicode7130]《ほのお》に包まれたのである。苦難は人間の世界のことばかりではない。 「大抵の観音さまは、下に垂らしている右手が長いんですが、この観音さまの手は自然な感じです」  そう言われてみると、そうだった。渡岸寺の十一面も、石道寺の十一面も、長い手を持っていた筈《はず》である。それに較べると、ここの観音像の右手は、ゆるく折り曲げられてあるせいか、自然の長さに見える。 「有難うございました」  架山は、頃合を見はからって言った。 「二、三年程前に伺ったら、到底拝ませて頂くことはできなかったでしょうに、たいへん運がいいことでした」 「そうですね。三十三年目の開帳となると、普通の寿命では一度は拝めても、二度は難しいですからね。一生この観音さまにお目にかかれなかった人もあったでしょう」  青年は言った。供養のために紙幣を置いて、あとは、若い案内者たちに任せて、架山は収蔵庫を出た。くるまのところに戻ったのか、運転手の姿は見えなかった。  お堂の前に出た時、架山はもう一度、去年の三月まで、いま拝んだ観音像が置かれてあったお堂の内部を覗いた。さっきまで無心に眠っていた可愛い幼児の姿はなかった。くるまのところに戻ると、 「観音さんも、時節で、ああいうところに住むようになったんですかね」  運転手は言った。 「火事の心配もないし、湿気も防げるからね」 「でも、やっぱり観音さんはお堂の方がいいですね。あそこにひとりきりでは、淋《さび》しいでしょう」 「いや、昔でもひとり厨子《ずし》の中にはいっていた。こんどの方が明るくて、ゆとりがある」  架山は言った。  長浜へ帰る途中、若い運転手はよく喋《しやべ》った。観音に興味を持ったのか、むやみに質問した。 「観音さんというものは、拝めば、ご利益がありますかね」 「そりゃ、あるだろう。苦しいことも、悩みごとも救って下さる。——勝手なことはだめだよ、金を儲《もう》けたいとか、競馬で勝ちたいとか」 「そりゃ、そうでしょう。それにしても、そんな力を持っていますかねえ」 「持っているさ。頭に小さい仏さまをいっぱい付けていたろう。あの仏さまがみな一つずつ大きな力を持っていらっしゃる。みんな合わせたらたいへんなものだ」 「また、奇妙なものを頭に載っけたもんですな。ずいぶん重いでしょう、あれ」 「十一個あるから相当重いだろうね。さっきのは小さい方だが、渡岸寺の観音さんなどは、あの三倍ぐらいの大きさのものを頭に載せていらっしゃる。渡岸寺って、知っているか」 「知りませんな」 「いつか行って、拝ませて貰《もら》うといい。立派な十一面観音だ」 「十一面観音っていうんですか」 「きょう拝んだのも、十一面観音だ。十一の面を頭に戴いている観音さまは、みな十一面観音と言うんだ」 「ああいうのは、あんまりないでしょう」 「そうでもない。湖畔にはたくさんあるらしい。きのう、石道寺の十一面観音というのを拝んだ。土地の人は�いしみちの観音さん、いしみちの観音さん�と言っているらしい」 「ああ、いしみちの観音さんですか」 「見たことある?」 「いや、見たことはないですが、聞いたことはあります。あれも十一面観音ですか」 「そう」 「じゃ、唐川《からかわ》の観音さんというのはどうですか」 「知らんな」 「これも、よく聞きます。——唐川の観音さん」  架山は座席の上に置いてあった大三浦のノートを取りあげて開いた。それらしいものを探して行くと、高月町唐川というところに赤後寺十一面観音というのがある。�しゃくごじ�と仮名がふってある。これかも知れないと思う。 「何という寺だ?」 「さあ」 「高月町唐川の赤後寺という寺に十一面観音があることはあるがね」 「それですよ」 「赤後寺というの?」 「それは知りませんが、唐川なら間違いありません。そうですか、それも十一面観音ですか。こんど見てみましょう」 「簡単には見られんよ」  架山は言った。大三浦のノートでは�赤後寺十一面観音�の上に×印が付されている。 「唐川の観音さんと言うのが、赤後寺の十一面観音なら、残念だが、なかなか見せて貰えないと思うね」 「どうしてですか」  運転手はうしろを振り返るようにして言った。 「うしろを向いたりしては危いじゃないか。大体、こうして喋っていることがよくないな。事故のもとだ」 「大丈夫ですよ。十一面観音を拝んで来てありますからね。——とにかく、唐川の観音さんなら、簡単だと思うんです。どうしてだめなんですか」 「それは知らんが、秘仏かも知れない」 「私の兄貴の嫁さんが、あの近くから来ています。嫁さんに口をきいて貰えば、どうにかなりますよ」 「そういうわけにはいくまい」 「お客さんは、方々の十一面観音を拝んでいるんですか」 「まあ、ね」 「それじゃ、唐川のも拝んだらいいですよ。守山あたりまで行くことを思えば、簡単です。いつまで長浜に居るんですか」 「あすは東京へ帰る」 「あすの午前中でもいいんでしたら、今夜交渉して、見せて貰えることになったら、あす宿に伺いましょうか」 「しかし、まあ、多分、だめだろうね」 「見たいことは見たいんですね」 「そりゃ」 「じゃ、頼んでみます」  運転手は言った。  その夜、架山は宿に佐和山を招いて、いっしょに食事をした。佐和山には手土産を持って来てあったが、何となく気持が通じない思いだったので、夕食に招いたのである。その席で、架山が大三浦から月見に誘われたことを話すと、 「大三浦さんは息子さんの葬式をしたくて堪《た》まらないようです。月見にあなたを招《よ》んだのも、そういうことではないですか。まさか、自分の息子さんの葬式だけするわけにいかないでしょうから」  佐和山は言った。 「葬式?」 「葬式と言っても、気持の上だけのことでしょう。別に坊さんを招んだり、経をあげたりすることを考えているのではなくて、ただ父親が二人揃って、月でも見ながら、いっぱいやろうというんではないですか」 「なるほど、ね」  架山は、そういう大三浦の気持が判らないではなかった。しかし、今も実際に遺体はあがっていないのであるから、永遠の仮葬でもいいのではないかという気持があった。そうであればこそ、架山はみはると、今も対話の時間を持つことができているのである。みはるは生者でもなかったが、死者でもなかった。そのみはるを、死の世界に追いやってしまうことは、つまり完全な死者と見做《みな》すことは、架山としては耐え難いことだった。  翌朝、架山は起きたばかりのところを、若い運転手に襲われた。玄関口へ出て行くと、 「見せて貰えますよ。十時に唐川の観音堂の前で待ち合わせることにしてありますが、いいですか」  運転手は言った。 「驚いたね、見せて貰えるの?」  本当に驚いて、架山が言うと、 「石道の観音さんも拝み、守山の観音さんも拝み、渡岸寺の観音さんも拝んでいる。わざわざ十一面観音を拝みに東京から来ている人だと言ったら、そういう人なら断わるわけにはいくまいということになったらしいです。よくは知らんですが、町の人が交替で堂|守《も》りの当番を引受けていて、その当番の人が、みなと相談して、それではということになったらしいです」 「それは申し訳ないことをしたね」 「いいですよ、へるものじゃなし」 「そんなことを言ってはいかん。——じゃ、十時にそのお堂に連れて行って貰おう」  架山は言った。  運転手は九時を少し回った頃、再び宿に姿を現わした。くるまは国道に出て、高月町に向かった。一昨日大三浦といっしょに行った石道寺のある木之本《きのもと》町は高月町の隣である。昔から十一面観音信仰が盛んだった地域なのであろう。  くるまが停まったところは、日吉神社の前だった。 「神社だね」 「神社ですが、この境内の中に観音堂があるらしいんです。私もまだ行ったことはないが、間違いありませんよ」  運転手は案内役に立った。大きな石垣が正面に見えていて、辺りは城址《しろあと》のような感じで、あちこちに老杉《ろうさん》が互いに競って天を衝《つ》いている。なるほど小高いところに茅葺《かやぶ》きの観音堂が見えている。無住の小さいお堂である。その前で、架山と運転手は、鍵《かぎ》を持って来てくれる町の人を待った。  約束の十時きっかりに、背広を着た中年|痩身《そうしん》の人物が現われた。架山は鄭重《ていちよう》に挨拶《あいさつ》し、突然に拝観を申し入れた非礼を詫《わ》びた。 「何もそんなにおっしゃらなくても宜《よろ》しいですよ。毎日、暑い日が続きますな。お堂にも風を入れてやりませんとな」  案内者はお堂の扉を開いた。内部には大きな厨子《ずし》が置かれてあった。厨子の前で、何分か経が誦《よ》まれた。その間、架山は閉じられている厨子の前に坐《すわ》っていた。運転手は、この場合も、堂にはいらず、外に立っていた。 「このお厨子は桃山時代のものです」  経を誦み終ると、案内者は立ちあがって、厨子の前に進んだ。そして口の中で何かを低く唱えながら扉を開いた。 「一昨年、重文に指定された十一面観音さまでございます」  架山がそこに見たものは、今まで拝んで来た十一面観音とはまるで違ったものであった。  厨子の中には二つの像があった。 「右手が十一面千手観音さま、左手が大日如来さまでございます」  架山は口から、すぐにはいかなる言葉も出すことはできなかった。十一面観音は頭上の仏面全部を失っており、左手七本、右手五本の肘《ひじ》から先の部分を尽《ことごと》く失っている。無慚《むざん》な姿と言うほかはない。大日如来もまた同じような姿であった。  架山は掌を合わせていた。そして、大三浦がこの席に居たら、そうするであろうように、朝に、夕に、二つの無慚な姿の仏像が湖の方を向いて立っていることに対して、感謝の思いを籠《こ》めて、頭《こうべ》を垂れた。 「このようなお姿ですが、お顔はなかなかご立派でございます。先年専門家の人が見えまして、冴《さ》えた彫りの美しさを褒めておられました」  案内者は言った。架山もその専門家の言った通りであろうと思った。十一の仏面で頭を飾り、腕の欠けた部分を補ってみたら、すばらしい十一面千手観音ができあがるに違いなかった。 「賤ケ岳の合戦の時お堂に火がかかりまして、その時土地の人が肩に背負って救い出し、近くの赤川という川の中に沈めて、戦火の鎮まるまで匿《かく》しておいたということが伝えられております。そういう過去をお持ちでございます」  その遠い戦乱の日に、十一の仏面も失われ、腕も失われたのであろう。あるいはまた、兵火の難は一回ではなかったかも知れない。今となっては、十一面観音以外、それが通過した長い時間については、誰も知っていないのである。  ただ、現在この十一面観音像がここにあるということは、これを尊信したこの土地の人々の手で、次々に守られ、次々に伝えられて、今日に到ったということであろう。架山は、これまでにこのような思いに打たれたことはなかった。  やがて扉は閉められた。十一面千手観音と大日如来の二つの像は、再び厨子の内部の闇の中に置かれた。経が誦まれている間、架山は厨子の前に坐って、頭を垂れていた。  堂から出ると、向うに煙草をくわえてぶらぶらしている運転手の姿が見えた。架山はその方へ歩いて行った。眩《まぶ》しいほど戸外は明るかった。 「凄《すご》いことになっていましたね」  運転手は言った。 「頭の上は全然なくなっていますね」 「だが、あれはあれで立派だよ。人間の苦しみを自分の体一つで引受けて下さっていたので、あの仏さまはあのような姿になってしまったんだ」  架山は言った。架山はくるまのところで、案内者が堂から出て来るのを待っていた。いつの時代の作であるか、そのことも訊《たず》ねたかったし、自分のために時間をさいてくれたことに対する礼も言わなければならなかった。漸《ようや》く日中の暑さを持ち出した陽射しが、木立の間から落ちている。 [#改ページ]     風  琵琶湖の旅から帰って四、五日して、架山は家で登山家の岩代からの電話を受け取った。夜の十時を過ぎた時刻だった。 「いま、みんな京都に集っています。いつぞやエベレストの麓《ふもと》の僧院のあるタンボチェという部落で月見をしようという話を、お耳に入れましたが、その旅行の二回目の打ち合わせを開いています。九月の下旬に日本を発《た》ち、タンボチェで月を見て、すぐ帰って来ます。みんなそれぞれ忙しい体ですので、二十日足らずの行程を組んでいます。いかがです、仲間におはいりになりませんか。いま、みんなであなたの話が出て、もう一度、お誘いしてみようということになったんです。いろいろ手続きの関係もあって、もうぎりぎりのところです」  電話線を伝ってくる岩代の声は、酒気がはいっているのか明るく弾んでいる。 「そう、忘れていた。エベレストか、なかなかよさそうだな。それにしても、どうして僕を誘うんだ」  架山が言うと、 「本当の登山ならお誘いしませんよ」 「そりゃ、そうだろう」 「こんどのは観月旅行ですからね。ごいっしょに行ったら楽しいと思うんです。二人ほど素人を入れたいんです。素人に加わって頂くと、僕たちも心が落着きます。そうでないと、気が引けて、ヒマラヤ観月旅行なんてできませんよ。画家の池野さんに声をかけていますが、多分参加すると思います。二、三日中に確定的な返事を貰《もら》うことになっています」  画家の池野は架山も知っていた。同郷の関係で、いろいろな集りで顔を合わせて、気心も判っており、年配も大体同じである。 「行きたいね」 「この前も、そうおっしゃいましたよ。行きたいのは判りますが、問題は行くか、行かないかです。でも、いくら仕事が忙しくても、二十日ぐらいどうにかなるでしょう。社長ですから」 「社長だから、やりくりが難しい」 「まあ、二、三日中に返事を下さい。最後の機会を与えます。僕たちがついて行ってあげるので、たとい麓でもエベレストという名の付くところへ行けるんです」 「そりゃ、そうだ」 「恩に着せるわけではありませんが、まあ、そういうものでしょう。本当に、タンボチェの月はいいと思いますよ。では、電話を切ります。夜分遅く失礼いたしました」  いくらか強引なところもあるが、エベレストの旅に誘ってくれているのは親切からであろう。過去に於《おい》て、二、三回、ヒマラヤ登山に応援しているので、それに対する礼の気持もはいっている。それからまた岩代が本音を吐いたように、現役から次第に遠く退きつつある山男の悲哀もあってのことであろう。観月旅行はそれにふさわしい顔触れでなければ困るに違いない。  岩代からの電話のあと、架山はそれまで居間で、冬枝や光子と駄弁《だべ》っていたのを打ち切って、ひとりになるために書斎にはいった。ふいに考えなければならぬことがあるような思いに襲われて、とにかくひとりにならなければと思ったのである。ヒマラヤ観月旅行の話が持ち込まれたのは五月である。その当座少からず心が動き、あちこちでその話を披露したものであったが、いつかまた立ち消えになっていた。  エベレストの麓で月を見るということは楽しいに違いなかった。しかし、実際問題として、いまの架山として、そうしたことのために二十日間をさくということは、なかなかたいへんだった。商売柄どこの国へでも、行けば行ったで、それだけのことはあるに違いなかったが、この前の話ではキャラバンを組んだり、酸素ボンベを持ったりして行くらしかった。そうなると、誰が考えても、仕事とは結びつきそうもなかった。行くなら、堂々と観月旅行を宣言して行くほかはないと思う。そういう実業家もひとりぐらいはあってもいいという考え方はできる。しかし、と架山は思う。仕事をしている人間としては、アノラックや登山靴を鞄《かばん》に詰めるには、やはり多少の勇気と強引さを必要とすることであろう。妻と娘からも文句が出ないとも限らない。  すると、また京都から電話がかかって来た。電話口に出てみると、前置きなしに、岩代の声が飛び込んで来た。 「さっき言い忘れましたが、今年の満月は十月四日です。その日にはどんなことをしてもタンボチェに着かないと、こんどの旅行は意味をなさないものになります。従って、日本を発つのはいつになさろうと自由ですが、カトマンズに集合する日はきちんとしておかないとなりません。二、三日待ってくれよ、なんておっしゃられては困ります」 「連れて行って貰うなら、日本からみんなといっしょに行動するよ。仕事をかねたり吝《けち》なことはしない」 「それならいいですが、さっきこのことをはっきり申しませんでしたので」 「満月を見るんだね」 「そうです。満月以外の月なら、ヒマラヤでいくらでも見ています」 「よし、それでは明日中に返事をする」  それで二度目の電話は切れた。再び書斎に戻った架山の気持は、さっきとは少し違っていた。  エベレストの満月を見るというのであれば、それならば、少し無理をしても行くべきであるという思いが頭を擡《もた》げて来ていた。岩代の口から出た満月という言葉が、架山の心の中に急に大きな場所を占めて居坐《いすわ》った恰好《かつこう》であった。  架山は大三浦から琵琶湖の月見に誘われたことを思い出していた。何もそれと張り合う気持はなかったが、よし、それならこちらはエベレストの満月を見ようと思う。大三浦の誘いにはもともと応ずる気持はなかったが、それにしても、エベレスト行きはそれを断わる理由にもなったし、それからまたそこで、みはると二人だけの対話の時間を持つことは、やはり架山には魅力あることであった。  架山はいつか満月の夜の琵琶湖と、それから同じように満月の光の照り渡っているエベレストの山麓《さんろく》とを、共に思い描いて、較べるような気持になっていた。どちらも架山の知らないものであった。  架山は銚子や姥捨の月は知っていたが、琵琶湖の月は知らなかった。�石山の秋月�というのが近江《おうみ》八景の一つにかぞえられているが、大三浦が会社の従業員を連れて宴席を張るのは、あるいは、そういう場所であるかも知れない。いずれにしても、その夜の琵琶湖は平生とは少し異った表情を持っているだろうと思われる。たくさんの観月の宴《うたげ》が、湖岸一帯の料亭や旅館では開かれ、観月のための船もたくさん湖面には浮かんでいることであろう。堅田《かたた》、大津、石山、長浜と、長い湖岸線のところどころに、そうした酒宴の賑《にぎ》わいは置かれる。その夜の琵琶湖の月は明るいに違いない。そしてその明るい月光に照り映えた湖面を、人間の営む酒宴のさんざめきが囲んでいる。二つの遺体の沈んでいる湖は、おそらくその夜だけは異った表情を持たなければならないのである。  それに較べると、エベレストの麓の僧院のある集落は、上に満月を置くと、平生よりもっと暗いに違いない。実際に行ってみないと判らないが、決して明るいものではないだろうと思われる。曾《かつ》て一度穂高で月を見た経験からすれば、エベレストの幾つかの峰も、僧院も、そして月も、その夜はそれぞれに気難しく、不愛想であるに違いないのである。自分はもともと明るいものではないのだ、そんなことを月は主張し、雪を戴《いただ》いた白い峰々は、自分は太古から一度でも、これ以外の表情をとったことはないのだと、そんなことを主張しているかも知れない。僧院の建物の小さい窓からこぼれている燈火は燈火で、これは人間の生きている灯《あかし》だ、世を捨てた人間の生きている灯だ、そんなことを囁《ささや》きかけているかも知れない。その夜そこを流れている時間も、そこに立ち籠《こ》めている静けさも、太古から何も変っていないのである。太古の時間が流れ、太古の静けさが立ち籠めているのである。  ——みはるよ、そうしたエベレストの麓《ふもと》の集落で、お前と話をしよう。  架山は思った。  ——生きている父が、亡くなった娘と話を交す場所としては、これ以上の場所はないかも知れない。みはるよ、そこでお前と話をしよう。永遠に�もがり(仮葬)�されているお前と、そこで話をしよう。そのために、その夜、雪を戴いた高い峰の上には、満月がかかるのだ。  架山はいつか昂奮《こうふん》している自分を感じていた。みはるの死への哀惜がこのように烈しく衝《つ》き上げて来たことは、ここ二、三年にはないことであった。  架山は久しぶりに、みはると話した。と言っても、みはるに対する自分だけの一方的な呼びかけであった。  ——みはるよ、これまでお前とはずいぶん度々対話の時間を持った。が、本当は何一つ話らしい話はしていないかも知れないのだ。お前はいつも、父を慰め、父の心を優しく揺すぶる役ばかり受け持っている。父親を甘やかしてばかりいた。ただ一度も、恨みごとも言わないし、不平もこぼさなかった。  ——しかし、こんどこそは、お前と本当に話そう。お前が持った運命というものについて、一体それが何であったか、いっしょに考えよう。子供とは、父とは、一体何であったかについて話そう。人間とは、人間の一生とは、生とは、死とは何であったかについて話そう。こんどこそは、そういう対話を、お互いに持つことができそうな気がする。エベレストの麓で、太古からの満月の、おそらく暗いに違いない光を浴びて、二人で向かい合って立ったら、本当の話らしい話ができるかも知れない。  ——みはるよ、お前には生きている時、父親に対して反感も、憎しみもあったに違いない。それを聞こう。また若くして死ぬような運命を持ったことに対する悲しみも、恨みもあったに違いない。それを聞こう。父親として、自分も話すだろう。父親として言うことは詫《わ》びしかないかも知れない。が、まだ一度も詫びたことはない。そしてまた父親としての怒りもあるかも知れない。が、それについても言ってはいない。そうしたことを、こんどこそ話すことができるかも知れない。  光子がウイスキーの壜《びん》とグラスを盆に載せて運んで来た。ひどく明るいものが闖入《ちんにゆう》して来た感じだった。 「これでいいですか。水は要りません?」 「要らない」  そう答えてから、架山はいやに気が利くと思った。 「何していらっしゃる?」 「何もしていない」 「何もしないで、ウイスキーだけあがるの?」 「ウイスキーは君が勝手に持って来たんじゃないか」 「あら、持って来いとおっしゃったから持って来たんです」 「そうかな」 「いやなお父さん、どうかしているわ。いま廊下から、ウイスキーを持って来るようにおっしゃったじゃありませんか、いやだわ」 「そうかな」  架山は記憶がなかった。しかし、そう言われてみると、そんなこともあったような気がする。みはるのことを思いつめて考えていたので、半ば無意識にウイスキーの注文に行ったかも知れない。 「注ぎます?」 「うん」  架山は自分のためにウイスキーをグラスに満たしている光子の手許《てもと》に眼を当てていた。  光子はウイスキーのグラスを卓の上に置くと、架山と向かい合うようにして、椅子の一つに腰を降ろした。架山はウイスキーを嘗《な》めながら、光子が退散するのを待っていた。みはるのことを思いつめて考えていた最中だったので、闖入者にはなるべく早く身を引いて貰《もら》いたかった。 「エベレスト、どう決まりました?」  ふいに光子は言った。 「聞いていたのか」 「だって、さっき二回も電話をかけていたじゃありませんか。十日ほど前にも、お父さんの留守の時、岩代さんから電話がありました。お母さんが電話を受けて、一時夢中になっていましたが、今は熱が醒《さ》めてしまったようですって言っていました。やめるんでしょう」  光子は顔を上げた。 「行こうと思う」  架山は言った。エベレスト行きを口に出した最初だったので、多少決然とした感じの言い方になった。それが自分にも判った。すると、間髪をいれず、 「では、私も連れて行って頂く」  光子は言った。 「行くと言ったって、娘など行けるか」 「お父さんが行くくらいなら、誰でも行けます。前からもしお父さんが行くんでしたら、いっしょに連れて行って貰いなさいって、お母さんも言ってます」 「————」 「付添いです。一人では危いから」 「何を言っているんだ。とにもかくにもエベレストなんだからな」 「麓なんでしょう」 「麓にしても富士山より大分高い」  それから、 「まあ、無理だが、一応はみんなに相談してみてやる」 「本当にいらっしゃることは、いらっしゃるんですね」 「そう」 「本決まり?」 「本決まりだ。あす岩代君のところに電話をかける」  架山は言った。 「では、どうしても連れて行って頂きます。これも本決まり」  そんな言葉を残して、光子は、これで大切な用事は一応すませたといったように部屋を出て行った。いつものことであるが、光子が去って行くと、ひどく屈託ない明るいものがふいに消えてしまった感じである。  いま光子と交したような会話は、みはるとは一度も交したことはなかったと、架山は思った。どちらも同じ自分の娘であったが、父と娘の関係はひどく違っていた。このように違っていいものだろうかと思うくらいに違っている。みはるがいまの光子の年齢まで生きていたとしても、いまの光子のようにはならなかったに違いないと思う。  光子が帰って行って暫《しばら》くすると、冬枝がやって来た。 「本当にいらっしゃるんですか」  いきなり冬枝は訊《き》いた。 「行く」 「それでしたら、あんなに行きたがっているんですから、光子も連れて行ってやって下さい。通訳にもなるし、やはりあなたがひとりでいらっしゃるより——」 「女の子はねえ」 「お友だちと何回か穂高にも登っています。山は好きですし——」 「多勢で行くんだから、みなの考えもあるだろう」 「岩代さんは、構わないとおっしゃっていました」 「口ではそう言うだろうが、——それに、岩代君以外の者が何と言うか、みなにはかってみないと決まらない」 「なるべく連れて行ってやるようにして下さい。あんなに行きたがっているんですから」 「よし、一応相談してみよう。無理だとは思うが」  架山は言った。架山は、共同戦線を張っている母親と娘から、交互に攻撃をしかけられているような気持だった。防戦これつとめているが、たじたじといったところである。  冬枝が戻って行ったあと、よし、最後まで守り抜いてやろう、そんな思いでウイスキーの残りを口にあけた。そして、ふと、それにしても、一体自分は何を守り抜こうとしているのかという思いに打たれた。守り抜かねばならぬものはなかった。ただそれに似たものがあるとすれば、それはみはるであるに違いなかった。  架山は自分の心の内部を窺《うかが》い見るようにした。みはると二人だけの対話を持つために、自分はヒマラヤ行きを決心したのだ。そこでみはると話をするために、無理をして二十日間という日数を作ろうと思ったのである。いつか同窓会の集りで、ヒマラヤ行きの話をした時、友だちの一人は老いさきの短い男の、最後の浪費だと言った。時間の、金の、エネルギーの最後の浪費、もう何の浪費もできなくなった男の、最後の浪費だと言った。  そんなものではないと、架山は思う。娘に先立たれ、もはやなんの愛情も示すことのできなくなった男の、最後の娘に対する愛情の表出にほかならないのである。  光子には可哀そうであるが、遠慮して貰わなければならぬ。機会さえあればヨーロッパにでも、アメリカにでも連れて行くだろう。いくらでもついて来るがいい。決して拒みはしない。ただ、こんどのヒマラヤ観月旅行だけは困ると、架山は思う。エベレストの麓《ふもと》の僧院のある集落で、自分はみはるといっしょにならなければならぬ、そんな気持だった。  翌日、架山は会社から、福岡で小さい工場を持っている岩代に電話をかけた。 「連れて行って貰うよ」  架山が言うと、 「いらっしゃいますか、それはいいですね。みんな悦《よろこ》ぶでしょう。さっき池野さんからも電話がありました。やはり仲間にはいるそうです」 「それはいいね。それから娘が同行したがって困っている」 「この間、奥さんからもお話がありましたが、行けば行けないことはないですが、二つの問題があります。一つはトイレットです。女の登山家の場合は、トイレット用テントを携帯しているようです。多少荷物にはなりますが、それはまあいいとして、普通の若い娘さんの場合、それが使えるかどうかです。山には登らないにしても、六、七日はテントで寝ます。寝袋の方はいいんですが、問題は——」 「なるほどね」 「それともう一つは、カトマンズからルクラまでの飛行機ですが、これが六人乗りで、われわれ五人とカトマンズから一人親しいシェルパが乗るので、丁度六人になり、この場合は一台ですみます。お嬢さんが加わると、七人になるので、もう一台チャーターしなければならなくなります。金の方はともかくとして、問題はチャーター・フライトの確保です。チャーターしておいても、その時次第で、甚だ当てにならぬ現地の実情です。一台の確保でも厄介なところを、二台になりますと——」 「なるほど」 「一台確保できても、二台確保できないと同じことです。全員が揃わないと、ルクラからの行動は開始できません」 「それでは、飛行機が二台になるということは、たいへん面倒なことになるんだね」 「そうなんです」 「それなら、そういうことを本人にちゃんと判るように説明して貰《もら》わないと困るね。本人はすっかり行く気になっている」 「そうですか。それならやはり行って頂きましょうよ。行けば行けないことはありません。ただ、いま申しあげたような問題があるだけです。何とかなるでしょう」 「何とかならないかも知れない」 「ならない時は、ならない時のことです」 「しかし、飛行機が確保できないで、十月四日の満月に間に合わないようなことになると困るね。ゆうべ、そのことを、二本目の電話で、君自身、念を押して来ていたじゃないか」 「そうなんです」 「登山家のくせに気が弱いんだね」 「観月旅行ですからね。あんまり大威張りで断われないところもあります。お父さんだけを引張り出しておいて、お嬢さんの方は断わるというのは、どうも」 「とにかく、君の方から家《うち》へ電話をかけてくれないか。僕が説明してもいいが、僕の方はちょっと弱いところがある」 「そうでしょう、僕だって同じことですよ」  岩代は笑った。  一時間ほどして、こんどは岩代から電話があった。 「お嬢さん、お気の毒に、すっかり後込《しりご》みしてしまいました。トイレをかついで行くということだけで、戦意喪失です。この次の機会に連れて行って貰うとおっしゃるんです」 「そう、では仕方ない。娘はやめて、僕だけ連れて行って貰おう」  架山は言った。 「では、そういうことにして、全員五人です。架山さん、池野さん、それに僕たち三人です。僕、伊原、上松」 「いいメンバーだね。僕と池野君は別にして、君、伊原君、上松君。——登山家としては、一級だろう」 「もう、そうは言えません。登山家も老います。次々に新しいのが出ています」 「新人だったのにね」 「若い者が老いるように、新しいものは古くなります。月見を計画するようになってはお仕舞いです。しかし、まあ、楽しくやりましょう。九月の十日前後に、もう一回京都で最後の打ち合わせ会を開きます。その時は来て頂かないと——」 「東京ではだめ? いくらでも場所は設営するが」 「でも、やはり中間がいいと思うんです。僕と上松君が福岡、伊原君が名古屋、それにあなたと池野さんが東京です。中間の京都で落ち合いましょう」 「なるほど、僕だけ忙しいという気になっているが、君たちは君たちでたいへんだろうね」 「それぞれに、小さいながら一国一城の主人《あるじ》ですから、仕事の整理がたいへんです。伊原君は運動具店の主人ですから、あとは店員に任せればいいんですが、上松君も僕も工場を持っていますから、ヒマラヤに月見に行っているうちに潰《つぶ》れかねないんです」 「まさか」 「いや、この前のジュガール・ヒマールの時、意気揚々として帰ってみたら、半ば潰れかけていました。驚きましたね、あれには」 「こんどはそんなことのないように。奥さんもいることだから」  岩代が細君を迎えたのは去年の春である。今年岩代は四十歳の筈《はず》であるから、普通の者に較べると、妻帯は大分遅くなっている。山登りがその最も大きい原因になっていることは言うまでもない。 「では、これで電話を切ります。池野さんとは一度電話で話しておいて下さい。こんどの旅行の手続きの方は全部、僕が受け持ちます。度々、連絡の電話をかけると思いますが、うるさがらないで下さい」  受話器を置くと、架山は秘書を呼んで、九月下旬から十月中旬までの仕事の予定表を持って来るように命じた。きょうから準備を始めなければ、と架山は思った。  八月の暑い最中《さなか》、架山は十一面観音についてごく初歩的な知識だけを得ようと思って、宗教、美術関係の書物を数冊読んだ。昼間会社では到底そうした時間は捻出《ねんしゆつ》できなかったので、家に帰ってからの夜の時間をそれに当てなければならなかった。と言って、毎晩、十一面観音と付合うわけにはいかなかった。宴会もあれば、昼の疲れで、早く寝《しん》に就くこともあった。  しかし、それにしても、十一面観音について、それがいかなるものであるかのごく初歩的な知識だけは、一応、自分のものにすることができた。  十一面観音信仰は古い時代からのもので、日本でも八世紀の初め頃からこの観音像は盛んに造られ始めている。この頃から十一面観音信仰はその時代の人々の生活の中に根を張り出しているのである。この観音信仰の典拠になっているものは「仏説十一面観世音神呪経」とか「十一面神呪経」とか言われるものであって、この経典に、この観音を信仰する者にもたらせられる利益《りやく》の数々が挙げられている。それによると現世に於《おい》ては病気から免れるし、財宝には恵まれるし、火難、水難はもちろんのこと、人の恨みも避けることができる。まだ利益はたくさんある。来世では地獄に堕《お》ちることはなく、永遠の生命を保てる無量寿国に生れることができるのである。  また、こうした利益を並べ立てている経典は、十一面観音像がどのようなものでなければならぬかという容儀上の規定をも記している。まず十一面観音たるには、頭上に三つの菩薩《ぼさつ》面、三つの瞋《しん》面、三つの菩薩|狗牙《くげ》出面、一つの大笑《だいしよう》面、一つの仏面、全部で十一面を戴《いただ》かねばならぬことを説いている。静まり返っている面もあれば、忿怒《ふんぬ》の形相もの凄《すご》い面もある。また悪を折伏《しやくぶく》して大笑している面もある。いずれにしても、これらの十一の面は、人間の災厄に対して、観音がいろいろな形に於て、測り知るべからざる大きい救いの力を発揮することを表現しているものであろう。観音が具《そな》えている大きい力を、そのような形に於て示しているのである。  十一面観音信仰が庶民の中に大きく根を張って行ったのは、経典が挙げている数々の利益によるものであるに違いないが、しかし、そうした利益とは別に、その信仰が今日まで長く続き得たのは、頭上に十一面を戴いているその力強い姿ではないかと、架山には思われる。利益に与《あずか》ろうと、与るまいと、人々は十一面観音を尊信し、その前に額《ぬか》づかずにはいられなかったのであろう。そういう魅力を、例外なく十一面観音像は持っている。  架山が僅《わず》か四体の湖畔の十一面観音を拝んだだけで、十一面観音についてのごくあらましの知識を得たくなったのも、その像の持つ美しさ、力強さと、それを守《も》っている土地の人々の、それへの帰依の美しさに打たれたからにほかならない。  これまで、架山は殆《ほとん》ど仏像というものに特別な関心を持ったことはなかった。奈良へ行って、大きな寺々で高名な仏像を見ることはあったが、それに向かう気持は全く遠い昔に造られ、長い歳月を経て今日に伝えられている文化遺産の一つとしてであった。もともと信仰の対象として造られたものではあったが、そういう気持ではその前に立てなかった。と言って、純粋な美術作品として見るわけにもいかなかった。合掌している姿態が、よくできているとか、よくできていないとか言っても始まらなかった。それは例外なく、宗教心と美術精神がいっしょになって生み出したふしぎなものであった。美しいものだと言われれば美しいと思い、尊いものだと言われれば、なるほど尊いものだと思う以外仕方ないものであった。  しかし、大三浦に連れられて、渡岸寺《どうがんじ》の十一面を見てから、架山には、自分でもそれと判る変化が起きていた。観音が人間の悩みや苦しみを救うことを己れに課している修行中の仏さまであると、大三浦に説明された時、初めて自分の心の中に、十一面観音の持つ姿態の美しさを、単に美しいというだけでなく、ほかのもので理解しようという気持が生れたように思う。そうでなかったら頭上の十一の仏面は、架山には異様なもの以外の何ものでもなかった筈《はず》である。それが異様なものとしてでなく、力強く、美しく見えたのは、自分がおそらく救われなければならぬ人間として、十一面観音の前に立っていたからであろうと思う。救われねばならぬ人間として、救うことを己れに課した十一面観音像の前に、架山は立っていたのである。そこがみはるが眠っている湖畔であったということも、そしてまた共に子供を失った父として、大三浦といっしょにそこに居たということも、架山を、珍しく素直に、そのような救われねばならぬ人間としての立場に立たせていたのであろう。  架山は短い湖畔の旅で、四体の十一面観音を拝んでいた。渡岸寺と石道寺《しやくどうじ》の二体は、大三浦といっしょに拝んだものであり、ほかの福林寺《ふくりんじ》と赤後寺《しやくごじ》の二体は、自分ひとりで拝んだものであった。  この四体の十一面観音を拝んだということは、架山にとってはふしぎな経験であった。十一面観音を見たと言うより、拝んだという言い方の方が、架山には自然だった。東京へ帰ってから、架山は湖畔の十一面観音について人に語る時、いつも�拝む�という言葉を使った。何の抵抗もなく、それは自然に口から出た。  しかし、大三浦が湖畔の夥《おびただ》しい数の十一面観音のすべてを訪ねて、朝に夕に湖の方を向いて、そこに眠っている者の霊を守っていることに対する礼を述べようという気持は、必ずしも同調できるものではなかった。何となく、ついて行けない不気味さがあった。  十一面観音というものに架山が惹《ひ》かれたもう一つの理由は、それが集落の人々に守られ、何とも言えぬ素朴な優しい敬愛の心に包まれているということであった。利益にありつこうといったそんな気持は、みじんも十一面観音に奉仕している人々には感じられなかった。  架山には、十一面観音と、それに奉仕している信心深い土地の人々との関係を、どのように言い現わしていいか判らない。きびしく言えば、信仰という言葉を使っていいかどうかさえも判らなかった。信仰というものはあのようなものであろうか。それに縋《すが》って生きようという烈しいものは感じられない。ただ愛情深く奉仕し、敬愛の心をもって守っているとしか思われない。  架山は東京へ帰ってからも、自分たちが守っている観音さまを褒められた時、お堂の隅に坐《すわ》っていた女の人たちの顔に現われた優しい笑いを忘れることはできなかった。その笑いのことを思うと、心が何とも言えぬ優しくきよらかなもので満たされるのを感じた。そうした女の人たちの心の中にあるものを、信仰と言っていいか、どうか知らない。信仰であってもいいし、なくてもいいと思う。信仰でなかったら、信仰というものになんの遜色《そんしよく》もない別の価値を持ったものであるに違いないのである。  架山はみはると、それについての対話の時間を持ったことがある。  ——この間の琵琶《びわ》湖行きはよかったよ。湖畔の宿で、君と話そうと思って出掛けたが、いっこうに肝心の君とは話さなかった。十一面観音を見るのに忙しかった。  ——そうよ、お父さんたら、すぐ感激してしまうんですもの。  ——初めて十一面観音というものをいいと思った。  ——四体だけしか、ごらんにならないけど、湖畔にはまだたくさんあります。  ——大体、十一面観音を守っている土地の人たちがいいね。  ——あの人たち、ほんとにいいでしょう。  ——素朴で、優しくて。ああいう美しい心を持った人たちが、この世にはまだ居るんだね。  ——たくさんおります。お父さんがご存じないだけ。偉くなろうとか、有名になろうとか、お金を儲《もう》けようとか、そんな気持を全然持っていない人の中に、優しい心を持った人もあれば、美しい気持を持った人もあります。  ——きっと、そうなんだろうね。人間というものがある限り、心のきれいな人はいるんだろうね。  ——そうよ、お父さんの回りに少いだけ。  東京へ帰ってから、架山は十一面観音のことばかりを思い出していたわけではない。七年目に顔を合わせた大三浦のことも考えている。  架山は事件の時も、大三浦という人物が判らなかったように、こんどもまた判らなかった。素朴で、人のよさそうな人物であったが、その言うことにも、その表情にも、その仕種《しぐさ》にも、架山は多少の抵抗を感じざるを得なかった。どこかに自分とは異質なものがあるように思われた。  と言って、難ずべき点を取りあげようとすると、何一つ取りあげることはできなかった。非難しようとするものが、その度に純一|無垢《むく》なものに見えてきた。そういう点では甚だ始末に負えぬ相手であった。  こんど七年目に会った大三浦の中で、最も嫌だったのは、秋の満月の夜、湖畔の酒宴の席に自分を招こうとしたことである。湖に沈んでいる二つの遺体のため、その遺体のそれぞれの父親二人が顔を揃えてやろうではないかという申し出である。こう言われると、正面きって拒否する理由は見付からなかった。しかし、死者には言葉がないから何とも言えなかったが、死者が果してそれを望むかどうかは、誰にも判らないことであった。大三浦の方は、湖中の二人がそれを望んでいると思い込んでおり、架山の方は、そう簡単には断定できないといった気持なのである。そこが食い違っていた。  この場合、そうした大三浦を非難することは簡単であった。しかし、事件後七年になるというのに、未《いま》だにいっこうに息子のことを諦《あきら》めてもいなければ、諦めようともしないところは、哀れでもあり、見上げたものと言うべきでもあった。そして暇さえあれば湖畔にやって来て、湖畔の十一面観音のすべてに、湖を守ってくれていることの礼を言おうとしている。口では礼を言うという言い方をしているが、おそらくは湖中の若い二人の霊を守ってくれるように祈っているに違いないのである。これは彼自身の選んだ生き方であった。人間どのような生き方をしてもよかった。架山はどうやらみはるの事件を、みはるの持った運命と考えることによって、自分を支えることができているが、大三浦の方はそう簡単には諦められないといったところがあった。  大三浦は、彼自身が言ったように、現世の欲望というものは、全部払い落しているのに違いなかった。金にも、仕事にも、なんの野心もなければ、執着もないのである。ただひたすら死んだ息子に執着しているのである。  困った奴だ、と架山は思う。しかし、また大三浦の方が本当かと思うこともある。人間の悲しみというものは、もともと消えたり、薄らいだりするものではないかも知れない。水のように蒸発したりするものではなく、石に刻まれた跡のように、それは永遠に残るものかも知れない。塚も動け! 大三浦の悲しみの中には、そんな烈しいものがある。  八月の下旬にはいった時、架山は電話で打ち合わせて、夕方画家の池野と銀座裏の小さい料亭で会った。池野と架山は同年配ではあったが、池野の方がずっと若く見えた。学生時代ボートの選手もし、山にも登ったということで、体もがっちりしていたが、少しも老いて見えないのは画家という職業のせいかも知れなかった。 「君ならヒマラヤヘ行くと言っても通るが、僕の方はね」  架山が言うと、 「大丈夫だよ、月を見に行くんだろう、月を」  池野は言った。 「月を見るにしても歩かねばならない」 「そりゃ、三日や四日は歩くだろう。くるまで乗りつけるというわけにはいくまい。それにしても、忙しいのに、君はよく行く気になったね。——僕の方は仕事だが」 「仕事って、どういう仕事なんだ」  架山が訊《き》くと、 「集落を描きたいんだ。——観月旅行だが、月の方はあまり頂かない。エベレストという山も、それほど興味はない。山岳画家なら話は別だが、僕は大体山というやつは苦手なんだ。山に登るのは好きだが、描くのは、どうもねえ」  そんなことを、池野は言った。 「山を描いたことはないの?」 「スケッチぐらいはあるが、本格的に山の絵を描いたことはないよ」 「月も、だめ?」 「だめだね。日本画家はよく月を描くが、洋画家は余り食指を動かさない。大体、月というものに関心を持つのは、東洋人、特に日本人だけではないのか。日本人はやたらに月が好きだ。こんどの観月旅行なども、日本人だから計画することなんだな。白人に言ったら驚くだろうと思うね。ルーブルでも、月の絵はないんじゃないか。あったとしても、一点か二点じゃないか」  そう言われてみれば、そうかも知れないと、架山は思った。ヨーロッパの美術館で、月を描いた作品を見た記憶があるかと訊かれると、ちょっと返答に困る。 「月も描かない、山も描かないでは、何を描くの」 「だから、集落を描くと言った。エベレストの麓《ふもと》の集落を描きたいんだ。どんな集落か知らないが、特殊な表情を持っていると思うね。もちろん、その背景として山も描かなければなるまいが」 「集落、ねえ」  架山が相手の気持を測りかねたような言い方をすると、 「集落というものは、君、面白いものだよ。僕はここ何年か、集落ばかりを描いている。まだ纏《まと》めて発表していないが、こんどの旅行の作品を加えて、集落を取り扱った作品ばかりの個展を開こうかと思っている」  池野は言った。 「村なら村の、全体を描くの?」 「そういう場合もあるが、大抵、十軒か、二十軒、民家の固まっているところを描く。五軒、六軒ぐらいのところもある」 「————」 「去年、熊野川を遡《さかのぼ》って、川の集落を描いた。あのへんは今は立派な道ができて、くるまが走っているが、昔は熊野川が唯一の交通の幹線だった。そういう時代は川筋の村が栄えた。どの村も川舟の発着所を持っていて、それを中心に人々は生きていた。そうした名残りが今なら、まだ少しは残っている。実にいい集落があるよ。家は勝手にばらばらに配置されていることはない。別に規則があったわけでもあるまいが、自然に川というものに対して、共同の防備体制を敷いているような、そんな集落のたたずまいなんだ。一つの同じ運命を共同で頒《わか》ち持ってでもいるように、家と家とは互いに寄り添っている。そういう集落の表情は何とも言えずいい。みんなが力を合わせて生活しているといった、そんなものが感じられる。これも、去年か、一昨年《おととし》のことだが、甲府付近の丘から釜無《かまなし》川の磧《かわら》を見下ろしたことがある。その川に沿って二、三十軒の集落があった。これもよかった。上から見たせいもあるが、実によく整頓《せいとん》されて家が配られ、川に沿った方は石の堤防で囲み、山側の空地にはきれいに耕された畑があった。山の麓には寺があった。実に美しい集落だった。僕の生れた伊豆の村なども、最近帰省する度にいいと思うよ。あんまり汚い雑然とした町ばかりを見、その中に住んでいるせいか、田舎に行くと、ああ、ここには人間が共同して生活している村がある、と思う。人間というものは一人では生きられない。やはり固まって住むものだ。固まって住む以上、そこには必ずその集落独特の表情がある。そういうものの美しさに惹《ひ》かれ出すと、月や山より、こっちの方がいい」  池野は言った。喋《しやべ》っているうちに夢中になってくるところは、架山などの周辺には見出《みいだ》せない、やはり羨《うらやま》しいという以外ないタイプである。 「シェルパの集落には、シェルパの集落独特の表情があると思うね。山の案内人として一生を過ごす人間が集り住んでいる村だからね。しかし、ナムチェバザールと言ったかな、そのシェルパの村は何人かの画家が描いている。それよりそのシェルパの村から、僕たちが月見をするタンボチェまでの間に、点々と小さい集落があると思うんだ。そういうところを描きたいね。それこそ、何軒かの家がひっそりと身を寄せ合っているだろうと思う。日本の田舎とは違って、大自然の中に小さい点のように置かれてある集落だ。きっといいと思うよ」  池野は勝手に自分で盃《さかずき》をみたしては、口に運んでいる。言葉を切ると、その度に遠いところを見るような眼をする。 「僕ばかり喋っているが、——君の方は、月見か」 「まあ、ね」 「贅沢《ぜいたく》だね、月見だけに出掛けるとは」 「そこで、遠い昔亡くなった愛人のことでも考えようかと思っている」  すると、池野は顔をあげて、 「そりゃ、たいへんな仕事だ」  と、真顔で言った。こんな言葉をそのまま受けとるのも、池野らしいところである。 「冗談だよ」  架山が言うと、 「冗談でもなさそうだ。いまの君の表情には本当のものがあったと思うね。本当でなかったら、いい年齢《とし》をして、そんな十八、九の若いのが言いそうな青臭いことは口にせんだろう」 「勘ぐるんだね」 「大体、人間という奴は、年齢をとると、ロマンティックになるよ。若い者はロマンティックだなんていうが、あれは本当は嘘だ。若い時は、驚くほど現実的だよ。夢みたいなことを考えることは好きだが、好きだというだけの話で、本当はそんなことは信じていない。その底で実に現実的な計算が行われている。そこへ行くと、年齢をとってからのは、ちょっと手が付けられない。本気なんだな。ロマンティックな考え方を実行に移してしまう」  池野は言った。ロマンティックかどうか知らないが、エベレストの月光の中で、みはると話そう、と架山は思う。瞬間架山は、もし池野が気付いたら再び真顔の表情をとらざるを得ないような、しんとした顔をした。  ヒマラヤに行く連中が京都で集ることになったのは九月の中旬である。それまでに岩代が手続きの方は全部受け持ってくれていて、東京に居る架山と池野は岩代が電話で指図して来たことを黙ってやればよかった。  旅券に貼る写真と同じものを十何枚も送るように言われたのには驚いた。なんでもネパール国内を旅行するのに、それだけの枚数が必要だということだった。普通のビザのほかにトレッキング・ビザなるものが必要で、そうしたことのためにそれだけのものが要るという話だった。  京都ではそれぞれ別々のホテルをとった。架山は行きつけのホテルを選び、池野は池野で別の定宿をとった。岩代たちは岩代たちで馴染《なじ》みの宿があるらしかった。  みんなが顔を合わせる会場だけは、架山が設営した。加茂川に沿った料亭で、外国の客を招く時よく使っていたので、わがままが利いた。いくら遅い時刻になっても文句を言われる心配はなかった。  当日、六時にそこに集った。架山は岩代、伊原とは親しかったが、上松とは初対面であった。池野の方は伊原とも上松とも初めてである。 「こちら伊原さん。——いつも僕たちは伊原という名前は呼ばないで、社長、社長と言っています。実際に社長なんで、社長といって少しも不都合なことはありません」  岩代は伊原を池野に紹介する時、こういう言い方をした。 「すると、社長が二人になるな」  池野が言うと、 「そうですね。架山さんも社長でしたね。じゃ、架山さんの方は総裁にしたらどうですか。伊原社長に、架山総裁、——それからこちらは上松さん、上松さんのことも、僕たちはニューギニアと呼んでいます。兵隊でニューギニアに長く居て、そこでたいへんな苦労をしています。その経歴に敬意を表して、ニューギニア、ニューギニアと呼んでいます」  岩代は言った。 「では、あなたのことは?」  架山が訊《き》くと、 「邦《くに》ちゃん」  と、社長の伊原が岩代に代って答えた。 「優しいんだね」  池野が言うと、 「邦ちゃんというのがぴったりしているんです。いかにも邦ちゃんと呼ばれるにふさわしい顔をしている。でも、この邦ちゃんが一番大胆で、荒っぽいんですからね。何回死にかけているか判らない」  伊原は言った。岩代が何回も死にかけていることは、架山も知っている。  紹介が終ると、すぐ五人は長方形の卓を囲んだ。 「総裁、どうぞ」  そんな言い方で、架山は床の間を背に坐《すわ》らせられ、 「画伯は、そのお隣」  池野は架山の隣に坐らせられた。別に誰が言い出したわけでもなかったが、画伯という呼び方は、ごく自然に生れていた。こういうところは、登山家たちの、いかなる人物をも自分たちの仲間に入れて、忽《たちま》ちにして窮屈なものを取り除いてしまう不思議な才能でもあり、智慧《ちえ》でもあった。それでいて、相手を立てていないわけでもなかった。架山を総裁と呼び、池野を画伯と呼んでいる。 「お酒が出るまでに、大切なことだけを申しあげておきます。大体、お手許《てもと》に配るプリントに記してありますが、足りないところは書き込んで頂きます」  岩代は言って、ゼロックスにとった何枚かの紙片をみなに配った。出発日時、飛行機の機種、スケジュウル、携帯品、そんなことが項目別にこまごまと記されている。その一つ一つについて、岩代は説明した。なかなか神経の行き届いた、懇切を極めた説明であった。現地連絡先も記されてあれば、留守宅の連絡先までちゃんと書かれてある。 「一番大切な項は、携帯品のところですが、これはなるべく守って頂きたいと思います。このほかに隊として、薬品類や食糧は遺漏なく持って行きますから、各自はなるべくこの程度で打ち切って頂きたい。隊の荷物はすでに送り出してあります」  すると、伊原が、 「先に持って来た物を分配してしまおう、なあ」  と、上松の方に言うと、上松は黙って立ちあがって行って、床の間に置いてある大きな包みを開いた。サブ・リュックと、寝袋の中に入れる白布がみなに配られた。サブ・リュックには、それぞれのネームが刺繍《ししゆう》されてある。 「これ、いつ使うの?」  池野が訊くと、 「山にはいってからです」 「これにはいるだけしか持って行けないの?」 「それ、たくさんはいりますよ。もちろん、画伯の場合は、絵を描くためのいろいろな道具が要るでしょうから、そうしたものはほかの鞄《かばん》に入れて持って来て下さって結構です」  伊原が言った。 「このサブ・リュックを背負うんですか」  架山が訊くと、 「みんなシェルパが持ちます。手ぶらで歩きますから、心配ありません。ニューギニアみたいに何か背負わないと歩けないのは別ですが」  自分のことが言われているのに、上松は無関心な表情である。何となくニューギニアというニックネームがぴったりしている。 「キャラバン中の衣類ですが、日本の十一月頃を想定して頂いていいかと思います。ズボンはウール。シャツにセーター、ウインド・ヤッケ、このほかにラクダのシャツ上下を持って下さい。それから毛の手袋、マフラー。靴はキャラバン・シューズで結構です。衣類以外では小型の懐中電燈が必要です」  岩代は自分が配った紙片に眼を当てて言った。架山と池野の二人のために説明している恰好《かつこう》である。 「移動中の携行品の部に記してありますが、サングラスは絶対に必要ですから、お忘れなく」 「こんなにたくさん、サブ・リュックにはいるかな」  池野が首を捻《ひね》ると、 「らくにはいりますよ。それにここに記してあるものの大部分は身に着けることになります」 「雨に降られて濡《ぬ》れた場合を考えると、ズボンも、セーターも、ラクダのシャツも、それぞれ二組は用意しないと」 「その必要はないでしょう。往《い》きに三日、帰りに三日歩くだけのことですから。——まあ、サブ・リュックに詰めてみた上で、なお入れる余地があったら持って下さい。いずれにしても、持ち物は少い方がいいと思います。山に登るわけではないですから」  その池野の言葉を引取って、 「じゃ、ゴルフヘ行く時の支度でいいね」  架山が言うと、 「僕はゴルフをやらないので、ゴルフのことは知りませんが、真冬にゴルフをやる時の支度だったら、それでいいでしょう。ただし、ゴルフ靴は困ります」  岩代は言った。 「歩くところは平地ばかりでなく、多少のアップ・ダウンはあるね」 「そりゃ、あります。ゴルフ場のアップ・ダウンとは少し違います。ヒマラヤと名の付くところですから」 「どのくらいかね」  こんどは池野が訊くと、 「本谷の出合から涸沢《からさわ》までぐらいの上りを考えたらいいでしょう。それを毎日一つずつ」  上松が言った。 「じゃ、本当の登山だね」 「そうです」 「ハイキングとは言えないじゃないか」  すると、岩代が、 「ハイキングではありませんが、と言って、本格的な登山とも言えません。まあ、行ってみましょう。たいしたことはありませんよ。馬も持って行きますし、酸素ボンベも持って行きます」  と言った。 「実際に酸素は要るのかね」 「用心です、これも。三九〇〇と言うと、富士山の頂上より大分高いですから」  架山は、初めに聞いた時とは、少し話が違うと思った。  簡単な打ち合わせを終ると、料理が運ばれて来た。五人は一つの卓を囲んで、ビールで乾盃《かんぱい》した。 「君、このカトマンズからルクラまでの飛行機というのは、どんな飛行機かね」  架山は紙片に眼を当てながら訊《き》いた。 「チャーター機です。この間電話で申しあげましたように六人乗りです」 「小さいやつだな」 「小さいけれど、安全です」 「君、乗ったことある?」 「乗ったことはありません。登山の連中はみな歩きます。でも、こんどはこれを使いませんとね」 「————」 「ゆっくり歩くと十五日、普通に歩いても十三日はかかります。そこを飛行機で飛ぶ」 「片道十五日とは驚くね。一体、その間をどのくらいの時間で飛ぶの」 「四十分か四十五分らしいです」 「また、早いんだな」 「山が幾つも重なっているところの上を飛びます。歩くと、たいへんですが、その上を飛ぶとなると、あっという間です」 「その飛行機が、こんどの旅行での山場だと思うんです。時間は短いですが、内容は豊富だと思います」  伊原が横から口を出すと、 「社長、やめとけよ」  上松が言った。 「内容豊富って、それ、どういうこと?」  池野が訊くと、 「相当のスリルはあると思います。乗ってみないと判りませんが」  伊原は言った。 「毎週出ているの?」 「出ています。人は運びません。材木か何か運んでいるらしいです。それをチャーターしたんです。ルクラの滑走路というのが、一五〇メートルの長さで、草地だということです。傾斜になっているんで、着陸の時は自然に停まり、離陸の時は傾斜を利用して、いったん谷に飛び込み、それから舞いあがる。これだけでも爽快《そうかい》だと思いますよ。これが一番面白いんじゃないですか」  伊原は言った。本当に面白がっているのであって、いささかも怖がっているのではないらしい。 「その飛行機で、ローツェとエベレストが撮れると思いますね」  こんどは岩代が言った。  架山は若い登山家たちが醸し出す一種独特の雰囲気にはいっているのが楽しかった。それぞれ現役の登山家ではなく、社会人として一応の地位を築いている、岩代の言い方をかりれば�一国一城の主人《あるじ》�であるに違いなかったが、山の話をすると夢中になって、魂をすっかり山に売り渡してしまっている恰好である。 「月を見ようということで始まった計画だから、月だけは見ませんとね」  岩代が言うと、 「雨期はあけているの?」  池野が訊いた。 「あけている筈《はず》です。僕は二回、カトマンズの九月を知っていますが、雨は八月いっぱいできれいにあがります」 「丁度境いだね。このスケジュウルによると、一日にカトマンズを発《た》つことになっている」 「大丈夫です。余裕がとってあります」 「余裕といっても、一日だけじゃないの? 一日と二日は何とかいうところに宿営し、三日に目的地のタンボチェに着く。四日が満月。一日だけの余裕だ」 「でも、本当はルクラからタンボチェまでの間に二泊する必要はないんです。一泊でもいいんです。それを二泊にしてあります。そこで一日縮まります」 「ちょっと待った!」  架山が口を挟んだ。 「初めの予定ではルクラから目的地の間に三泊する筈じゃなかったの? 確か四日目にタンボチェに着くという話だった」 「初めはそう申しました。しかし、そうすると間延びがします。三時間か四時間歩いてはテントを張ることになります。いくら架山さんでも、これではあまり気の毒だということで、それで三泊を二泊に変えました」 「それが、時と場合で一泊になる」 「少し無理すれば、途中泊らなくても、行けないことはないと思います」  すると、 「そんなことはしないで貰《もら》いたいね。ゆっくりの方がありがたい。途中でスケッチもしなければならん」  池野が言った。 「僕らも写真を撮ります」  伊原が横から言った。 「写真はシャッターを押すだけだが、スケッチの方はそうはいかん」  すると、 「いや、それがシャッターを押すだけではないんです。社長ときたら、ねっちり撮るんです。三脚を据えて、さんざんカメラをねめ回し、シャッターを押すに到るまでが容易なことではありません」  ニューギニアが言った。 「いずれにしても、だね。僕と池野さんは、あんまり早くは歩かんよ」  架山が言うと、 「承知しています」  岩代が言った。 「どんなところか知らないが、一時間に一回は休んでもらわないと」 「五分に一回は休みます」 「そんな必要はないだろうが」 「いや、大ありです。空気が薄いですから、五十の半ばを過ぎると危いんです。ちょっと歩いては休み、ちょっと歩いては休み、——平生お酒をあがっていますから、その点は充分こちらで気を付けます」 「おどかさないでくれよ」 「いや、おどかしてはいません。あんまりのんきに出掛けられると、取り返しの付かぬことになりますからね」 「おどかしているじゃないか」  すると、伊原が、 「邦ちゃんは去年から少し人間が変りました。嫁さんを貰ったら、性格が複雑になりました。独身の時は山だけでしたが、いまはそれにほかの物がはいって来ました。僕たちも困ったものだと思っています。大体、嫁さんを可愛がりすぎますよ。こんどでも、本当は架山さんでなくて、嫁さんを連れて行きたいんです。尤《もつと》も、これは、僕やニューギニアが承知しませんがね」  と言った。 「すみません、どうも」  岩代は真顔で言った。 「代用品か、僕たちは」  池野が言うと、 「そういうわけでもないでしょう。僕が証明します。架山さんは時々|淋《さび》しそうな顔をするから、少し荷厄介だが、こんどのヒマラヤ行きに加えてやろうよと、邦ちゃんが言い出したんです。どうせ連れて行くんなら、一人連れて行くも二人連れて行くも同じことだから、池野さんも連れて行ってあげよう、——こういうことになったんです」  ニューギニアが言った。 「ありがとう」  架山が言うと、 「僕の方は、おまけか」  池野が言った。 「いや、おまけじゃありません。みんな、池野さんのファンです」 「あまり信用できないな」 「いや、本当です」  そんなやりとりを聞きながら、自分は岩代に気付かれるような、そんな淋しい顔をすることがあるだろうかと、架山は自分ひとりの思いの中にはいっていた。いまも、そんな顔をしているかも知れない。そう思った時、架山は席を立って、加茂川の流れの見える廊下に出た。 「月が出ているらしいよ」  架山が言うと、 「やがてエベレストの月をお目にかけます。京都の月と較べて下さい」  岩代の声が背に聞えた。  十一時頃まで、ビールを飲みながらたのしく雑談をした。そろそろ散会しようという頃、 「あす何時頃の列車で帰る?」  池野が訊《き》いて来た。 「あすは夕方になると思う。朝ホテルを発って、琵琶湖の十一面観音を見たいんだ」  架山が言うと、 「十一面観音? どこにあるんだ」 「湖畔にたくさんある」 「ほう」  池野はふしぎそうな顔をして、 「十一面観音って、奈良の法華寺《ほつけじ》とか、聖林寺《しようりんじ》とかにあるあの十一面観音か」 「そう」 「十一面観音でいいものは、もう決まっている。聖林寺、法華寺、室生寺《むろうじ》、それから京都府田辺町の観音寺《かんのんじ》という寺にも、立派なのがある。そのほかでは、そうだな、大阪府の藤井寺の道明寺《どうみようじ》」 「詳しいんだな」 「別に詳しいわけではないが、いま挙げたのは世評高いものばかりだ」 「ひとつ落している。湖畔の渡岸寺に同じように有名なのがある」 「ああ、そうそう、渡岸寺の十一面観音というのがあったな。それは見ていないんだ。いいものらしいね」 「そのほかにも、湖畔にはたくさんある。石道寺とか、赤後寺とか、——何しろ四十何体あるんだからね。あすはそのうちの一つか二つを見るつもりだ」 「これまでに幾つも見ているの?」 「いや、四体しか見ていない。これから時々見るつもりでいる。この前四体見たら、どうも、あとを引いてね」 「変なものに凝り出したんだね。あす見るというのは、どこの?」 「まだ決めていないが、坂本にあるらしいので、そこへ行くつもりだ。大体、みな秘仏になっていて、そう簡単には見せて貰えないんだが、坂本のは、頼めばどうにかなるんじゃないかと思っている」 「なんという寺?」 「控えがあるんだが、ホテルに置いて来てある」 「一体、どういうところがいいんだ」 「みんな小さい観音堂に収まっていて、どれも古いものだが、一部の信心深い人たちに守られて今日に伝えられている。絶対に有名になんかならんよ。秘仏、あるいは秘仏同様に大切に守られて来ているんだからね」  すると、岩代が、 「カトマンズに行くと、たくさん仏像がありますよ。仏像がお好きなら、何日居ても倦《あ》きませんよ。凄《すご》いのがあります」 「凄いのって?」  架山が訊くと、 「歓喜仏なんだな」  池野が代って答えた。 「歓喜仏といっしょにされては困るね」  架山は笑いながら言った。 「歓喜仏は歓喜仏として、近江《おうみ》の十一面観音の方にお供しようかな」  池野は言った。 「構わないか、僕が行って」 「どうぞ。——連れができて嬉《うれ》しいが、何だ、こんなものかと言われても困る」 「大丈夫」 「美術家というのは、うるさいからね。——近江の十一面観音は信仰の対象なんだから、純粋な彫刻作品として文句をつけられては困る」  架山は、半ば本気で言って、 「まあ、見合わして貰《もら》った方が安全だな。——君に同行されるとなると、自信がなくなる」  架山はふいに臆病《おくびよう》になって言った。大三浦にしろ、自分にしろ、琵琶湖とは特別な関係を持っている人間である。大三浦も近江の十一面観音に惹《ひ》かれ、自分もまた同じように十一面観音に無心ではいられなくなりつつある。だからと言って、画家の池野もまた同様であろうという考え方は成立しなかった。近江の十一面観音に特殊な関心を持つのは、大三浦と自分だけであるかも知れないのである。 「大丈夫。そんな大きい期待は持って行かないよ。ただ暇つぶしに同行させて貰うだけだ。あすは早く東京へ帰ってもすることがないんだ。十一面観音より琵琶湖を見たいんだ。いつにも行ったことがないからね。坂本と聞いた時、坂本の蕎麦《そば》も食いたくなった」 「じゃ、いっしょに行こう。十一面観音に付合って貰う代りに、僕の方は蕎麦に付合ってあげる」  架山は言った。そのような気持でいっしょについて来るというのであれば、いささかも気にする必要はなかった。  登山家たちとは、料亭の前で別れた。若い連中はもう一軒どこかに顔出しするところがあるらしかったが、架山と池野はすぐ宿に帰ることにした。  架山と池野は同じくるまに乗った。 「すばらしい連中だね」  くるまが走り出すと、池野は言った。 「あの連中なら、ヒマラヤの旅はたのしくなりそうだ」 「三人三様、性格が違うところがいいね。あの三人は非常に気が合うらしいが、それでいて、性格はまるで違う」  架山が言うと、 「社長もいいし、ニューギニアもいい。邦ちゃんもいい。邦ちゃんがリーダー格かな」  池野は言った。 「さあ、社長かも知れない」 「ニューギニアもいいな。黙々と歩くんだろうね、彼は」  そんなことを話していると、くるまはホテルの前で停まった。 「じゃ、あす、九時に来てくれ」  架山は言って、自分だけくるまから降りた。  翌日、約束通りに、九時に池野はホテルに姿を現わした。すぐくるまで大津に向かった。 「坂本の盛安寺《せいあんじ》というお寺が管理している観音堂に十一面観音があるらしい。それを見に行こうというわけだが、ゆうべ話したように、行ってみないと、見せて貰えるかどうかは判らない」 「心細いんだな。しかし、まあ、見せて貰えなくてもいいよ。蕎麦を食おう。坂本の蕎麦は久しぶりなんだ」  三十分ほどでくるまは湖畔に出た。 「いいじゃないか、秋の琵琶湖は」  池野は言ったが、なるほどこの前来た時とは違って、湖面は急に秋めいて来た陽を浴びて冷たく光っている感じである。  気持のいいドライブだった。やがて、くるまは湖岸から離れると、坂本の日吉神社の方に向かい、日吉神社の山門に突き当ると、その前を右に折れた。 「このへんだよ、蕎麦屋は」 「まだ早いだろう。帰りに付合う」  架山は言った。運転手は二回ほどくるまを停めて、盛安寺なる寺の所在を確かめた。くるまは比叡山《ひえいざん》続きの山の麓《ふもと》に沿って走って行った。道は上ったり、下ったりしている。  やがて、くるまが停まった。 「ここだと思うんです。観音堂というのは」  運転手が言ったので、架山と池野はくるまを降りた。なるほど道に沿って、一段高くなったところにお堂らしい建物がある。 「盛安寺は?」 「この隣らしいです」 「じゃ、僕が交渉に行って来よう」  架山が言うと、 「私が行って来ましょう。大丈夫ですよ。このお堂の扉を開けて、観音さんを見せて貰うだけでしょう。私でだめだったら、その時行って下さい」  運転手が自信ありげに言ったので、架山も運転手に任せてみる気になった。  道から三、四段の石段を上ると、小さな門があり、そしてその門から十歩ほどのところに、その門にふさわしい小さなお堂が建てられている。  門の横手の石の柱に、�十一面観世音|菩薩《ぼさつ》�と刻まれてあるところを見ると、このお堂の中に十一面観音が収められていることだけは確かである。  間もなく運転手が帰って来て、 「いま、すぐお堂を開けに来ます」  と言った。 「いやに簡単じゃないか」  池野が言うと、 「東京からわざわざ拝みに来たんですと言ったら、それは、それはと、ひどく恐縮していました」  運転手は言った。  架山と池野は観音堂の前に立っていた。お堂の背後はすぐ藪《やぶ》になっていて、丘の斜面でも背負っている感じである。  年とった女の人がやって来た。隣の盛安寺の人らしいが、詳しくはどういう人かよく判らない。 「ようこそ」  とだけ言って、老婆は堂にはいった。無駄口をきかないで、すぐ堂にはいったところなどは、なかなかいい感じである。  架山と池野も堂にあがった。十畳ほどの広さのお堂で、そのお堂いっぱいに大きな厨子《ずし》が置かれてある。架山が厨子の前に坐《すわ》ると、その横に池野も坐った。須弥壇《しゆみだん》は厨子にくっついて、いっしょに造られてあるが、扉を開けるには、その須弥壇の上にあがらなければならぬ。  架山には、老婆がそこにあがることは危険に思われた。 「大丈夫ですか」  架山が言うと、 「年齢《とし》をとりますとな」  そんなことを言いながら、老婆は体を横にして須弥壇に這《は》いあがった。そして暫《しばら》く鍵《かぎ》で扉をがちゃがちゃ言わせていたが、なかなか扉は開きそうもなかった。  架山は立ちあがって行って、 「私がやってみましょう」  と、老婆から鍵を受けとった。そして老婆に替って壇の上にあがった。 「長いこと開けませんで、鍵が工合《ぐあい》悪くなっています。やはり、わたしがやりましょう」  老婆は言ったが、架山はまだ自分がやる方が確かだと思った。しかし、容易に扉は開かなかった。 「よし、俺がやってみよう。こういうことは、俺がうまいんだ」  池野が立ちあがって来た。  架山は鍵を池野に渡した。すると、池野は、難なく扉を開けて、 「ね、観音さまは俺でなくては嫌だと言っていらっしゃるんだ」  そんなことを言った。すると、それがおかしかったのか、老婆は低い声で笑ってから、 「さ、拝んで下されませ」  と言った。架山と池野は再び厨子の前に坐って、頭を下げた。  架山は観音像を仰いだ。微《かす》かに笑っているようなふくよかな顔である。眼は殆《ほとん》ど閉じられていて、二本の手は前で合掌し、その両手には天衣がかけられてある。その手とは別にもう二本の手があって、片方は杖《つえ》を、片方は蓮を持っている。頭に戴《いただ》いている仏面のうち頂上面だけが高い。以前はもちろん彩色してあったものであろうが、もとの色は判らず、古さだけが像全体を包んでいる。  架山は、いま眼の前にある観音像を、自分がこれまでに見た同じ湖畔の他の四体の像と較べることはできなかった。ほかの四体も、それぞれによかったが、これはこれでまたすばらしいと思った。観音さまの微笑をふくんでいる顔を仰いでいると、自然にこちらも微笑せずにはいられなくなる、そんな感じである。 「いいね」  池野は言った。いいと言われると、架山も嬉《うれ》しかった。 「いいか」 「いいよ。本当にいい。吝《けち》くさいところはみじんもない」 「そりゃそうだろう。観音さまだからね」 「観音さまにもいろいろある」  池野は失礼なことを言った。 「が、この観音さまはいい。堪《た》まらなくいいな」 「そうだろう。近江の観音さまはみんないいんだ」 「そうはゆくまい」 「いや、どれもいい」 「どれもいいとすれば、こうしたお堂に収まっているからだろうね。確かに十一面観音像はこういうお堂にあるべきなんだろうね。そして、こうして拝むべきものなんだろうね。ほかのたくさんの仏像の中に置かれてあると、こういうよさは出て来ない」  池野は言った。いつかお堂には中年の男とその内儀《かみ》さんらしい女のひとが坐っていた。いつはいって来たか知らないが、近所の人なのであろう。 「これは、安産の観音さまでしてね」  男が言った。 「安産?!」 「そうです。安産の観音さまとしては有名です」 「昔からここにあるんですか」  架山が訊《き》くと、 「よくは知りませんが、このお堂は桃山時代に造られたと聞いております」  すると、さっきから畳の上に坐っている老婆が、 「もとは崇福寺《そうふくじ》にあったそうです。それが、この観音堂ができた時、ここに移っていらしった、確かそんな話です」 「ほう、すると、古いものですね」  架山が言うと、 「美術史家は何というか知らないが、感じから言うと、貞観《じようがん》というところだな」  池野は言った。 「おや、雨が降って来ました。この前、扉を開けた時も、雨が降りました」  老婆は言った。なるほど雨の音がしている。 「時々、お厨子を開けるんですか」 「年に三回です。二回はお掃除しませんとな」  雨が降って来たのを機に、架山と池野は立ちあがった。扉を閉めるのを手伝おうとしたが、男がそれには及ばないと言ったので、あとは中年の夫婦者に任せることにして、二人は老婆に鄭重《ていちよう》に礼を述べて、堂を出た。  日吉神社の傍の蕎麦《そば》屋にはいった頃は、雨は烈しくなっていた。架山は池野に付合って、蕎麦を食べた。池野と運転手は、蕎麦が好物だったが、架山はお付合いで箸《はし》を取りあげた。生れつき蕎麦はあまり好きではない。 「十一面観音を、もう一つ見せて貰《もら》いたいね」  池野は言った。架山は前に大三浦から貰った十一面観音のメモを取り出して、それに眼を当て、 「マキノ町海津というところに宗正寺《そうしようじ》の観音というのがある。これは見せてくれるかどうか、直接当ってみないと判らないらしい。そのほか守山町の東門院《とうもんいん》、長命寺町の長命寺《ちようめいじ》、小船木《こぶなき》町の願成就寺《がんじようじゆじ》、——いろいろあるが、どこへ行ったらいいか、見当がつかないね」  と言った。実際にどこを訪ねたらいいか判らなかった。○印も、×印も付いていないところを見ると、直接に当ってみないと判らないということらしい。○印が付いていて、簡単に見せて貰えるらしい寺も幾つかあるが、甲賀《こうか》町とか、甲南町とかの寺で、大分遠いところのようである。 「海津にあると言ったね。そこはどう?」  池野が言った。すると、 「湖北ですね。この雨だと、少し時間がかかります」  運転手が横から口を出した。湖北と聞いて、架山は後込《しりご》みした。 「湖北ではたいへんだ。琵琶湖をぐるりと半周しなければならないだろう。半周するのはいいとして、わざわざ出向いて行っても、無駄になるかも知れない」  架山が言うと、 「僕は二、三年前に海津に半月ほど居たことがある。あのへんの集落をスケッチしたんだ。知り合いもある。よし、ここの電話を借りて訊いてみよう」  池野は言った。 「しかし、この雨ではねえ。もう少し近いといいが」  架山が言うと、 「もちろん、ほかでもいいんだ。確実に見せて貰えるところがあれば」 「それが判らない」 「じゃ、海津の方を当ってみよう。待っててくれ」  池野は一度架山のメモを覗《のぞ》いて寺の名前を確かめてから席を立って、奥へはいって行ったが、なかなか戻って来なかった。その間、架山は運転手と話していた。今は道がよくなっているので、この雨でも、一時間か一時間半かければ海津に行けるだろうという運転手の話であった。それに、帰りは米原に出て、米原から列車に乗るという方法もある。  暫《しばら》くすると、池野は戻って来て、 「大丈夫らしい。お堂の責任者が区長らしく、その区長さんなる人物に交渉しておくということだった」  誰に依頼したのか判らなかったが、そんなことを言った。  烈しい雨の中を、くるまは湖畔の道を走った。安曇川《あどがわ》の橋を渡る頃は全くの豪雨の様相を呈していた。窓|硝子《ガラス》はすっかり雨滴に占領されて、窓外の眺めは利かなかった。 「凄《すご》いことになりましたね」  運転手も言った。 「観音堂の扉を開けて貰うんだから、このくらいの雨は仕方ないだろう」  池野は言った。 「宗正寺というお寺は知っているの?」 「いや、知らない。寺ではなくて、小さいお堂らしい。毎日、そこらを歩き回っていたが、お堂には関心がなかったからね。それにしても、どんな十一面観音が出て来るか、——」 「いいに決まっているよ。今まで見たのは、みんなよかった」 「何百年も、湖北の小さいお堂に仕舞われてあるというだけでも、一見の価値はあるだろうからね」 「そんな言い方をするから雨がやまないんだ。——何百年も、ひっそりと湖の北にお住まいになっていらっしゃる、——」  架山が言いかけると、 「すっかり十一面観音ファンになってしまったね」 「ファンじゃない。もっと敬虔《けいけん》な気持だ」 「いや、僕だって敬虔な気持だ。いいよ、確かにいいよ。さっきの盛安寺の観音さんで、すっかり感心してしまった。あのお堂の床はコンクリートで固めてあった。あそこだけが変に思われたので、訊いてみたら、毎年床を破って竹がお堂の中に出て、その始末に困ったので、最近ああしたのだと言っていた」 「誰が言っていた?」 「あそこに、あとからはいって来た夫婦者がいたろう。あの二人の中の内儀さんの方だ。確かにお堂の裏は竹藪《たけやぶ》になっていたから、さぞあのお堂には竹が生えたことだろうと思うね。もしかしたら、あの観音さんは竹の間に挟まれて立っていた時代もあったかも知れない」  それから、 「そういうことのよさなんだね。湖畔の十一面観音には、きっと例外なく、そういうところがあると思うね。さっきの観音さんなど、本当に拝みたくなる。あのうっすらと笑っている顔を見上げていて、僕は何となくおふくろの前に立っているような気持になった。観音さんには失礼かも知れないが、本当にそういう気持になった。僕は湖畔の十一面には、湖畔の十一面としての、特殊な性格があると思うね。一体だけ見せて貰って、大きなことを言うようだが、きっとそうだと思うんだ。それで、もう一体見せて貰いたくなった」  池野は言った。こんどの湖北の観音さんがすばらしかったら、池野はすっかり十一面観音に血道をあげてしまいそうに、架山には思われた。こういうところも、架山の周辺の人物の持ち合わせていないものである。  烈しい雨の中のドライブが一時間ほど続いて、くるまは海津の集落にはいった。 「宗正寺という寺を聞いて、そこに行って貰いたい。山際の寺らしいが、聞いた方が安全だ」  池野は運転手に言った。相変らず車外は烈しい雨が地面を叩《たた》いている。運転手は町角でくるまを停めると、傍の雑貨屋の店先に飛び込んで行った。  くるまは集落をぬけると、水しぶきを飛ばしながら、集落の背後に迫っている山の方に向かった。途中から田圃《たんぼ》の中の道になった。 「この突き当りではないかと思います」  運転手は言った。なるほど山を背にして、こんもりとした樹木の茂みがあり、その中にお堂らしい建物の屋根が見えている。建物を取り巻いている樹木は松らしいが、烈しい雨脚に遮られて、よくは判らない。  多少強引だったが、くるまにお堂の近くまではいって貰って、架山と池野はくるまから降りると、お堂の軒下まで走った。すると、 「あいにくひどい雨になりましたねえ」  そんな声が二人を迎えた。老人である。池野がさっき坂本の蕎麦屋から電話をかけた人物であった。 「暫くでした。突然とんだことをお願いして」 「おやすいご用です。それにしても、驚きましたよ。初め、声を聞いて、どうしても、池野さんとは思いませんでした。どうも失礼しました。——さあ、どうぞ、おあがり下さい」  相手は言った。二人はすぐお堂の内部にはいった。外観は壊れかかったような小さいお堂であるが、内部にはいってみると、新しい畳が敷かれて、きれいに掃除されている。正面に厨子《ずし》があり、厨子の左右は床になっている。そして厨子の前だけ五畳ほどが板敷で、それ以外は畳敷である。 「きれいになっていますね」  池野が言うと、 「時々、ここで集りがあります。去年ですか、畳を換えたので、いまはきれいになっています」  老人は言った。そこへお堂の横手の農家風の家から、中年の女の人がお茶を運んで来た。半農、半堂守といった恰好《かつこう》の家の人らしかった。 「あいにく住職さんが留守でして」  女のひとは言った。住職というのは隣の法幢院《ほうどういん》という寺の住職のことであった。 「そのお寺がこの観音堂を管理しているんですか」  架山が訊《き》くと、 「寺にはお勤めの方を受け持って貰《もら》っています。このお堂の維持は区でやっています。従って、区長の許可がありませんと、お厨子は開けられません」  老人は言った。  架山、池野、老人、堂守の家の女のひと。——四人は畳の上に坐《すわ》って、お茶を飲みながら、烈しい雨脚に眼をやっていた。  架山は堂内に�弓光山�と書かれた額があるのを見て、 「山号を弓光山と言うんですか」  と訊いてみた。 「そうです。弓光山宗正寺。十一面観音さんも、昔から弓光山宗正寺の十一面と呼ばれています。昔は大きな寺だったようですが、織田氏の兵火で焼けてしまったと聞いています。詳しいことは区長さんから訊いて下さい」  老人は言った。 「お厨子は時々開けますか」 「なんの」  女のひとは言った。 「二十五年目に一回です。この次は確か昭和六十三年になります」 「じゃ、きょうは特別なんですね」 「一年に一回は空気を換えませんとな。今年はまだ掃除してありませんから、さっき区長さんと相談してきょう開けることにしたんです。あした天気になったら、掃除します」 「時々、拝みたいという人が来ますか」 「めったに参りません。土地の人は、毎年掃除しながら拝みますが、他国の人は六十三年まで待って貰いませんと」  そんな話をしている時、区長さんがやって来た。 「すまんことでしたな」  老人が言うと、 「近く掃除することにしていたんで、お厨子を開けるのはいいですが、あいにく雨になっちゃって」  区長さんは言った。長身の、まだ五十になるか、ならぬかの人物である。 「では、どうぞ」  その言葉で、架山は厨子の前の板敷のところに坐った。池野も同じようにした。堂守の女のひとも、老人も、区長さんも坐った。暫く、雨の音に混じって、区長さんの読経の声が聞えていた。やがて、区長さんは口の中で経を誦《じゆ》しながら立ちあがって行った。  厨子の扉が開けられると、殆《ほとん》ど天井に届きそうな大きな光背を背負った十一面観音像が現われた。大きな蓮台《れんだい》の上に載った坐像《ざぞう》である。像の高さと、蓮台の高さは同じぐらいであろうか。  像は全体が漆で黒々としている。唇だけが僅《わず》かに赤く、眼には玉《ぎよく》が嵌《は》められてあって、それがきらりと光っている。 「端正なお顔ですね」  架山は言った。頭上の十一の仏面は小さいが、その割に高々と置かれてある。それがこの観音さまを端正なものに見せている。左手は軽く折って宝瓶《ほうびよう》を、右手はゆったりと膝《ひざ》の上にのびて、掌《てのひら》はこちらに向かって開いている。 「古いものですか」  池野が訊くと、 「よくは知りませんが、室町時代に造られたものではないかと言われております。大体、いまはこの観音堂だけになっておりますが、宗正寺という寺は天平九年の開基でして、一時はなかなか寺運|旺盛《おうせい》で、頼朝の時には仏供料が寄進され、建物も豪勢なもののようでした。それが織田氏の兵火で焼かれました。観音さまの方は、幸い無事で、今日に伝わっておりますが、寺の方はあきません。一時、この土地の海津|長門守《ながとのかみ》の内室が観音さんに帰依して、やや旧態に復したという記録がありますが、どの程度のものでしたろう」  区長さんは言った。 「この辺の寺は織田時代にみな焼かれているようですね」  架山は言った。 「渡岸寺の観音さまも、石道寺の観音さまも、福林寺の観音さまもみな火をくぐっている」 「左様、観音さまも、今日まで生き延びるのはたいへんなことです。これからもたいへんです。——しかし、こうしてお厨子に坐っていらっしゃるお姿というものは、何とも言えずいいものですな。今日は雨をごらんになり、雨の音を聞いていらっしゃる」  それから区長さんは、 「お厨子を開ける度に、こちらは年齢《とし》をとりますが、観音さまの方はいつもお若いお姿をしていらっしゃる」  と言った。  暫《しばら》く一同は堂の一隅に坐って、雨の音を聞きながら雑談をした。  架山はいつ果てるとも判らぬみなの話を聞きながら、十一面観音の方へ顔を向けていたが、頃合をみて、 「さあ、そろそろおいとましますか」  と言った。 「では、お厨子の扉を閉めましょう」  区長さんは立ちあがった。また暫く読経の声が雨の音に混じって聞えた。  十一面観音が姿を消すと、架山と池野はみなに礼を言って、お堂を出て、くるまに戻った。  雨は相変らず烈しく降り続いている。くるまは米原へ向かって走り出した。 「観音さまのお蔭《かげ》で、豪雨の中を、琵琶湖をぐるりと回ることになる」  池野は言って、 「米原へ行く途中、まだ見られる観音さんはあるか」 「さあ、ね」  架山は用心して言った。今日はもうこれでやめようと思った。雨の日に慌しく観音さまを拝むのは惜しい気持だった。  海津から米原までの間、くるまの中で池野は眠った。くるまは湖岸に近づいたり、湖岸から離れたりして走った。ひとりで湖の方へ視線を投げている架山に、運転手は話しかけてきた。 「お客さんは、なかなか信心深いですね」 「そんなことはない。どちらかと言えば、不信心の方だろうね」 「いや、お話を聞いていると、観音さんのことをよく知っていらっしゃる。土地の者でも、なかなかお客さんほどは知らないでしょうね。私などは寺ばかりたくさんある京都に住んでいますが、いっこうにだめですわ。観音さんのことなど考えたこともありません」 「そりゃ、君が幸福だからだよ。人間という者は、不幸にぶつかると、いろいろなことを考える。観音さまにも、そういう時に出会うんだろうね」 「お客さんは、いつ観音さんに出会いました?」 「いつということはないが」 「何か不幸なことでも経験なさいましたか」 「僕ぐらいの年齢まで生きていると、いろいろなことがある。人間の力で処理できないこともある」 「そういうものでしょうか。それにしても、昔の人は信心深かったですね。私の父親も、母親も、いま考えると、信心深かった。祖父も、祖母も、やはり信心深かった。それが私の代になると、すっかり変ってしまいました。しかし、私の代はまだいい方で、たまには神社や寺の前で頭を下げたりしますが、私の子供などになると、てんでいけません。神さまとか仏さまとか言うと、笑い出す。学校の先生たちもいかんです」 「時代だからね」 「昔は不幸なことが多かったかというと、必ずしもそうは言えないと思いますよ。死者はいまの方が多い。日本全国ではくるまの事故で死ぬ者は、毎日相当な数でしょう。本来なら信仰が盛んでいい筈《はず》ですが、信仰なんて地を払っています」 「神や仏より、科学の方が頼り甲斐《がい》があるんだろうね。さっきの観音さんに安産のお願いをするより、妊婦を産院に入れる方が確実だろうからね」  そんなことを話しながら、架山は別のことを考えていた。自分や大三浦が十一面観音を拝むのは、おそらく信仰というものとは別なのであろう。実際に十一面観音の前に立って、何も頼みもしないし、祈りもしない。だが、その前に立って特殊な精神の安定を感ずるということは何なのであろう。  米原で�こだま�に乗ると、間もなく窓外には暮色が迫って来た。二人とも、雨の日のドライブの疲れで、小田原を過ぎるまで眠った。架山が眼を覚ました時、池野は煙草を喫《の》んでいた。 「僕もよく眠ったよ。観音疲れというところだね」  池野は言った。 「しかし、おかげで、きょうはいいものを見せて貰《もら》った。こんど出掛ける時には声をかけて貰いたい。湖畔の観音さんを次々にスケッチしてみたい。尤《もつと》も、邪魔になるようなら遠慮するが」 「邪魔になんかならないよ。僕の方はただ何ということなしに拝むだけなんだからね。ひとりで行くより、連れのあった方がいい」 「四十何体か、あると言ったね」 「そうらしい。詳しい数は、僕も知らないが」 「それを全部拝むの?」 「できたらね。でも、見せて貰えないのもあるらしいから」 「一体、どうしてそういう気になったのか、ちょっと不思議な気がするね。そもそもどういうところから、そういう気になったのかな」 「別に動機なんかない。偶然のことから一、二体拝んだら、なんとなくあとを引いて、ほかのも拝みたくなった」 「君の場合、信仰というものとは、ちょっと違うような気がするんだが」 「そう。信仰とは言えない。こういうのを信仰だと言ったら、観音さまがおこるだろう」 「信仰でなかったら、なに?」 「さあね。——でも、君だって、きょう一日ですっかり湖畔の観音さまの擒《とりこ》になったではないか」 「僕の場合ははっきりしている。あのような庶民的な十一面観音像にお目にかかったのは初めてのことなんだ。君の話からすると、どうも湖畔の十一面観音像は、みんなあのような美しさを持っているのではないかと思う。地方造りのよさなんだな。それで、できるなら、それをスケッチしてみようという気になった」 「君の場合はスケッチする。僕の場合はスケッチしない。ただそれだけの違いだ」 「いや、それだけの違いではないと思うね。惹《ひ》かれ方の質がちょっと違う。——何かあるという感じだな」 「それではいつか酒を飲みながら言った言い方をしようか。——昔の愛人の冥福《めいふく》でも祈る、そんな気持かな」  架山が言うと、池野はちょっと真剣に眼を光らせて、 「なるほど、ね」  と言った。池野がひとり呑《の》み込みをした様子だったので、架山は笑いながら訂正した。 「冗談だよ。真面目にとられては困る。いい年齢をして、それほどロマンティックではないよ」 「いや、どうもそういうことらしいな。そうでないと解釈がつかない。観音さんを拝んだり、ヒマラヤの月見を思い付いたり」  池野は言った。 [#地付き](下巻へつづく)   [#地図(地図1.jpg)] [#地図(地図2.jpg)] 角川文庫『星と祭 上』昭和50年3月10日初版発行            平成19年10月25日改版初版発行